戦後の「機雷掃海 隠された『戦死』」(日経新聞)


◎安倍首相が目指す集団的自衛権行使の目的の一つはホルムズ海峡の機雷掃海とも言われています。
9月4日の日経新聞朝刊のいわゆる三面記事に掲載された記事です。
敗戦後の5年、1950年、朝鮮戦争が始まると、米軍からの掃海支援の要請があり、まだ占領下の日本政府は極秘裏に海上保安庁の掃海部隊を編制、掃海中に一人だけ犠牲になった中谷坂太郎さん。家族は、米軍将校から直接「戦死」の口外を30年間禁じられていました。新聞記事の写真の後半を書き移します。

 既に現憲法は施行されており、9条に抵触する可能性もあったが、占領下の日本政府は極秘裏に海保の掃海艇30隻以上で「特別掃海隊」を編成。坂太郎さんが乗り込んだ木造艇「MS14号」も下関を出港し、戦場に向かった。

 50年10月17日午後3時すぎ、砲弾の飛び交う北朝鮮・元山沖の北緯39度付近。掃海中だったMS14号は突然、轟音(ごうおん)とともに水しぶきの中に姿を消した。僚船が慌てて駆けつけたが、波間に破片と重油が漂うだけ。海中の機雷に触れたのだった。海に投げ出されるなどした他の乗員20人余は救助されたものの、船内にいた坂太郎さんだけが死亡した。


 約1週間後、家族の元に米軍将校がやってきた。「公になると国際問題になりかねない。補償はする。瀬戸内海で死亡したことにしてほしい」。将校は「戦死」を口外しないよう強く迫った。父はそれを受け入れ、家族にも厳しく口止めした。掃海業務による死亡は約30年後、事件当時の海保長官が自身の著書で明らかにしたことなどから公となり、坂太郎さんは戦没者として公式認定された。 

 折しも国会で進む安保法制の見直し議論では、集団的自衛権の行使例として中東・ホルムズ海峡での機雷掃海が取り沙汰されている。中谷さんは「特別掃海隊は米国に頼まれて海外の戦場で掃海作業をした。国会で議論されている状況と全く同じだ」という。

 「機雷掃海でも戦死者は出るもし安保法制を見直すなら、国民全体が納得できる議論をしてほしい。それが弟の死を意味あるものにする方法だ」。中谷さんはそう考えている。

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9月に入って丸1日晴れていたという日はほんのわずか。
秋雨続きに、とうとう、鉢植えのカニサボテンがダメになりそう。
元々、弱って来て、今年夏の初めごろに差し芽をしたのですが。
今朝は、東海地方へ台風が上陸というので大雨になりそう。
赤いゼラニウム(写真)の鉢を取り込むことにしました。
松葉ボタンの釣り鉢の底には水受けがついているので、
これも鉢から取り出してガーデンテーブルの上に移すことに。