「風の電話」と父親を亡くした少年(1)


東日本大震災から5年を迎えた11日の前夜10日に放送されたNHKスペシャル「風の電話 残された人々の声」、ブログ仲間の「ほのぼの日記」さんが取り上げられて、私もコメント欄に”泣けて泣けて”と書き込んだのですが、いまだに気になっています。「ほのぼの」さんは絵本の紹介もされていますので、こちらで:http://d.hatena.ne.jp/miyotya/20160311
私が気になっているのは、青森の八戸から4時間かけて「風の電話」を訪ねてきた15歳の少年とその家族のことです。少年は、あの日、突然行方不明になった父親の死を受け止めかね、誰にも言えない思いを、黒い受話器を手に、亡き父親に語り掛け始めます。
番組では、少年の家族を八戸まで訪ねて、少年が、妹や弟、そして「一番つらい」はずの母親を、「風の電話」に誘い出すまでを取材しています。家族4人は、大槌町の高台の白い電話ボックスで、震災以来一度も触れて来なかった父親に付いてそれぞれの思いを語り、弟もやっと初めての涙を流すことに。
15歳の少年は、期せずして、不在の父親の役割を果たしているのです。震災時10歳だった男の子が5年で、ここまで成長できる。家族の間での気遣い。母親の、それぞれの思いを慮ってなお強くあれと励ます姿。そんな母親を一番理解し、心配していた長男。少年の踏み出した一歩が、自らと家族を救いました。
最近、進学指導で万引きを疑われ、自殺した少年がいました。同じ15歳だったと思います。この少年にも「風の電話」があったなら…と思ってしまいます。そして、最近読んだ「文藝春秋」の三月号の特集、88人の「最期の言葉」の中に、今から20年以上も前、13歳で、自殺した中学2年生の遺書がありました。「しんで、おわびいたします」という長い手紙です。少年は13歳でした。小学校6年生ぐらいからお金を持ってくるように言われ、中1、中2とエスカレート、3,4万から多い時は6万円を取られていました。長い手紙は、家族あてです。真ん中あたりを:

しんで、おわびいたします   大河内清輝(きよてる)

 愛知県西尾市立東部中学二年在学中、少年は自宅で自殺。当初、同中学校は「突然死」と市教委に報告して箝口令を敷いたが、家族が部屋から遺書を発見。イジメていた四人は名古屋家裁で処分された。1994年11月27日没。享年十三。

 (前略)
家族のみんなへ
 14年間、本当にありがとうございました。僕は、旅立ちます。
 でもいつか必ずあえる日がきます。その時には、また、楽しくくらしましょう。お金の件は、本当にすみませんでした。働いて必ずかえそうと思いましたが、その夢もここで終わってしまいました。
 そして、僕からお金をとっていた人たちを責めないで下さい。(中略)
 まだ、やりたいことがたくさんあったけれど、……。本当にすみません。いつも、心配かけさせ、ワガママだし、育てるのにも苦労がかかったと思います。おばあちゃん、長生きしてください。お父さん、オーストラリア旅行をありがとう。お母さん、おいしいご飯をありがとう。お兄ちゃん、昔から迷惑をかけてスミマせん。要典、ワガママばかりいっちゃダメだよ。また、あえるといいですね。
 最期に、お父さんの財布がなくなったといっていたけれど、2回目は、本当に知りません。
 see you again (後略)

13歳の少年も、家族の一員として、芽生えた自我を通して、両親や祖母、兄弟への思いやりをはぐくみ、降りかかる理不尽な難題と精一杯戦った戦死者ですね。日本は、この頃からずっと未だに、これから伸び行く若い芽を摘み取ってしまう社会であり続けているわけです。これ以上、幼い戦死者を出すような社会であってはならない。今苦しんでいる少年や少女たちも、八戸の少年のように、どこかに「風の電話」の代わりを見つけて、一歩踏み出す勇気を持ってほしい……否、「風の電話」を設置する気持ち、誰かの「風の電話」になる優しさこそ求められているのかも……虐待やいじめ、小さくて弱くて清らかなものほど犠牲になる、荒(すさ)んだ暴力的な世の中を大人たちが作ってしまっているのですね …可哀想でなりません。

さて、我が家のテレビは、「NHKスペシャル」とついていると録画されるようにセットしてあるとのこと。先日夫が、消していいか?と聞いてくれて解りました。録画されていた番組から少年のところを中心に少し端折りながら書き起こしです:

   NNNNNNNNNNNNNNNNNNNNNNNNNNNNNN

「風の電話」というのは、岩手県大槌町の高台の個人の庭にある白い電話ボックス。
佐々木格(いたる)さん(71)は、17年前に景色に惹かれてこの高台に移り住みました。震災の前年、亡くなった従兄に自分の思いを伝えるために電話ボックスを設置。「線では繋がらないから、風に乗せて伝えるんだ。それで『風の電話』」。

