99歳の大冒険


24日と25日の土日、行ってきました。99歳の白寿を7月に迎えた父と94歳になったばかりの母と私たち72歳の夫と71歳の私。9月に夫が仕事を辞めるのを待って、東京都の稲城市にいる孫娘一家を訪ねたいというのでついていくことに。
『東京で蛍が出る処へ行ってみたい』と二人が言いだした時は、驚きました。去年が最後だったのに…というだけでなく、歩く距離がとても…だったから。父はリハビリステーションでは散歩を日課にしていると言ってるようですが、どうも我が家にお茶を飲みに来るのを散歩と称しているらしい。たった数メートル、日に二回。新大阪駅の新幹線ホームまで駅構内を結構歩かないといけないのにどうするつもり?と心配。(車窓の山は伊吹山

一月ほど前、途中で休憩したり、ホーム上で新幹線を待っている間腰かけられるものを探したいと夫に話してホームセンターへ。軽くて折りたためて私が持ち運べるものをという条件で探してみました。シンプルな機能でトビキリ軽いものが見つかりました。これで一安心。玄関に置いておくと、父も自覚したのか、お天気の良い日は一人で道路に出て歩くことが何度か。先週は、いつも夫が車で送り迎えする理髪店へ、母が付き添って歩いて行ってきました。

土曜の朝、タクシーの予約時間より15分も前に二人がもう外に出て待っています。待ってる間にも補助椅子を道路に広げて座って待つことに。そこへ、タクシーもずいぶんと早い到着。土曜日で新御堂の道も渋滞もなくスイスイ。一時間も前に新大阪着。駅弁を買って、ホームへ。父は片手は杖、片手は手をつないで歩きます。転ぶのを警戒して、かなりの体重をかけますので、手を取る役目は夫が。私が「ウォーキングステッキー」という名前のついた折り畳み式の『どこでもイス』を持つことに。二人とも両手が使えるようにリュク姿です。母は杖代わりのキャリーバッグを押しながらついてくることに。
エレベーターを探してホームに上がり、予約の列車番号のところまでが、長い!! 途中で椅子を広げて座ろうとすると、ベンチで腰かけていた外国人旅行者がさっと立ってくれました。夫が「No Problem. Thank you.」と言ったあと、「99years old」と。「99!!」と大きな声が返ってきました。母は、親切ね〜と喜んでいました。こんなことが、もう一度ありました。小田急線の乗り換えで電車に乗って、椅子を広げて腰かけると、座っていた女性が代わりますよと声をかけてくれました。一駅なのでとお礼を言って断りましたが、旅の途中のこういうご親切は本当にありがたくうれしいものです。


小田原駅で妹夫婦が改札の外に見えましたが、まず、トイレを済まします。それから、小田急線のロマンスカーに乗って新百合ヶ丘まで。早くから予約してくれていたホテルへまず荷物を置いて、姪っ子のお宅訪問という予定。ホテルのフロントで一息ついている処を写真に撮りました。
姪っ子の運転するワゴン車に全員が乗って、途中、小学校と上の子のサッカー練習場を回ってくれてお宅へ。6歳の弟君とパパがお出迎え。その内、自転車でお兄ちゃんも帰宅。マンション住まいから建売住宅の一軒を去年買って引っ越し。その新居の居間の先のデッキから親水公園になっている小川や林や青空が広がる”裏庭”を堪能。姪っ子の淹れてくれる紅茶やお菓子を戴いて、家の周りを散歩することに。その前に、弟君が補助輪なしに自転車に乗れるようになったというので、見せてもらうことに。お兄ちゃんがスケボーより車輪が2輪少ないボードを上手に操って自転車についていきます。仲良し兄弟ですが、二人とも箕面の神社で七五三をしています。去年は私たちが家にいる間、パパママと箕面の滝まで歩いて、弟君が川に入ってパンツを濡らし、替えのパンツを買い求めたり、ひと騒ぎしたことはよく覚えているとか。
一同、姪っ子のワゴン車でもう一度ホテルへ。パパは二人の息子と電車で来てくれることに。ホテルに着いて、部屋に入り、荷物を解いて、夕食のレストランへ。先に着いていた弟君が迎えに出てくれて、10席ほど用意してあるコーナーへ。本格的なフランス料理は久しぶり。夫が注文したボトルの赤ワインがとても美味しい。父もご機嫌でワインのお替りが進んでいます。

母の向かいの席に座っていた弟君の「だいごはまだこないの?」に大笑い。だいごというのは長男の名前で、8時には着くということで、大人たちが「だいごはまだか」と噂話をしていたのを聞いていた弟君、”大吾”が何者かわからないで、隣の席のママに訊いたというわけです。そこへ30分遅れて大吾登場。弟君のビックリしたこと。息子にその話をしたら、弟君に「オッサンで悪かったね〜」と話しかけて弟君は何やら言い訳をしていたようですが、仲良くなったみたい。お兄ちゃんがサッカーをやっているというのでサッカーの話をしたら、好きでやってる様子じゃないみたいなのが”可愛いな〜”としきりに息子が。叔母さん夫婦や初対面の姪っ子の彼と話したりした後で、反対側の席の私の前へやってきて、姪っ子の隣に座って10年ぶりの話を。二人で高円寺や神楽坂、中野の話がはずんでいるので、何年代の話?と聞くと、ミレニアムを挟んで前後数年の時代の話と、その頃東京で独り暮らしをしていた姪っ子が。お花の店で働いていた頃のことねと私。最後に全員で記念写真。両親はこれで部屋へ戻ることに。普段の何十倍も歩いた疲れとワインが効いてきた父も足元がおぼつかないくらい、夫が抱えるようにしてベッドに。大冒険の半分以上が無事終わりました。
翌日の日曜日は、ホテルから昨日の逆で小田急線のロマンスカーで小田原に戻り、タクシーで海側のお寿司屋さんへ行き、そこで私の末の妹一家との昼食です。11時半ごろに着くと、すぐ息子の甥っ子が出てきてくれました。介護職の公務員で優しい子、父に「階段があるんだけど」と言っています。家では二階が寝室で階段は手すりがあれば上り下りはできるので問題なし、とはいえ、先に来て上から見ていた妹は「バテバテで心配した」とも。お部屋で妹夫婦や娘、甥っ子の初対面の奥さんと3歳の女の子とご挨拶を交わして、お土産の交換をして、写真を撮ってお食事です。リハビリ中の妹の彼も、7月に会った時よりふっくらしていて元気そうでした。妹が運転して来て、息子一家とここで合流したようです。予定より早めに食事が終わったので、新幹線の時間を2時間早めて帰ることに。末の妹一家とはここで別れることに。もう一人の妹夫婦は小田原の駅のホームまで見送ってくれました。

新大阪からのタクシーの中、母が「一大イベントが終わったね、お父さんもこれが最後だと思うので叶えさせてやりたかった」と。道中、カチンとくることを言ったりして夫が我慢してくれているのが解っていましたが、夫がいなければこの東京行は無理だったという事は、母もよくよく解っていることです。隣に座っている父は「お天気が良かった」と言うので「これが最後よね」と私が念を押しましたら、「連れて行ってくれたら、どこでも行けるよ」には私もビックリです。大息をついたり、数メートル歩いては腰かけたりの様子で、遠出はこれが最後と皆思っていたはず・・・・母に言うと、「お父さん、何言ってるの〜」でした。
今朝のコーヒータイム、無口な父から「お世話になった」の一言。箕面の山へ出かける支度でお茶をつめていた夫にも聞こえたはずです。(写真はロマンスカーから見た富士山。北側に初冠雪の雪が少し残って。)