◎半藤一利さんが90歳でお亡くなりになりました。戦争についてテレビでも何年か前まで精力的に出演して語っておられた姿を思い出します。今朝の「天声人語」は半藤一利さんを取り上げて「民主主義のすぐ隣にファシズムはある、そのことを国民はしっかり意識しなければならない」という半藤さんの言葉で締めくくっています。
◎ビジネス・インサイダーの追悼記事は2018年の半藤一利さんのインタビューです。タイトルの言葉は元々は勝海舟の言葉だったとか。また「ジャーナリズムが健全だったのは満州事変まで。情報が欲しいから媚びを売った」と言う見出しでは戦争中に新聞が戦争を煽った事実なども取り上げられています。「情報が欲しいから媚びを」なんて言葉は、安倍前首相の時から始まった新聞社トップとの会食や事前に質問を出しているという「首相記者会見」やホットケーキの報道ぶりなどを考えると、今も変わらない気がしてきます。一部省略して引用です:
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【追悼・半藤一利さん】「コチコチの愛国者ほど国をダメにする者はいない」若い世代へのメッセージ
『日本のいちばん長い日』『ノモンハンの夏』などの著書で知られ、幕末・明治維新からの日本の近現代史に精通する半藤一利さんが亡くなった。現代に生きる私たちに、歴史から何を学ぶべきかというメッセージを伝え続けてくれた。
半藤さんに一貫していた思いは、15歳で終戦を迎えた戦争への疑問だ。
「なぜ日本は無謀な戦争に突き進んだのか」
Business Insider Japanでは2018年夏、過去の過ち繰り返さないために歴史から何を教訓とすべきなのかを、若い世代に向けて語ってもらった。半藤さんは、当時の国際状況が「満州事変に似ている」と警告していた。
それから2年余。世界は新型コロナウイルスという未曾有の危機に見舞われている。半藤さんは「大多数に行った方が楽だからこそ、1人で冷静に考えよう」と話してくれた。私たちは今改めて半藤さんの言葉に耳を傾け、歴史に学び、自分の頭で考えてみたい。
(インタビューの初出は2018年8月8日)
半藤さんの戦争観には15歳で経験した終戦が大きな影響を及ぼしている。
撮影:岡田清孝
高橋:『歴史と戦争』(半藤さんの著書)が約9万5000部になったと聞きました。これほどまでに読者が広がっている理由をどう感じられていますか?
半藤一利(以下、半藤):私は64歳まで文藝春秋に勤めておりました。だから根は編集者です。私の編集者感覚からすると、このような過去の著作の内容を細切れに1冊にまとめて出しても、たぶん売れないと思っていました。しかし、いざ手にすると、第一に読みやすい。そして、引用箇所の前後の文章がないから、読者がこの短い文章を読んで自分でいろいろと考えることができる。こういう本も意味があるのだなぁ、と改めて見直しました。
高橋:本の中に「コチコチの愛国者ほど国を害する者はいない」という半藤さんの印象的な言葉があります。この言葉を私がTwitterやFacebookで紹介したところ、若者を中心に拡散されました。
半藤:冷静に自分で考えるためには良い本だと思います。
ちなみに、その言葉はもともと勝海舟の言葉です。引用箇所の前後を語りますと、勝海舟は「周りは全部、敵の方がいい」と考えていました。そうした方がわかりやすく、あれこれ考えたり目を配ったりする必要がない。自分の目的とする方向にまっすぐに進める。また、自分の経験からしても、頑迷な愛国者こそがかえって国を滅ぼすと思ってきました。
高橋:本には「忠義の士というものがあって、国をつぶすのだ」という勝海舟の言葉が紹介されていますね。
オヤジは国を愛していたからこそ、「悪口」を言っていたんだと思います
半藤:それを私が言い換えたのです。
私が子どもの頃に経験した、周りにいるコチコチの愛国者ほど、とにかく始末に負えないものはなかった。私の周りにも、たくさんのコチコチの愛国者の大人たちがいた。軍人、在郷軍人、さらには隣のオヤジだって危なかった。私はのべつ殴られていました。
高橋:どうして殴られたのですか。(以下省略)
焼死体を見ても何も思いませんでした。私自身が非人間的になっていたのです
高橋:なるほど。1945年3月10日の東京大空襲の記憶は鮮明に残っていますか。
半藤:ハッキリと覚えています。3月ですから、4月から中学3年生になるという時でした。母親と弟、妹、弟の4人は昭和18年暮れから、母親の生まれ故郷の茨城県に疎開していたので、オヤジと私の2人で現在の墨田区に住んでいました。当時は向島区吾嬬(あづま)町と呼ばれていました。
撮影:岡田清孝
空襲時は猛火と黒煙に追われ右往左往しながら必死にかなり遠くまで逃げました。よく逃げたと思います。空襲後、自分の家に帰る途中にたくさんの焼死体を見ました。そこら中に本当に人間とは思えない真っ黒なものがゴロゴロしていた。