それから1年後、高さ13mの波が町をのみこんだ。海沿いののどかな町は、わずか30分で壊滅。861人が亡くなり、421人が今も行方不明。
行方不明者がとりわけ多い町です。残された人たちのため、佐々木さんは「風の電話」を開放。「どんな苦労でも、辛いことでも、希望があればいきていけるわけよ。だから、その想いをつなげるもの、帰らぬ人に想いを繋げることが出来るということが大事だなと思って…」

この番組は、その電話ボックスにマイクを置いて、本人の了解を取った上で、録音。カメラは遠慮がちにボックスの外から撮り続けます。出てきた人にマイクを向けたり、果ては、住んでいるところまで行って取材もしています。勿論取材を拒否した人もいるでしょうし、OKしていても、いざ受話器を持っったら話せない人も。取材に応じても、「これから先はもういいでしょ」と去っていく人もいます。来る人は、なぜか、女性より男性が多いとか。

一人の男性「もしもし、通じない。カズキ、お母さんをよろしくな、お祖父ちゃんも、お祖母ちゃんも。また来るね、母さん、また来るね」(長男を亡くし、3年ほどして、妻も病死)

また一人「もしもし、おかあ、どこにいる。この寒いのに風邪ひいてないか、祖母ちゃんも、みゆきも一緒か? 早く戻って来いよ。早くみつかれ、みんな待っているから。(妻と娘と母が行方不明) 早く見つかれ、早く帰ってこ。元のとこさ、家建てっから、な」「ものなんだり食べてろよ、どこでもいいから生きてろ」「さみしいぞ」・・・


そして、また一人「父さん、母さん、みねちゃん、イッセイ、震災からもう5年だね」「もしこの声が届くなら、話を聞いてください」「ときどき何のために生きているんだか、分からなくなる時があるんだよ」(両親と妻、1歳の子どもを亡くした)「イッセイ お願いだから また ”パパ”って声をきかせて」「新しい家建てても 父さん、母さん、みねちゃん、イッセイ、いないから、意味がない」「返事が聞きたいのに、聞こえない」「ごめん、たすけてあげられなくて、ほんとに、ごめん・・・・・」
取材のマイクに、「確かにつらいんだけど、もし自分が家族のことを辛いから忘れようとしたら、じゃあ、誰がうちの家族たちが生きた証し……」「全員大槌町にいたんだっていう記憶すらなくなってしまうんじゃないかなって」「家族のことを忘れたら、誰が覚えているんだって話になるから、だから死ぬまでたぶん絶対忘れない」


丘の下で、「風の電話」を探す少年がいました。幸崎廉(こうざきれん)くん(15)。住んでいるのは青森県八戸。4時間かけて来たという。「お父さん、トラックの運転手で全国まわっていて、その時にちょうど大船渡のところで津波にあって、そのまま今のところ行方不明で」。どうしても父に話しかけたくて一人で来たという。
「……父さん、今、みんな4人とも家族全員でがんばってるから、心配しなくていいよ、お父さんは、元気?」
「聞きたいことが一つある。
なんで死んだんだよ。なんでお父さんなんだよ。
なんで俺だけなんだよ。ずっとそう思ってたよ。
なんで俺だけは周りのみんなと違うの。

学校とかでさ、家族の話になると、絶対みんな気をつかって俺にお父さんの話ふってこないからさ。
みんな気を遣うんだよ。

とにかくさ、さっさと見つかってよ、ねえ、今、どこにいるの?
何も見つからないんだけど
お母さんが一番悲しんでるからさ
お父さんがいなくなって一番つらいのはお母さんだからさ
最後くらいさ、話がしたかったよ・・・・」


青森八戸の幸崎家。
廉くんが母親のひとみさん(48)に報告しています。
中学生の妹の鈴(りん)さん(14)、小学生の弟の陸くん(12)がいます。
父親の和彦さん(当時45)は、トラック運転手。あの日、急な出張変更を頼まれ大船渡を目指す途中で消息を絶った。震災後、ひとみさんは保険の外交員として働きながら3人の子供を育ててきた。震災の前の日、お風呂屋さんに行ったとき、長男の廉くんと末っ子の陸くんは、お父さんと一緒に入って、娘の鈴さんとお母さんが一緒だった。だから、きっとお父さんといろいろ話したので、いろんなことを思っているはずと長男の廉君を気遣います。

「震災から5年たって少しずつ日常が戻ってきた。でも時折突然甘えてくることがある。私がでかけるとき、ひとりこそっと来て、ぎゅうとかするんですよ」と母が言うと、「まあね、いつ、いなくなるかわからないからね。死なれると困るから。子供3人で何もできないし、金ないから」と廉くんが言えば、「何言ってんの、大好きだからでしょ。ほんとは、大好きなんですよ、ね」「だって、ダメじゃん、死んだら誰もいなくなるよ」「死なないし」「言ったな」「残して、死なないし、死ねないし。 あはは、あほだね、あんたも、そんなん……」

家族同士のたがいを気遣いながら過ごした5年間でした。「毎年この時期が来ると、もうそんなにたつんだねみたいな感じ…他人事だからね。あれからもう5年経つんだね、と言われてるうちらにしてみれば、まだ、たった5年、5年しかたってないみたいな…」(つづく)