スペイン旅行(3.グラナダー6)グラナダ最後の夜


グラナダからシエラネバダ山脈の白い村を訪ねる1日観光は終わりました。グラナダの最終日の夕食。実は、私たちは、アルハンブラのパラドールのレストランで第一夜の夕食を摂った以外の夕食は、ホテルの前のバル、青空テント・レストランで連続2夜(ランチを入れると3食)お世話になりました。とにかく近くて美味しいしサービスが良いと三拍子そろっていましたので、充分満足。
1日前後しますが、6月26日(金)二回目のアルハンブラ宮殿内の見学を終えて5時過ぎ、タクシー溜まりでタクシーを拾って、坂の街からグラナダの市内の中心地へ降りました。
グラナダは標高685m、人口23万4000人の町。
マドリッドほど大きくなく、清潔で美しい街です。
街路樹にぶら下がっていた実がたくさん落ちていました。
くっついている枯葉が風を受ける役目かな。
舞い散って、地面のどこかでうまく着床すれば芽を出せる。

1492年のレコンキスタの完了の年以降、
イスラム教徒はグラナダの町から追放され、モスクは接収されて教会となる」と書かれていましたが、
このカテドラルは、モスク跡に1518年から建設が開始されました。
ガイド本によると、「プラテレスコ用式最大の建物で、
様式はイタリア・ルネッサンス、構造的にはゴシック、装飾はアラブ的とさまざまな様式が折衷されている。
その後ルネッサンス風に統一が進み、1704年まで工事は続けられたが、塔の部分は未完成のまま」。


カテドラル前には何やら着飾った人たちが。
これは結婚式に違いありません。
少し離れて、フラメンコドレスのお二人が。関係者かしら?
とにかく、このカテドラルは500年後の今も現役だという事です。
その後ホテルに戻り、シャワーや洗濯、そして一服。

8時半ごろホテルのフロントで、さあ、夕食どうする? 
探しに行くのも面倒だし、昨日よかったからホテル前で済まそうということに。
前のナバス通りは人通りが絶えません。その人たちを目当ての呼び込み競争もありますが、
私たちは斜め前の肝っ玉姐さんのいるテーブルに座りました。ウエイターやウエイトレスたちは皆黒いTシャツ姿です。

この日、隣のテーブルに座ったピンクのシャツの方が、コチラが気になって仕方がない様子。
遂にたまりかねたように話しかけてきました。「日本人か?」「そうだ」というと、嬉しそうに、
「日本人の友達がいて、大阪にいる」という。私たちも大阪、というと、「僕の友達は、ニュー大阪」だという。
一同「???」、しばらくして、「あ〜新大阪!!」。
聞いてみるとスコットランドから来たという。夫が「コチラの夫婦は日本海側の魚の美味しい処に住んでいる。日本海の魚は世界一だ」と自慢。隣に座っていたスコットランド人も負けずに、お国自慢。しばらく楽しいお国自慢大会でした。

この日は二度目のパエリヤ。美味しいパエリヤでした。
「フィニッシュ?」と言った後、出されたのが、甘いお酒。
ラム酒かな…美味しくって飲み干しました。
この肝っ玉姐さんの働きぶりはスゴイ! 注文をきちんとこなしながら、新しい客の呼び込みにも、英語も理解できるし、何よりも御客の無理難題に明るく爽やかに応じてくれるのが素晴らしい。一つのお皿に4つの取り皿を何回か繰り返す私たち。「済まないね〜我々の今日の食欲には一寸問題があってね。またたくさん食べられるときは注文するから」なんて、よく言えるよ〜と感心してしまう夫の言い方にもよるのでしょうが、お姉さん、明るく「ノープロブレム!」と言ってくれます。「明日は?」と訊いたら「サンデー、私も働いてるから」というので、アルプハラ1日ツアーから帰って、いつものように入浴やシャワーやシャンプー、明日の移動に備えてパッキングなども済ませて、8時半か9時ごろだったか、最後の夜も、斜め前の青空テントのレストランへ。スペインのバルでは、カウンター席、店内のテーブル席、外の席の順に料金が高くなるとか。この日は隣が日本人男性4人のグループでこれには参りました。大声でしゃべり続け、コップをスプーンで叩いて急かせたり。大学の人事上の問題を大声で話し続ける大男の話を3人が承るというような関係まで解るようなお喋りが延々と続きます。最初は中国人かと思ったのが恥ずかしかった。この日は、「フィニッシュ?」と言った後で前日と同じ甘いお酒を持ってきたのですが、コチラは"締め"にメロンが食べたくなって注文。肝っ玉姐さん、用意した請求書を置いて、「大丈夫! メロンはサービスするわ、私から」。カッコイイですね〜! F氏、お勘定を置きながらチップも加えたのは言うまでもありません。お蔭様で、グラナダ最後の夜も気持ちよく終わることが出来ました。