★「2016-04-13 来日したムヒカ前大統領は日本人に何を語ったのか?」(http://seeing.hatenablog.com/entry/2016/04/13/194807)
◎4月6日に初来日したホセ・ムヒカ氏について、先日、日経4月12日(火)朝刊の文化欄、「文化往来」というコラムに、ムヒカ氏のことや初来日の目的なども分かる要領のよい記事が出ましたので書き移してみます:
初来日「世界一貧しい大統領」の問いかけ
大統領になっても農場で質素な暮らし、月収の9割を寄付、シリア難民の九条を知ると率先して孤児を自宅に向かえた。その言動が尊敬を集める南米ウルグアイの元大統領、ホセ・ムヒカ氏(80)が6日、自身の半生を描いた本「ホセ・ムヒカ 世界で一番貧しい大統領」の文庫化を機に初来日し、東京都内で記者会見を開いた。
普段通りというノーネクタイにジーンズ姿。「長い歴史を持つ日本に興味を抱いてきた」と穏やかな笑顔であいさつした。目の色が変わったのは、世界にはびこる貧富の差や戦争、テロの話題に及んだとき。「私たちはかつてないほど矛盾をはらんだ時代に生きている。若い人には愚かな間違いを繰り返してほしくない。命ほど大切なものはない」「他者を破壊してまでエゴを満たしてはいけない」と熱を込めて語った。
軍事政権下では反政府ゲリラの一員として闘い、計十余年の投獄に耐えた反骨の人でもある。2012年にブラジルで開かれた国連会議のスピーチで、行き過ぎた大量消費社会に異を唱え、本当の幸せとは何かを問うて脚光を浴びた。
「私が日本に来たのは日本人に学びたいと思ったから。人類がどこに向かうのか、先進国の日本の皆さんに聞きたい」。その言葉にも辛口の文明批評の響きがあった。
◎このコラムが触れている「2012年にブラジルで開かれた国連会議のスピーチ」は、この年の8月のブログで私も取り上げたことがありました。ご本人の来日を機会にもう一度全文をコピーしてみます。その前に、当時日本からは玄葉外務大臣が出席したこの会議の説明を当時の外務省のサイトから:
国連持続可能な開発会議(リオ+20)(2012年6月20日〜22日,ブラジル(リオデジャネイロ))
2012年6月20日(水曜日)〜22日(金曜日)までの3日間,リオデジャネイロ(ブラジル)において,「国連持続可能な開発会議(リオ+20)」が開催されました。
リオ+20は,ブラジル政府が,1992年の「国連環境開発会議(地球サミット)」(「環境と開発に関するリオ宣言」やそれを具体化するための「アジェンダ21」が採択されたほか,気候変動枠組条約や生物多様性条約が署名されるなど,今日に至る地球環境の保護や持続可能な開発の考え方に大きな影響を与えた。)から20周年を迎える機会に,同会議のフォローアップ会合を行うことを提案したことを受け,2009年の第64回国連総会で開催が決定されたものです。
我が国は,この会議に関連して,以下のような活動を行いました。
(詳しくはコチラで:http://www.mofa.go.jp/mofaj/gaiko/kankyo/rio_p20/gaiyo.html)
◎社会の発展で人は本当に幸せになったのか? 今回の来日時にも学生たちに「日本人は本当に幸せですか?」という問いかけをなさったそうです。社会的地位やお金が人を幸せにするだろうか? 幸せとは? 古くて新しい根源的な問いかけですが、どうでもよい問題にしてはいけないと思います。それこそ経済や政治に携わる人たちの大きな課題だと思いますね。それでは2012年リオ会議でのホセ・ムヒカ大統領のスピーチを内村氏の翻訳で:
ana.bi/2012/07/mujica-speech-nihongo/)
リオ会議でもっとも衝撃的なスピーチ:ムヒカ大統領のスピーチ (日本語版)
Posted by Akira Uchimura/July 22, 2012
会場にお越しの政府や代表のみなさま、ありがとうございます。
ここに招待いただいたブラジルとディルマ・ルセフ大統領に感謝いたします。私の前に、ここに立って演説した快きプレゼンテーターのみなさまにも感謝いたします。国を代表する者同士、人類が必要であろう国同士の決議を議決しなければならない素直な志をここで表現しているのだと思います。
しかし、頭の中にある厳しい疑問を声に出させてください。午後からずっと話されていたことは持続可能な発展と世界の貧困をなくすことでした。私たちの本音は何なのでしょうか?現在の裕福な国々の発展と消費モデルを真似することでしょうか?
質問をさせてください:ドイツ人が一世帯で持つ車と同じ数の車をインド人が持てばこの惑星はどうなるのでしょうか。
息するための酸素がどれくらい残るのでしょうか。同じ質問を別の言い方ですると、西洋の富裕社会が持つ同じ傲慢な消費を世界の70億〜80億人の人ができるほどの原料がこの地球にあるのでしょうか?可能ですか?それとも別の議論をしなければならないのでしょうか?
なぜ私たちはこのような社会を作ってしまったのですか?
マーケットエコノミーの子供、資本主義の子供たち、即ち私たちが間違いなくこの無限の消費と発展を求める社会を作って来たのです。マーケット経済がマーケット社会を造り、このグローバリゼーションが世界のあちこちまで原料を探し求める社会にしたのではないでしょうか。
私たちがグローバリゼーションをコントロールしていますか?
あるいはグローバリゼーションが私たちをコントロールしているのではないでしょうか?
このような残酷な競争で成り立つ消費主義社会で「みんなの世界を良くしていこう」というような共存共栄な議論はできるのでしょうか?どこまでが仲間でどこからがライバルなのですか?
