春の花と同窓会

先日、団地の花壇の花を写真に撮りました。広い場所で咲き放題のユキヤナギ。狭い庭ではどうしても枝を切ってしまいがちですが、噴水みたいな樹形です。 

f:id:cangael:20190325132744j:plain

スノードロップの花。釣り鐘型に緑のふち飾りが可愛いです。

白い沈丁花。あたりに芳香が漂っています。

f:id:cangael:20190325132915j:plainf:id:cangael:20190325133205j:plain

我が家の庭も春たけなわ。手前にブルーのムスカリ、真ん中に白い傘が開いたようなバイモユリ、奥には密集して咲くクリスマスローズ

ムスカリは、夫の山仲間で北海道から単身赴任で来ておられたYさんが、サンルームから覗いて、”ムスカリ、懐かしいな~”と仰ったのが今も思い出されます。その後、定年で北海道に戻っておられます。あれ以来、ムスカリを見ると北海道の花なんだ…と思っています。

f:id:cangael:20190327152330j:plain   f:id:cangael:20190326124002j:plain

  昨日は、豊中のホテルで高校の同窓会がありました。誰とも事前の連絡を取らずでしたが、世話役のMさんに名札をもらって会場へ。古希の祝いを兼ねた前回から5年。今回は、母校のお花見を兼ねてでしたが、私は直接ホテルへ13時に。今回は座席指定なく、勝手に座ったところが3年2組の男性と女性と私と、もう一人の男性と4人で話し込むことに。

 人間関係の断捨離でもう高校の同窓会は辞めてもいいかと10年ほど前に思ったことがウソみたいでした。私にとっては無くてもよいぐらいの3年間の思い出でしたが、私のことを覚えていて、旧姓の私はXXだったと、私にとっては意外な感想を言ってくれる人がいました。

彼は、2年5組で一緒だったのですが、その時のクラス写真をA4サイズに拡大コピーして持参。24年前の阪神淡路大震災で被災し、家族4人、倒壊した家の隙間で助かった。その時、掘り出したアルバムの写真がこれだと言って。「じゃ、その後、大変だったのね、家は再建?」「そう、結局、同じ場所に建て直して今もそこにいる」と。クラス写真の面影が今もよく残っているので、すぐ分かりました。

 隣の席に座ったFくんは、転勤族で5年ごとにあった同窓会も前回から参加。たまたま隣に座った私をすぐ名前(旧姓)で呼んでくれて、いろいろお話を聞きました。右隣の女性、Aさんは豊中在住、今回は自転車でホテルまで。私が参加した同窓会でいつも同じテーブルに座って唯一お話しできる人でした。40代で夫に先立たれ、19歳の息子と残されたシャッター会社を切り盛りして、今はお孫さん12人と幸せに暮らしておられます。名刺の肩書は今回は「取締役 会長」に。この3人が3年2組の同級生。

その横に座った彼は、8組。まったくの知らない人。園芸部でバラ園を卒業土産に作ったという話。「それで、園芸はその後生かされましたか?」と聞いたことから、話が始まりました。大学も農学部で、肥料の研究をされていたとか。アメリカの農薬漬けの食品や農産物は日米の約束で表示できないことになっている。だけど、口にできるもんではない。文藝春秋誌に何か?の記事が載って、中国の目に留まって、それがきっかけで中国と縁ができて、今は安全な中国食材をサポートする会社を興して頑張っている、まだ現役とのこと。アメリカ産より、中国のほうが安全、という話でした。

 長生きしていると、いいことがあります。失った、消してもいいと思っていた高校時代をこうやって取り戻したり埋め合わせたりできるなんて、思ってもみないことでした。もちろん、みんなで言ってたのですが、健康で、会費の1万円が払えて、という幸運があってこそです。5年後の80歳の再会を約してお別れしました。

 そう、そう、この日は私たち夫婦の結婚50周年でした。帰ったら母がステーキでお祝いしようと待ってくれています。両親の金婚式で大勢が集まりましたが、今は昔。長生きするようになって、そんなにお目出たいことでもないような・・・健康と継続?に感謝の日です。