◎小雨模様の一日、父が読んでいる「文藝春秋」の九月特別号が回ってきました。分厚いので、どうしてかと思ったら「芥川賞発表」で「受賞作全文掲載」となっていました。毎回、必ず読むようにしていますが、どうしてこれが? とか、最後まで読めなかったり、読んでもあまり印象に残らなかったりというものが多いのですが、今回の村田紗耶香さんの「コンビニ人間」は、前日から読み始めて、面白くて、翌日.時間ができると一気に読み終えました。一言でいうと、内容も主人公も、”コワくてカワイイ”。ところで、九月号の特集は二つあって、「天皇『生前退位』の衝撃」と「戦前生まれ115人の遺言」です。つい先日(19日のブログ)、戦没詩人の竹内浩三を取り上げたので、戦争はダメと言う方たちの「遺言」を書き移してみます。115人の中には教育勅語や修身の復活を遺言にする人もいたりしますが、戦争を知っている最後の世代として今の状況を心配している人たちが多かったと思います。
●原爆を落とされる国に誰がした中島誠之助(古美術鑑定家・1938年生)
私は昭和13年の生まれだから日中戦争の真っただ中で確実な戦中派だ。ただし世代でいえば戦後焼跡派に属している。世代としての重要なことは、進駐軍の米兵を目の当たりにしてアメリカに対するあこがれと忌避の両方をもって育ったことだ。
東京がまだ平穏だった昭和18年には、芝にあった伯父の骨董店の二階から山本五十六元帥の国葬を見物している。アッツ島の日本軍守備隊玉砕の話は聞かされていたが、まだ子供心にそれほど深刻なものではなかった。
身に染みて戦争の怖さをしったのは、登下校の際に艦載機グラマンの機銃掃射を喰らってからだ。湘南に住んでいたものだから、夕方になるとB29爆撃機の大群が帯のように列を作り富士山の上空で方向を変えて飛んでゆくのが見える。
空襲で東京がやられ横浜がやられ、その夜は東の空が真っ赤になる。大人たちは黙って空を見上げている。喋ると警察にスパイ容疑で逮捕されるのだ。
サイパン島が陥落し日本人は全滅したという。沖縄に出撃した義烈空艇隊は、乗ってきた搭乗機を燃やしてから米軍陣地に突撃するのだという。日本人は全員が死ぬのだと聞かされた。絶対最後の一人にはなりたくないと思った。次々と殺しあえば死ねるが、最後の一人になったら誰も殺してくれないことになる。子供だから自殺を知らないわけだ。
マッチ箱一つの爆弾で都市が壊滅したという。敗戦で鵠沼海岸に上陸してきたアメリカ兵からガムをもらって甘さに驚き、米軍に接収された邸宅の裏口に並び残飯をめぐんでもらい飢えをしのいだ。
平和に暮らす人々が殺され住み家を燃やされ文化財を破壊し、何が大日本帝国だ。原子爆弾を落としたアメリカを責める前に、落とされるような国家に誰がしたのだ。
昭和を生きた私が言い残すことは只一つ、日本は絶対に戦争をしてはならないということだ。
◎二人目は大沢悠里という方、知らない方ですが、内容で選びました:
●優しい外交が世界を救う
大沢悠里(フリーアナウンサー・1941年生)
今、安倍首相をはじめ、世界中の指導者が戦争の本当の悲惨さを知らない世代になりつつあります。これは、とても怖いことです。
今の若い人は、そう簡単に戦争にはならないと思っているでしょうが、戦争は偶発的、突発的に起こります。今現在も、虎視眈々と他国への侵略を狙っている国があるかもしれません。しかし、武力対武力の構図は、歴史的事実からして、必ずお互いに不幸になる結果が待っています。
現在も、世界から争いは絶えることがありません。イラク戦争をきっかけに、テロが世界中に拡散しました。7月1日にも、バングラデシュで日本人7人がイスラム過激派組織の武装グループに殺害されるという痛ましい事件があったばかりです。南シナ海では米中の軍事衝突が懸念され、北朝鮮はミサイルを発射し続けている。
そんな世界の風景を見て、「日本も抑止力として核を持たなければならない」という若い人もいます。ですが、日本は世界の大きなうねりに巻き込まれてはなりません。むしろ、日本人のもつ優しさを武器として、それぞれの国に握手を求め、対話を求めてゆく、やさしい外交を模索していってほしい。実際の外交はそんなに甘くない、と笑われるかもしれませんが、それは日本にしか果たせない役割だと思います。
そのためにわれわれ戦争を知る世代ができることは、戦争の悲惨さを伝え続けていくことしかありません。
1945年3月10日の東京大空襲。私の母は、4歳になる私をおぶって、浅草から千葉の市川まで歩いて逃げたそうです。母が95歳になった2000年、私は母が戦争体験を語るのを録音し、自分のラジオ番組で何度も放送しました。今年亡くなったラジオパーソナリティの秋山ちえ子さんには、毎年8月になると番組で、戦争により餓死させられた「かわいそうなぞう」の話を朗読していただいていました。
われわれの悲惨な戦争体験を教訓として、日本が世界の平和をリードしていってほしい。いまこそ、外交立国・日本でありたいものです。どんな理由があるにせよ、他国に武器をもって入ってはいけません。戦争に加担してもいけません。
◎19日のブログ<「竹内浩三という”戦没の詩人”がいる。」稲泉連>の最後で、[NHK視点・論点(2014年08月14日)「シリーズ戦争と若者・竹内浩三の詩」]を紹介しました。この視点・論点の中では、浩三さんの日記が紹介されています。その中の一部を:
たとえば、1944年6月19日の日記。途中から読みます。