でもそれを見ても、何とも思いませんでした。感覚が麻痺していました。それが今でも私の中に鮮明に残っていることです。
ヒューマニズムを持てとか、人道主義的であれとか、人間愛を大事にしろ、とよく言われるけれども、私自身がもうあの時には非人間的になっていた。子ども心にそう思いました。(以下省略)
基本的に人間は信用できないんだと思いました。特に大声で叫んでいるヤツは
高橋:人を信じたり、政府を信じたりすることもなくなったのでしょうか。
半藤:国家を信じるということはもうなくなりました。終戦後は、「何だ、人間ってこんなにインチキなんだ」とも思いました。戦争中に私をぶん殴ったような愛国者が、みんなたちまち敗戦後は「民主主義者」になっていた。学校の先生を含めて、みんな大人たちですよ。基本的に本当に人間というのは信用できないんだな、と思いましたね。特に大声で叫んでいるヤツは。
半藤さんは「メディアも含めて、日本は世界情勢に無知である」と話す。
REUTERS/Toru Hanai
高橋:戦争責任は国民全体にあったのか、それとも、A級戦犯とされたような戦争指導者にあったのか。半藤さんはどう思われますか。
半藤:戦争責任と一口に言っても、何をもって「責任」とするのか。戦争に負けたことの責任と言えば、それは当時の指導者にあったと思います。ただ、戦争を始めたことの責任について言えば、指導者だけではないと思います。
負けたことの責任は、太平洋戦争の4年半を丁寧に調べるほど、やはり指導者は全く無能無責任でした。
戦争を起こすまでの過程における戦争責任は、細かく分けた方がいい。昭和6年(1931)の満州事変から昭和13年(1938年)の国家総動員法を通過させるまでは指導者には責任があります。
高橋:陸軍幹部ですか。
半藤:いや陸軍も海軍もです。国家総動員法ができてから(太平洋)戦争を起こすまでの重大な責任は軍部にあります。これは間違いない。
さらに政治家にも責任があるのが、(日独伊)三国同盟を結んだこと。その誤った判断の上に南部仏印に進駐するというバカな判断を重ねていった。この辺りは政治指導者にも責任がある。
その後、アメリカから石油の全面禁輸という痛棒をくらい、もう戦争だ、戦争だと勢いがつき、平和を求めるなんて気持ちがなくなったことから言うと、国民にも随分責任はありますね。
ジャーナリズムが健全だったのは満州事変まで。情報が欲しいから媚を売った
高橋:本の中で「ジャーナリズムが煽ることでたしかに世論が形成される。その世論が想定外といえるほど大きな勢いをもってくると、こんどはジャーナリズムそのものが世論によって引き回されるようになる」と述べられていますね。
半藤:そうです。ジャーナリズムに煽られて加速した国民世論の勢いに押されて、ジャーナリズムがさらに加速してしまう。戦争を煽る奴がいるじゃないですか。今でもたくさんいますよね。
高橋:はい、中国や北朝鮮相手に戦争になっても構わないと、軽々しく言う人がいますね。
半藤:当時もいましたよ。「アメリカ、怖るに足らず」とか言ったりしてね。「アメリカは女が強い国だから、戦争をしたってすぐに止めたがるよ。女がすぐに止めろ、止めろと言うから」なんて変なことを言う奴もたくさんいました。そういう人たちの言葉に煽られて、どんどん勢いが付いちゃうと、その人たちがかえって世論に煽られてますますハッスルする。
ジャーナリズムが健全だったのは満州事変までですね。満州事変が起きた第一報は日本放送協会なんですよ。今のNHKですね。
当時はテレビがないので、ラジオの方が新聞より速いんです。出征している兵隊さんがどこでどう戦っているのか、故郷の人はみんな知りたい。それを新聞はラジオよりも早く報じたいと思えば、情報がものすごく欲しい。情報は全部軍部が握っているわけです。軍部に媚を売らなければ情報はもらえない。それですっかり軍部の宣伝機関のようになっていく。
高橋:今と似ていますね。政権から情報をもらいたい余りに媚を売っている記者もいる。
半藤:今とあんまり変わらないんです。新聞も、自分たちが戦争を煽っているつもりはなかったと思いますね。新聞社同士の競争もありますから。
ただ、よく各新聞社の社史には「軍部と内務省の圧力で言論を封じられたので、新聞もそうならざるを得なかった」と書いてありますが、それは嘘ですね。みんな自分たちで煽っていますから。競争で読者の要望に応じ、読者の関心を引くためにそうせざるを得なかったわけです。
高橋:それで新聞は当時、発行部数をどんどん伸ばしましたね。
メディアが頼りなくなっている。特に世界情勢に関して無知です
半藤:戦争は一番良い商売になるというのは、新聞社の密かな鉄則なんです。日露戦争の時からそうです。
満州事変が起きてから、大阪の朝日新聞だけが頑強に軍部批判をしていました。高原操(みさお)という編集局長が戦争を煽ったりなどせず、軍部批判をずっとしたのですが、不買運動が起きました。
