奥田愛基(SEALDs)と小林節(憲法学者)・ 涙の出会い


昨夜、スーパームーンを雲間に見て就寝。その後、直前に食べたナシのせいか寝付けなくてテレビを付けたら、11時台の最終ニュースで、SEALDsの奥田愛基さんと家族を殺すという脅迫状が大学に届いていたというニュースが。「本人ならともかく家族に危害を及とぼすというのは卑怯だ。何か言うだけで殺される世の中は間違ってる」と云う奥田さんの発言の紹介もありました。
昨日丁度、奥田愛基さんと憲法学者小林節さんの素敵な出会いのお話を読んだところでしたし、「特別な1日」さんでは、2015年の夏をSEALDsの夏として振り返る、これも素敵なブログを読んだところでした。(「2015年の夏を振り返って」はコチラで:http://d.hatena.ne.jp/SPYBOY/20150928/1443435847

SPYBOYさんに倣って2015年の私の夏を振り返ってみると、7/19(靭公園)、8/30(扇町),9/13(靭公園)と三回デモに参加しました。デモ・デビューは、すでに3・11の一年後と二年後のデモに参加しているのですが、SEALDsが主催したり、加わるデモは初めてでした。1回目は東京から応援に来ているメンバーもいて、若い人は少なめでしたが、8月には若い人も多くコールはSEALDs関西のメンバーが、9月は、主催であり高校生のスピーチもあり、関西一円からの参加で、どんどん幅も広がり人数も3倍に増えています。5月にスタートして、あれよあれよという間に燎原の火のごとく(古い表現です・・・)全国に広がったというのが解ります。3月に、立花隆氏が”若い人たちがシッカリしていて安心だ”と言うのをNHKで放送した番組「次世代へのメッセージ〜わが原点の広島・長崎から」で聞きました。その時の立花氏の言葉を取り出して見ます。

立花本当はこれまで日本の若い世代に相当ネガティブな印象を持っていたもんで、この国はもうすぐもう一回滅びるんじゃないかとかって思っていたの。でも今日は、この国は、特に若い人はすごいという感じを持った。あの、この日本を変えつつあるような気がしました。
歴史というのは全部その時代の人々の意見の集合として決まってくるわけですから、常に歴史は動いて、その方向はまだわかりませんが、今日は、皆さんの発表を聞いてると、むしろ、良い方向にどんどん向かうんじゃないかと、そういう気がしました。

◎この立花氏の楽観的な感想に私は半信半疑でした。そして、同じように思ったのか一人の女性が意見を述べたその内容も印象に残っています。


「ここにいる学生は、たぶん、ほかの大多数の学生から見ると、ま、特別、いわゆる”意識高い系”?(笑) そういう風にみられていると思うんです。なので、伝えようと思っても、なかなか、伝えられなかったりとか、周りを巻き込むことをスゴク難しいと考えている方もいるんじゃないかと思ってて、なので、立花さんから、被爆体験、あるいは平和、あるいは全然関係なく何か人が行動を起こす切っ掛けになるためのアドバイスを・・・


立花:いろんな意味で人間は人を巻き込まないとだめです。

人をどうやって巻き込むか。熱意、です。熱意しかないの。
あとは言葉の力です。言葉の力はものすごく大きいです。
言葉をより生かすためには熱意をもって語ることが必要ですね

(引用元:http://d.hatena.ne.jp/cangael/20150315

◎この時の立花氏の答えを(もちろん意図したわけでなく結果として)忠実に守って発展させたのが、SEALDsの若者たちという気がします。
SPYBOYさんも記事の中で触れておられますが、シールズの人たちのスピーチは、必ず日付と名前を言って短く「***に反対します」という決意で締めくくられます。これがとても新鮮でまたツンときます。何故なんだろうと考えると、こんなに大勢集まって同じコールに声を揃えていても、私個人は、こういう理由で反対なんですと個人的理由を公にしている. その人の覚悟と決意の表明だからなんですね。その健気な勇気にツンとくるんだと思います。大衆行動の中に個人を埋没させない覚悟と勇気です。それが、新しくまた力強い。こんな運動を始めた一人、奥田愛基さんと憲法学者の出会いのお話です。ダイヤモンド・オンライン の昨日の記事でした。全文です。

学校教育に洗脳されなかった シールズ奥田愛基の野生


 奥田愛基はいま、注目の23歳である。私は何度か国会前の安保法制という名の戦争法案反対集会で一緒になったが、むしろ、静かな印象を与える若者だった。もちろん、「安倍はやめろ」とラップ調でコールする声は激しい。しかし、たとえば9月15日の参議院特別委員会の中央公聴会では公述人として次のように切り出している。

「大学生の奥田愛基と言います。シールズという学生団体で活動しています。こんなことを言うのは非常に申しわけないが、先ほどから寝ている方がたくさんいるので、もしよろしければ話を聞いてほしい。僕も2日間くらい緊張して寝られなかったので。僕も帰って早く寝たいと思っているのでよろしくお願いします」

 奥田にメモを渡して、こう発言するよう促したのは、やはりシールズのメンバーで、同じ明治学院大4年生の牛田悦正だった。

 シールズとは、Students Emergency Action for Liberal Dmocracy-sの略で日本語に訳せば「自由と民主主義のための学生緊急行動」となる。

 奥田によれば、特定の支持政党を持たない無党派の集まりで、保守、革新、あるいは改憲、護憲の垣根を越えてつながっている。 

最初はたった数十人で、立憲主義の危機や民主主義の問題を真剣に考え、5月から行動を開始した。その後、デモや勉強会、街宣活動などを通じて、自分たちの考える国のあるべき姿や未来について社会に問いかけてきたつもりだという

