「少年H」

木曜日、「見に行くぞ」という夫の掛け声で、自転車を走らせて、午前9時半からの「少年H]を見に出かけました。15年前にベストセラーになった妹尾河童さんの原作を読んだ時の感動がそのまま映画になっていました。
欲を言えば、小学生のH(名前の「はじめ」の頭文字)くんと、中学生のHくんは別の俳優さんで見たかった。思春期の少年H、子どもから大人へと疾風怒濤の内面を抱えた『少年』を等身大で見たかったと思いました。映画のHくんは、懸命に演じてそれなりに良かったのですが、あの小さな体では、いくらなんでも無理があったと…ちょっと残念です。
そのほかは、本当に原作で妹尾さんが書いた通りの映画になっていました。妹尾河童さんの自伝なのに、小説みたいに面白い内容と時代の様々な状況と深刻な精神の葛藤が描かれていて、あの戦争とは何だったのか…を考えさせて読みごたえがありました。その内容がとてもうまく映画化されていました。

ただし、映画は少年Hが主役というより、父親が主役でした。この父いてこそのHくんでした。あるいは、この母あってのHくんとも言えますが。それで小学生のHくんがメインになったのかも知れません。もう少し粘って15歳の少年俳優を探し出してほしかった!

昭和5年生まれのHくんですので、敗戦時は15歳。丁度、世の中の驚天動地の動きと、親離れ、自立の時とが重なります。赤盤レコードのうどん屋の兄ちゃん(小栗旬)や男姉ちゃん(早乙女太一)、教会のアメリカ婦人宣教師の帰国のエピソードが開戦前の時代の様子を描いています。そしてアメリカから届いたエンパイヤステートビルの絵ハガキがとんでもない事件を引き起こします。それを引き受けてお父さん(水谷豊)がH少年に語る辺りは泣けました。大きな時代の歯車のなかで見失ってはいけない物の見方。戦争はいつか終わる、終わった時に恥ずかしい自分になっていてはいけない。
戦争が終わって、「何やってん? あの戦争は何やったんや!」と少年は叫びます。少年の目には戦後の人々がワカメに見えます。時代の波に乗って右にも左にも揺れ動く。クリスチャンの母親(伊藤蘭)の信仰までも疎ましく反抗し、腑抜けに見える父親さえも否定してしまいます。そこから自立して看板絵の不死鳥で映画は終わります。
監督は「鉄道員(ぽっぽや)」の降旗康男。セットを作って燃やしたという神戸の街の空襲の焼け跡シーンなどリアルそのもの。


金曜日、朝、病院から電話があって、何事かと思ったのですが、父が「夜間せん妄」で、大部屋に移った方がよいので・・・という事でしたので、よろしくお願いしますと返事。「夜間せん妄」とは? 昼と夜の取り違えとか。個室に移って、腸炎を起こし隔離されたりして、それが治って丁度良かったです。
母と夫と3人で少し早目に病院へ。ナースステーションの近くの大部屋というので行ってみると、ちょうどリハビリの先生がついて歩行器で歩く練習の時間でした。談話室のところで待っていたら、父が来て、歩行器から椅子に腰を掛けさせてもらって、先生とお話です。血圧を測りながら、母と向い合せに座っているので、先生が「奥さん見えますか?」と訊ねられたら、父が「少しぼんやりしてます」と。どういう意味?と考えていると、先生が、「冗談言えるようになったら大したもんです」と。冗談だったの?
個室に居るときに大変お世話になった看護婦さんが通りがかりに私たちを見つけて、父の所によって下さいました。「お腹の調子も治ったし点滴がとれてよかったですね〜」と看護婦さんが父に話しかけています。母も父に「お世話になったのよ〜」と。そしたら父が頷きながら「キツイ看護婦さんや」と言うのでみんなビックリ!! 看護婦さんが大笑いして「え〜そうでしたか〜」。夫は、看護婦さんに悪くって「そんなこと言う患者さんいないよ〜」と小さくなっていますし、母と私は呆れて笑ってしまいました。「家では出来ん」というのは、父の誉め言葉? 昨日は上手に?その看護婦さんとも談笑していました。きびきびと働く病院のどの看護婦さんにも本当に感謝です。