このようなことを言うのはこのイベントの重要性を批判するためのものではありません。その逆です。我々の前に立つ巨大な危機問題は環境危機ではありません、政治的な危機問題なのです。
現代に至っては、人類が作ったこの大きな勢力をコントロールしきれていません。逆に、人類がこの消費社会にコントロールされているのです。私たちは発展するために生まれてきているわけではありません。幸せになるためにこの地球にやってきたのです。人生は短いし、すぐ目の前を過ぎてしまいます。命よりも高価なものは存在しません。
ハイパー消費が世界を壊しているのにも関わらず、高価な商品やライフスタイルのために人生を放り出しているのです。消費が社会のモーターの世界では私たちは消費をひたすら早く多くしなくてはなりません。消費が止まれば経済が麻痺し、経済が麻痺すれば不況のお化けがみんなの前に現れるのです。
このハイパー消費を続けるためには商品の寿命を縮め、できるだけ多く売らなければなりません。ということは、10万時間持つ電球を作れるのに、1000時間しか持たない電球しか売ってはいけない社会にいるのです!そんな長く持つ電球はマーケットに良くないので作ってはいけないのです。人がもっと働くため、もっと売るために「使い捨ての社会」を続けなければならないのです。悪循環の中にいるのにお気づきでしょうか。これはまぎれも無く政治問題ですし、この問題を別の解決の道に私たち首脳は世界を導かなければなりません。
石器時代に戻れとは言っていません。マーケットをまたコントロールしなければならないと言っているのです。私の謙虚な考え方では、これは政治問題です。
昔の賢明な方々、エピクロス、セネカやアイマラ民族までこんなことを言っています
「貧乏なひととは、少ししかものを持っていない人ではなく、無限の欲があり、いくらあっても満足しない人のことだ」
これはこの議論にとって文化的なキーポイントだと思います。
国の代表者としてリオ会議の決議や会合をそういう気持ちで参加しています。私のスピーチの中には耳が痛くなるような言葉がけっこうあると思いますが、みなさんには水源危機と環境危機が問題源でないことを分かってほしいのです。
根本的な問題は私たちが実行した社会モデルなのです。そして、改めて見直さなければならないのは私たちの生活スタイルだということ。
私は環境資源に恵まれている小さな国の代表です。私の国には300万人ほどの国民しかいません。でも、1300万頭の世界でもっとも美味しい牛が私の国にはあります。ヤギも800万から1000万頭ほどいます。私の国は食べ物の輸出国です。こんな小さい国なのに領土の90%が資源豊富なのです。
私の同志である労働者たちは、8時間労働を成立させるために戦いました。そして今では、6時間労働を獲得した人もいます。しかしながら、6時間労働になった人たちは別の仕事もしており、結局は以前よりも長時間働いています。なぜか?バイク、車、などのリポ払いやローンを支払わないといけないのです。毎月2倍働き、ローンを払って行ったら、いつの間にか私のような老人になっているのです。私と同じく、幸福な人生が目の前を一瞬で過ぎてしまいます。
そして自分にこんな質問を投げかけます:これが人類の運命なのか?私の言っていることはとてもシンプルなものですよ:発展は幸福を阻害するものであってはいけないのです。発展は人類に幸福をもたらすものでなくてはなりません。愛情や人間関係、子どもを育てること、友達を持つこと、そして必要最低限のものを持つこと。これらをもたらすべきなのです。
幸福が私たちのもっとも大切なものだからです。環境のために戦うのであれば、人類の幸福こそが環境の一番大切な要素であるということを覚えておかなくてはなりません。
ありがとうございました。
◆引用元:「67回目の原爆の日とムヒカ大統領のリオ・スピーチ」(http://d.hatena.ne.jp/cangael/20120806/1344215609)(ムヒカ氏の写真と地図はネットから戴いて追加)
ブログでは、翻訳者の内村氏のコメントと写真も取り上げていますが、コメントによると、2012年当時は日本語に翻訳されていなかったのですね。そこで、「チリ人の母と日本人の父のもとに、コスタリカで生まれ、小さいころから父の仕事で国を転々しながら育ってきた」内村氏は、「日本と世界を繋げるのがライフワークなのだ」と思って、この翻訳に取り組まれたところ、4日間で「50万アクセスの反響」があったと書いておられます。4年前ですが、まだお若いパパです。
◆1992年6月、12歳の少女による「リオの伝説のスピーチ」はこちら:「あなたが世界を変える日」(http://d.hatena.ne.jp/cangael/20110103/1294023215)
「1992年の6月11日、ブラジルのリオ・デ・ジャネイロで開かれた国連の地球環境サミット。カナダ人の12歳の少女が、いならぶ世界各国のリーダーたちを前にわずか6分間のスピーチをした。そのことばは、人々の強い感動を呼び、世界中をかけめぐり、いつしか「リオの伝説のスピーチ」と呼ばれるようになった。「私たちひとりひとりの力が世界を変えていける」ということを、いまも世界中に伝えつづけている少女の言葉を、あなたに届けます。」(小学校だより)
著者はセヴァン・カリス=スズキ(SEVERN CULLIS-SUZUKI)という1979年生まれの日系4世。
「リーダーたちの中にはロシア前大統領のゴルバチョフや、後にアメリカの副大統領になるゴア」がいて、6分のスピーチが終わると、「リーダーたちは立ち上がってセヴァンを祝福し、涙を流しながら駆け寄って、サミットで一番すばらしいスピーチだったとほめたたえます。」(あとがきから)
◆映画「セヴァンの地球のなおし方」(http://www.uplink.co.jp/severn/)
(花の写真は、南の庭で咲く山野草のエビネ蘭とシャガとスミレ)