 シールズに対しては「騒ぎたいだけだ」とか、「若気の至り」などの非難の声も投げつけられたが、私の接した奥田は、浮わついたところのない好青年である。



「家にマザー・テレサがいたらウザくないですか?」


 どうして、こういう若者が育ったのか? その秘密を尋ねて1冊の本に行き当たった高橋源一郎×SEALDs著『民主主義ってなんだ?』(河出書房新社である。

 作家の高橋は明治学院大学国際学部の教授でもあるが、奥田と牛田はそのゼミ生らしい。

 大学の入試で高橋は奥田を面接し、奥田のつくるカレーの話になって盛り上がったという。それまでの学校教育に“洗脳”されて、受験生はほとんどおとなしいのに、奥田はとびぬけて野性的だった。

 高橋の「言語表現法」という文章を書く授業でも異彩を放ち、高橋はしばしば、奥田の書いたものを題材にした。高橋の奥田評を引こう。

惚れ惚れするような、変な、文章を書いてくるんだ。どこに向かっているのかわからない、無鉄砲なところもよかった。文章も奥田君も。それから、奥田君は、突然姿を消したり、いきなりゼミにやって来て、ゼミ長みたいに振る舞ったり、またいなくなったりした


 奥田の父親の知志は北九州で貧困者やホームレスの支援をしている有名な牧師である。でなければ、愛を基になどという名前を息子につけないだろう。しかし、奥田にとって、このことはけっこう重かった。

 たとえば放火で服役していて出所して、また放火した人を親は引き受けるという。緊急家族会議が開かれ、「うちが火つけられない?大丈夫?」といった話になる。

 結局、引き受けたのだが、朝起きると、知らないおじさんがいるのも日常茶飯事だった。

「この人は新しい家族だから」と父親は平気な顔で言う。

 とまどいながらも奥田は、「パン、何枚食べますか? あ、2枚っすか」といった応対をしていた。

「すごい教育受けてるね」と高橋も合いの手を入れているが、奥田は小学校まではそれが普通だと思っていた。他の家とは違うことがわかっていなかったのである。

 酔っぱらった勢いで、一度、父親に「なんでそんなことやってんの?」と尋ねた。返ってきた答は、「僕な、人間が好きなんよな」だった。自分の父親は「ヤバいぞ」と奥田は思ったという。

「いいお父さんだね」と言われて、奥田は胸の中で呟く。「よく想像してみてくださいよ。家にマザー・テレサがいたらウザくないですか?」



飼いならされていない野性が大人を惹きつける


 奥田は語る。

そういう親父のもとに育って、中学で家を出ました。北九州にいたときは不登校とかいろいろあって、というか家と世俗の価値観があまりにも合わなすぎて(笑)。だから九州を出て、八重山諸島鳩間島っていう、ディズニーランドよりも小さい周囲4キロくらいの島に行って、そこで中学生生活をおくりました。卒業して、島根県の浅利町という人口が千人くらいしかいない所の高校に行って、そして今に至るという感じですね

 海が好きな奥田が鳩間島を選んだのはグーグルで検索した結果である。最初は海外に行こうとか、国内で一番遠い北海道に行こうかと考えていた。しかし、北海道は寒いなと思って沖縄にしたのである。

 奥田が入った島根の全寮制の高校は3学年で50人。1学年が20人足らずだった。

 奥田の飼いならされていない野生が育まれた背景である

 そんな奥田も、自民党を離党せざるをえなくなった武藤貴也が、シールズの主張は「だって戦争に行きたくないじゃん」という利己的な考えに基づくと発言し、「どう思いますか」と何度も訊かれた時は辛かったという。

 バカな発言をまともに取り上げるメディアにうんざりしたのだろう。

 しかし、そんな大人ばかりではなかった。自発的に慶大名誉教授の小林節がやって来たのである。マイクを渡すと小林は口を開いた。

こんなひどい雨の中で集団的自衛権に反対していると聞いて多少なりとも応援にと来ました

 神奈川新聞「時代の正体」取材班『時代の正体』(現代思潮新社)によれば、奥田はこの時のことをツイッターでこう振り返っている

小林節さん片手が少し不自由だから、マイク持ったら傘持てないんだよね。それ初め分からなくて、マイク持ってもらったらめっちゃ濡れちゃって。けど全く動じず話し出して、スピーチして。超堂々としてた。動画見たら分かるけど、メガネに水滴が垂れるぐらい雨降ってた中でだよ

 生まれつき左手の指がない小林は、いじめられ、したたかに孤独を味わってきた。その小林の言葉を引きながら、奥田はさらにつぶやく

疲れてるのもあるけど、もうこれ電車の中でボロ泣き。『君たちはひとりじゃない。エネルギーは正しい方向に向かっているよ、と励ましたかった。僕がひとりで闘ってきたから、余計にそう思うのかな』 先生、俺マジで頑張ります

(引用元:http://www.msn.com/ja-jp/news/opinion/%e5%ad%a6%e6%a0%a1%e6%95%99%e8%82%b2%e3%81%ab%e6%b4%97%e8%84%b3%e3%81%95%e3%82%8c%e3%81%aa%e3%81%8b%e3%81%a3%e3%81%9f-%e3%82%b7%e3%83%bc%e3%83%ab%e3%82%ba%e5%a5%a5%e7%94%b0%e6%84%9b%e5%9f%ba%e3%81%ae%e9%87%8e%e7%94%9f/ar-AAeRbat?li=BBfTvMA&ocid=LENDHP#page=2