「おれだって、人に負けないだけ、国のためにつくすすべはもっている。自分にあった仕事をあたえられたら、死ぬるともそれをやるよ。でも、キカン銃かついでたたかって死ぬると云うのは、なさけない気がするんだ。こんなときだから、そんなゼイタクもゆるされないかもしれぬ。自分にあたえられた仕事が、自分にむいていようがいなかろうが、それを、力一ぱいやるべきかもしれぬ。しかし、おれはなさけないんだ」。
さかのぼって、4月14日の日記の一節。
「戦争ガアル。ソノ文学ガアル。ソレハ、ロマンデ、戦争デハナイ。感動シ、アコガレサエスル。アリノママ写スト云ウニュース映画デモ、美シイ。トコロガ戦争ハウツクシクナイ。地獄デアル。地獄モ絵ニカクトウツクシイ。カイテイル本人モ、ウツクシイト思ッテイル。人生モ、ソノトオリ」。
こういう内容を、軍隊での生活の中でこっそり書きとめたのだと知れば、驚きます。ここには個人の判断が感じられるからです。
(全文はコチラで:http://www.nhk.or.jp/kaisetsu-blog/400/195201.html)
◎この後も、詩を紹介して、こう話します:「竹内浩三という人の、性格としてのひょうきんさやウィットに富んだ資質などが、国の体制によって「強いられた死」という厳しい現実を、いまに伝える力となっている気がします。竹内浩三は、将来への夢をもった、おもしろいことが好きな一人の男の子です。この人も戦争で死んでしまったのか、と思うと、「戦争」や「戦死」という言葉そのものからは、ともすれば抜け落ちてしまうような、具体的な事柄が見え始めるのです。時代に飲みこまれる、とはこういうことかという恐ろしさが、伝わってきます。」「竹内浩三の作品は、戦争で命を落とした若者が書き残した言葉として、今もその複雑な思いを確かに伝えていると思います。」
竹内浩三さんの詩は、戦争遂行者の目に触れてはいけない詩でした。そのことを解っていたからこそ浩三さんは宮沢賢治の本に窪みを作ってその中に小さな深緑色の手帳を埋め込んでお姉さんに届けました。そうやって戦後まで生き延びた青年の真情が、生き残った人々や戦争を体験しない私たちや戦後生まれの戦争を知らない世代や想像できない世代の者にまで、戦争とは・・・を教えてくれます。
文春の中島誠之助さんの遺言の中には、空襲の炎を見ても、大人たちはスパイ容疑を恐れて黙っていたと書かれています。まして、戦争に強制的に行かされて戦わされた人たちは本当の想いを口にすることは無かったでしょう。家族のためにも自分のためにも、「お国のため」「大君(おおきみ)のため」と言い聞かせていたことでしょう。
◎山田太一氏の「●82歳」というタイトルの遺言の最後を端折って書き移してみます:
山田太一(脚本家・1934年生)
今ごろなにをいいだすのかといわれそうだが、戦争をしていたころの日本を思い出すと(敗戦時小学5年生)途方もなく非現実で子どものバカバカしい空想のようなのである。 本土大空襲を前にして、隣組が集まってバケツリレーで水をかければ火は消せると思っていたのである。中にはそんな訳に行くもんか、と思う人もいただろうが、隣組の訓練に参加しないと非国民とかスパイとか言われるから、行かないわけにはいかないのだった。
子どもの私も竹槍で上陸してくるアメリカ兵を刺し殺す訓練をしていた。学校がやるのだから少しは役に立つと思っていたのである。いや、大いに役に立つと思っていたにちがいない。
まさか軍の指導者までそんな訓練のバカバカしさを知らなかったわけはないだろう。しかし、もうやられるしかない、逃げるしかないでは、国民の闘志も湧かないだろうから、本当に空襲が来るまでの間は嘘でもバケツの水かけを有効だといっておこうというようなことではなかったのだろうか。
神風特攻隊だって、あの自爆で日本が盛り返すと指導者は思いようもなかったろう。やめなかったのは、目先、国民が希望を託しているから、といったところだろう。
この国に残すことは無いかといわれているわけだが、今と戦争中の日本と質はあまり変わらないと思っている。しかし、戦争中ほど露骨に国の都合で多量の日本人を使い捨てにしたりしないでいるのは、言うまでもなくその後戦争をしていないからだと思う。策を弄しても戦争を避ける人材が大事だと思う。(後略)
◎二人目の大沢悠里さんと同じことを、軍事評論家の田岡氏が具体的に述べている前半部分から:
●敵対感情を煽っては愚の骨頂
田岡俊次(軍事評論家・1941年生)
高校生のころ、世間では反軍感情の激しかった時代に、「軍事記者は面白そうだ」と思って以来約60年、防衛問題、軍事情勢を見詰め、軍事史や兵器、条約などを学んできた私にとり、近年安全保障問題が広く論じられることは結構だが、基本的知識を欠いた強硬論が高まる風潮には危惧を抱かざるを得ない。
例えば2013年12月、国家安全保障会議が発足直後に決めた「国家安全保障戦略」は「第一の目標」として「抑止力の強化」を掲げた。これは手段と目的を混同している。軍事史から見れば一国が他国を敵視して軍事力を強化すれば、相手も当然強化するから軍備競争の悪循環に陥り、巨費を投じても安全ならず、双方の破壊力が増大し、かえって危険が高まることが多い。
安全保障の要諦は出来る限り敵を減らすことにあり、敵になりかねない国はなるべく懐柔し、中立の国を抱き込み、友好国との親善を深める対外政策が重要だ。抑止力強化を国家戦略の目標にし、敵対感情を煽って防衛予算の増大を計るのは本末転倒、愚の骨頂だ。(後略)