「2015年12月6日、僕は安保法に、そして個人の尊厳や自由を軽視する安倍政権のあり方に反対する」(シールズ)


◎「日本がアブナイ!」さんが、12月6日、東京の日比谷野外音楽堂で行われた、安全保障関連法の廃止を求める学生グループ「SEALDs(シールズ)」などが主催した集会について記事にしています。http://mewrun7.exblog.jp/23940453/
「この集会には、SEALDsなどの団体やジャーナリスト、民主党福山哲郎氏や共産党の志位委員長など野党議員も参加」、「サプライズ・ゲストには、安保審議中、国会前の集会にも参加していた俳優の石田純一氏が登場した」というのは既にブログでも取り上げました。
この日、デモに参加された「特別な1日」のSPYBOYさんは大竹しのぶさんのメッセージの一部をツィッターを引用して紹介されていましたが、「shuueiのメモ」さんに載っていたメッセージをコピーしてみます:(http://d.hatena.ne.jp/shuuei/20151208/1449517938


この日の集会は残念ながらスケジュールの都合上どうしても伺うことができません。安保関連法に対して、学生さんたちが、そして学者さんたちが一緒に考え行動を起こすなんて、本当に素晴らしいことだと思います。


宮沢賢治さんの「ポラーノの広場」の一節です。

「そうだ、ぼくらはみんなで一生けん命ポラーノの広場をさがしたんだ。むかしのほんとうのポラーノの広場はまだどこかにあるような気がしてぼくは仕方ない。だからぼくらは、ぼくらの手でこれからそれをこしらえようでないか」

「ぼくはきっとできるとおもう。なぜならぼくらがそれをいまかんがえているのだから」


この何年か、私はいつもこの言葉を思います。自分の考えていることすら発言しにくくなっている今ですが、俳優として、そして個人としても、きちんと自分の言葉を伝えられる人間になりたいと心から思います。

12月6日の集会が実りあるものになるよう、お祈りしています。

大竹しのぶ

◎「日本がアブナイ!」さんは続けて、「集会ではその後、シールズのメンバーや民主党福山哲郎幹事長代理、共産党志位和夫委員長、生活の党と山本太郎となかまたち玉城デニー幹事長らが登場し、いずれも来年夏の参院選に向け野党間で共闘する意向を示した」と産経新聞 の記事を紹介。産経が掲載したというシールズのメンバーと石田純一氏のスピーチの中から、ここでは、シールズのメンバーのスピーチをコピーします。(石田氏のスピーチはコチラで:http://mewrun7.exblog.jp/23940453/


* * * * *

☆ シールズ・諏訪原氏「安倍政権は公の利益のためなら民主主義や個人の自由も無視する価値観だ」
 【諏訪原健氏】(シールズメンバー、筑波大大学院1年)


 「今日はまず皆さんに問いたいことがある。そこで叫んでいるあなた(会場近くの街宣車)にも問いたいことがある。あなたにとって理想の社会はどんな社会ですか。この答え、僕自身にはどのように生まれ育っても自分らしく自由な人生を歩んでいける社会であってほしい。このように考えるようになったきっかけは、僕自身があまり裕福な家庭に生まれなかったことにある。人生の岐路に立つたびに、現実を突きつけられ、そして実際にメシを食うことを考えないといけない。そうやって生きてきた。だけど、本当にそれでいいのか、これが自分の生きたい人生なのかと常に問いながら生きてきた。だからこそ、どういう家庭に生まれ、どういう場所に生まれて、どういう姿、形に生まれて、どういうアイデンティティーを持って、そういう、自分では選べない要因で自分らしく自由な人生が歩めないような社会にはしたくないと思っている


 「さて、ここで現実の政治状況に目を向けてみよう。約2カ月半前、安倍政権は多くの異論がある中で、立憲主義や民主主義まで無視して安全保障関連法を成立させた。しかも成立させるに当たり、彼らは平和安全法制といって、私たちの安全だったり平和というものを大義名分として使いながら、無理やり成立させた。ここで語られる平和は、これまで日本が語ってきた平和とは全く違うものだ。だれも殺さず、だれも殺されない平和とはまったく違うことは言うまでもない。法案の中を見ても明らかに政策として妥当なものではない。安倍政権のやっている諸政策に通底している価値観は、公の利益や秩序のためだったら民意も立憲主義も民主主義も個人の尊厳や自由までも無視していいという価値観だ。そんなのは全体主義。おかしいに決まっている」



 「どのように生まれ育っても自分らしく自由な人生を歩むことができる社会。そんな僕の理想するような社会とは真逆の方向に社会は進んでいる。僕はこれが許せない。憲法を守れ、勝手に決めるな、へ理屈をいうな、自由を守れ、子供を守れ、未来を守れ。そんな当たり前のことを言わなければいけない社会は終わりにしよう。ともに理想とする社会、よりよい社会を目指していこう。こうしている間にも、だれかが自分らしく自由に生きることを諦めているかもしれない。こうしている間にも、誰かが生きること自体すらも諦めてしまっているかもしれない。僕はそんなのは許せない」


 「政治は理想と現実の妥協策を探っていく手段だとされている。現実だけ見て、現実の中で何ができるかだけ考えていても社会は変わらない。理想を語って、その中で社会に何ができるか考えていくからこそ、社会はいい方向に進んでいく。社会は確かにそう簡単には変わらない。たとえ次の選挙に勝ったとしても、たとえ安全保障関連法を廃止にしても、制度が変わったとしても、そんなことで簡単に社会は変わらない。しかし、社会は何かといわれれば、人と人の集まりだ。人だ。もしもあなたが声を上げて行動して、例えば隣にいる誰かでも考え方を変えることができたら、その瞬間に社会は変わっている。一つ一つは本当に小さな力かもしれない。でもそれが積み重なることは着実に社会をいい方向に進めていく。どうせ何をやっても社会は変わらない。あの人にはどうせ伝わらない。どうせ変わらない。具体的な話をすれば、野党は何を言ってもダメだといって諦めてしまってはいけない



 「人は変わる。そして社会も変わる。こういう思いをもってできることをやっていこう。もしかしたら僕は机上の空論を述べているだけかもしれないと思う人もいるかもしれない。でもね、思いだしてほしい。あれだけ多くの人が行動を起こし、採決の日程も9月後半まで延びて、あれから2カ月半たったが、ここにこれだけの人が集まって、これだけの声を上げている。確かに法案は止まらなかったかもしれないが、こうやってしっかりと社会は変わっている僕にはとても大きな希望がある。どのように生まれ育っても、自由に自分らしく自由な人生を歩んでいける社会にきっとなると思っている


 「ここで皆さんにもう一度問いたい。あなたにとって自分の理想とする社会はどんな社会かそれを常に頭の片隅に置きながら、よりより未来をともに作っていきましょう。そのために今できることをやり抜こう。いつもやっている最後の締めの一言を忘れた。2015年12月6日、僕は安全保障法に、そして個人の尊厳や自由を軽視する安倍政権のあり方に反対する」(産経新聞15年12月6日)』

(今朝、庭に咲く一輪のバラ。冬薔薇(そうび)は俳句の季語だそうです)