ジューンベリーと半世紀以上も前の若葉のころ


「6月の実・ジューンベリー」という名前を持つ我が家の日除けの木の実、去年と違って今年はドッサリ実をつけ、手で届くところは手で、高い処は高枝ばさみで、実を取って、洗ってそのまま食べました。実も大きくて、野性味のある味が好評で、両親もつまんでいました。
先日、黒いものがバサッと動くので、何ごと?と思ったら、カラスが木の実を食べに来ています。2日ほど来ていましたが、一番美味しい時期を知っているようです。ジューンベリーは「5月の実(メイベリ―)」で終わってしまいました。写真は先週金曜日のもの。
◎安倍首相の断言癖は今に始まった事ではないのですね。
福島原発事故の前に、国会で津波対策の不備を指摘されたのに、「絶対大丈夫」という答弁をしていたことは後で知りましたが、こうやって並べてみると、この方が「断言」することは、「これは実現不可能」とわたしたちの側では学習してしまいますね。

内田樹さんがリツイート


唯門居士 ‏@yuimonkoji · 5月30日

今の今まで、お前が「断言」して、何か一つでもその通りになったことあるか?その(1)


今の今まで、お前が「断言」して、何か一つでもその通りになったことあるか?その(2)


今の今まで、お前が「断言」して、何か一つでもその通りになったことあるか?その(3)


今の今まで、お前が「断言」して、何か一つでもその通りになったことあるか?その(4)


内田樹さんがリツイート


140B中島 ‏@maido140b · 6時間6時間前

ケチな都知事の無駄遣いより沖縄米軍属の強姦殺人死体遺棄事件(何故こう言わん?)やケイマンの63兆円のほうがマジメに税金払てる国民にとって重要なことぐらい小学生でも分かる。安倍の「身内とお友達」の罪を報道できんマスメディアは「忖度とお追従と小物イジメしかできん集団」とでも言うたろか


◎中学校の生徒会で仲良くなった4人、男子は二人とも同じ、女子の二人は別々の、府立高校へ。進学した学校は別々でも、3カ月に一度4人の自宅で持ち回りで集まって経験交流しよう、と誰が言いだしたのか、そういうことになりました。男子の一人は村のお寺の次男坊。中学時代から坊主頭で、シーズン時には親の代わりにお勤めのお経も上げると聞いていました。もう一人の彼は小学校が一緒なので何度も同窓会で会っています。彼は弁護士、大きな企業や政党相手の大阪の一等地にある事務所の責任ある立場。数年前、「君、何してんねん、相変わらず弱い者の味方か」と言われました。
さて、この4人で、お寺で集まったこともあり、順番で、お正月に我が家でということになりました。私はテレビでハリーベラフォンテの番組があって、”マズいな〜見たいのに…”とちょと困っていた覚えがあります。その時、以前にも書いたのですが、お寺の息子の彼が、奴隷解放の闘いを描いた映画「スパルタカス」の話をしました。彼が見たカーク・ダグラスが英雄的な奴隷を演じている映画の話をしてくれました。3人で聞いていても手に汗握る話しぶりで、聞き終わったら映画一本分見たほどのリアルな興奮を覚えました。

去年の同窓会を切っ掛けに再会したKくん、牧落のお宅の前庭で奥さんと二人で育てている野菜や柚子やレモンを戴いたり、届けにきてくれたり。そのKくんから、電話があり、連休明けに、このスパルタカスくんが婿入りして住職となっている滋賀県のお寺を訪ねるけど、言伝はないかとのこと。「スパルタカスの話、よく覚えている」と伝えて…とその時は。
この月曜日、会ってきたからと、その時のお話をK君の近くの喫茶店で聞くことになりました。
琵琶湖沿いの浄土真宗の400年も続くお寺の住職さんで、丁度お寺を訪ねた記事が掲載された布教パンフレットがあるからと貰ってきてくれました。高校2年生ぐらい以来、会ったことも話したこともない旧友の72歳の写真を見ました。袈裟衣姿ですが、分厚いレンズの大きな眼鏡もそのままで、あの頃の面影の残る彦根の御坊様でした。私がもう一つ覚えていることは、彼が謝恩会で、軍歌の「勝って来るぞと勇ましく〜♪誓って国を出たからは♪」を延々最後まで歌ったことです。その話をK君にしたら、「わしも歌ってたんやで」と言われて、「そう?!」でした。彼に誘われてK君と他に一人、3人で歌ったそうです。K君も「あいつはマセとった、僕らとは別のどこかを生きとった」と言っていましたが、お坊さんとして大人扱いされて仕事をしていたからだったのか、国政選挙結果を深夜までラジオで聞いていたなんて中学生はあの頃いなかったはず。

法話」というコラムに写真入りで、「そっとつながる ホッがつたわる」という題で「生かされている私」を説いていますが、お似合いだと思います。夫婦でそれぞれ勲章も貰っているとか。きっといいお坊さんになって、地域の名士になってお役に立ってるんだろうと思うと、私が言うと、Kくんも、「そうや、彼には、おうてる。話は上手いし、知識も教養もある。ぴったりやろ」と。住職の仕事もあと2年で息子さんに譲って隠居とか。日曜以外なら今度は是非同窓会も出席するからとのこと。
「そうね、土日はかえって仕事で出られないと他にも聞いたので、次回はウィークデイにしないと。言い出しっぺは誰に、私?」「裏方はなんぼでもするから」「そう、じゃ、萱野のMさんとも相談するね」ということに。
「毎年ゴーヤを日除けに作っとるんやけど、食べる?」「買って食べるよ」「貰い手を探すのに困るほど生るので、出来たら持って行く」「ありがとう、じゃ」ということで。Kくんも、中学卒業以来初めて、55年ぶりに会ったけど、変ってなかった、2時間、喋りっぱなしだったとか・・・・もう一人のクリスチャンの彼女、ご主人の介護が大変と同窓会の返事に書いてあったけど、このコピーを送って連絡を取ってみようかな…  K君の話では、彼女に、土手で怪我の介抱をしてもらったことがあると話してたそうだから、それも伝えて……
あの4人の集まりは実際には1年ほどで、それぞれが受験勉強に入って立ち消えになってしまっていました。当時、下村胡人の「二郎物語」を読んだりしていたのでその影響だったのかな〜・・・遠くて青い若葉のころの私や彼らや彼女です。