当時は奈良県などでは一紙も売れなくなったと聞きました。朝日も満州事変翌年の1月か2月まで頑張っていたけれども、高原氏が全部長を集めて、「やむを得ない。今までの編集方針を変える」と涙の演説をうちました。
昭和8年に日本は国際連盟から脱退します。その時は斎藤実内閣です。のちに二・二六事件で殺された人です。どちらかと言うと、穏健内閣ですから国際連盟を脱退しないという方針に踏みとどまっていました。脱退派が閣僚に山ほどいて、大論議が起きていたにも関わらずです。
その時に、政府の尻を叩いて、早く脱退しろと唱えたのは新聞社です。全国の新聞社130社余りが合同で声明を発し、「日本はもう独自の道を歩いた方がいい」「何も米英のあごに使われる必要はない」と言って、脱退を促しました。国民もこれに喝采しました。このように新聞は煽ったんです。
高橋:半藤さんの目から見て、今のメディアの本質はどう思われますか。ジャーナリズムの社会的な使命という点ではどのようにごらんになっていますか。
撮影:岡田清孝
半藤:頼りなく危なくなっていると感じます。特に世界情勢に関して日本の新聞は無知ですね。当時も無知でした。スターリンとかヒトラーという人物について、ほとんど理解していなかった。政治家も軍人も新聞人もそうでした。今もそんなに理解していないのではないかと思います。
高橋:それはなぜでしょうか。今はネットでも情報が入ります。やはり言語の壁があったり、島国ということがあったりするのでしょうか。
半藤:関心がないのではないですか。日本にも昔は外務省にも陸軍省にもソ連通とか中国通とか、そういう人が山ほどいました。ところがあの人たちは何もわかっていなかったことが後でよくわかりました。文献を机の上に積んでいるだけで、わかった気になっていた。今も本当にわかっているでしょうか。
高橋:国際情報を必死に取ろうとせず、「アメリカ、怖るに足らず。日本は大丈夫なはずだ」とか「日本人は優秀な国民だから負けるはずがない」といったような考え方は、いったいどこからきているのでしょうか。
半藤:何なのでしょう。戦争中は「日本人は世界に冠たる民族だ」と言われ、そう信じていた人はたくさんいたと思います。軍人も官僚も政治家も民衆も、「日本は独自の歴史を築いてきた国であって、何と言ってもアジア随一の一等国である。神国なのである」という自信があったんじゃないですか。今はどうなのでしょうかね。似たようなところが最近は強いですね。
大多数の方に行くのは楽です。だからこそ冷静になって考えてみることです
高橋:今もネットではネトウヨが跋扈しています。コチコチの愛国者の問題は日本だけではなく、ドイツでもネオナチの問題など各国で見られますね。
半藤:そういう意味では、日本人だけを責める必要がないくらいに、各国で問題になっています。
昭和4年にウォール街の大暴落がありました。あの時まではアメリカはそれまでの世界のリーダーとしての役割、例えば国際連盟を作ったり、パリ不戦条約を作ったりして世界のトップを走っていた。
このウォール街の暴落をきっかけに、フーバー米大統領はアメリカオンリー、アメリカファーストに舵を切ったんです。ヨーロッパも自国ファーストになり、追随した。どの国も自国本位になった。同じことが今、現象として起きています。歴史は繰り返すのかと言いたくなりますね。
高橋:本の中で「天災は忘れたころにやってくる」との言葉がありました。やはり3世代を越えると、みんな忘れてしまうのでしょうか。
半藤:人は忘れる。そこで「人間は誰も歴史に学ばないというのが、最大の歴史の教訓である」という言葉が生まれたと思います。
今は、昭和4年後の満州事変前の時代によく似ているなと思わないでもないです。世界政治全体を見て、流れがよく似ているなと思います。あの時はヒトラーとかスターリンという人物が出てきた。スターリンが天下を取ったのは大正15年の昭和元年です。ヒトラーが昭和8年。今は北朝鮮の金正恩が出てきた。習近平も何を考えているのかわからない。もちろんトランプという訳のわからない大統領が出てきた。万事にお先真っ暗です。
高橋:そのような混迷の時代に若い世代はどのように対峙していけば良いのでしょうか。
半藤:その質問は最近、非常によく聞かれます。
人はともすれば「戦争だ、戦争だ」と煽る方に行きやすい。大多数の方にいた方が楽です。1人とどまって自分で考えるのはものすごく辛いことです。それは難しいことでもあります。大多数の側に行った方が楽に暮らせる。人間は楽な方にいく。
ですので、なおさらちょっととどまって、冷静になって考えてみることが必要だと思います。そのために、歴史に学ぶことがいっそう大事だと思います。
小説を読むようには面白くないかもしれないが、歴史は流れをきちんとたどると本当は面白いんです。ヒストリーはストーリーでもあるのですよ。
(聞き手・構成、高橋浩祐)
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