モビールと秋分の日


ちょうど一週間前の土曜日の夜、山口のYさんから電話がありました。夕食を終えて、帰省中の次男が音楽仲間に会うと言って難波に出かけ、夫と二人でブラタモリを見ていた時間でした。久しぶりの長電話で話し込んでしまいました。私からは、父のこと、母のこと、息子のことなど。Yさんは、今は大きな田舎家に一人暮らし。徳山からバスで一時間の山の中。引っ越されてすぐの頃、私も泊めてもらったことがありましたが、そのころは、お母さまがご健在。箕面から一緒に引っ越した老犬のピタもいました。ご主人をパーキンソン病で亡くされて、育てた娘さんたちもそれぞれ結婚して、親孝行ができるうちにと、そのころ一人暮らしをされていたお母さんとの同居を決めて、故郷の山口へ。京都の東山に、ご主人と病没された前妻さんのお墓と仏壇を購入。自分は実家のお墓に入ると決めておられます。気になることをすべて済ませて、今はストレスなしの生活と仰って、ときどき、東京の男の子三人の母親になっている下の娘さんのところへ出かけて、東京のお友達と会ったり。昭和15年生まれの4つ年上の先輩です。

ちょうど私が今、両親に親孝行ができる時期になっていて、後追いしている感じです。そういえば、ビーズ織りを教えてもらったりもしましたっけ。この時の電話で、今は、モビール作りをしているというお話でした。
昨日、ポストの中に珍しい手作りのB5ほどの大きさの茶封筒が入っていて、宛名の字を見ると妹の字に似ているし、誰からだろうと開けてみると、手作りモビールが出てきました。送ってくださったのです。早速、糸を輪にしてサンルームに吊るしてみました。トレーシングペーパーに作家さんの名前と猫や鳥の絵が写してあります。色画用紙を切り抜いて糸で吊るして作るようです。今晩、お礼の電話をしなきゃ。


雨の秋分の日のこと、午後の3時前、夫がワゴンの上の湯沸かしポットのところへ。コーヒー淹れるの?と私。「一寸待って、隣、聞いてくる」と両親のところへ。父は、圧迫骨折になった6月から、まったく食欲をなくしてしまった7月、食事介助のヘルパーさんと一緒に回復期の7,8月を過ごして、9月には何とか自力で食べられるようになりました。体重はまだ50キロにはなっていないかもしれませんが、週一回のリハビリデイサービスも普通の時間の送迎になっています。ただ、まだ普段はパジャマで過ごしていますし、床ずれ防止のため通電した特殊なベッドを使用して、朝は10時、11時ごろまで寝ていることが多くなりました。この日も、朝9時台のコーヒータイムは、母と3人で済まして、父にはカップに入れたコーヒーを届けていました。
応接間に入ると、父は、そのカップのコーヒーを前に座っているところでした。「お父さん、コーヒー淹れるけど…」と私が声をかけると、すぐに「ホット!」と声がかかってきました。「そう、今からコーヒー淹れるから、ホットで飲もう」と私。早速、玄関に新しく買った踏み台を出してスリッパをそろえて、我が家へ。我が家の玄関でも踏み台を置いて履物をそろえて、部屋に戻っている夫に「お父さんも飲むって…」。心配性の夫は、すぐ隣へ迎えに出ました。私は今日二度目の4人分のコーヒーを入れる準備に取り掛かりました。杖を突いて一人でも何とか歩いてこられるのですが、夫が玄関から手を引いてきて、「お父さんの手、冷たい。パジャマとカーディガンで大丈夫ですか、寒くない?」と心配しています。夫が玄関の方に戻って履物を整えている間に、父が母に、「熱があるんやろ」と言っています。

4人でテーブルに座ってコーヒーを飲むことに。母が、「お父さん、元通りになったね。どうしてあんなに食べられなかったんやろね。今は自分で、出したものはほとんど食べはるし、ワインも、ちょっとだけど、美味しそうに飲みはるし、元気になれたね〜」としみじみ。父も一つ一つ、うなづいています。個包装のクッキーを開けようとする父の手元を、夫が手出しをやめてじっと見ています。何とか開けることができました。握力も戻ってきたようです。
終わって杖を突きながら用心深く歩いて玄関の段差を杖に体を預けながらおもむろにクリヤーして外へ。雨が降っているので私が傘をさしかけ、片手を貸して隣の玄関へ。ここからは母に任せて我が家に戻りました。
夫に、「さっき、貴方が居ないときに、手が冷たいのは、貴方の方に熱があるせいだと言ってたよ」と報告。夫は、驚いて、「熱があるって?!」。「そう。いよいよお父さんは元通りね、憎まれ口は元気な証拠。次男が、父のことを、お祖父ちゃんは正直な人や。人の気持ちを考えないで自分の思ったことを言える人。普通の人になったらお祖父ちゃんじゃない、と言ってたから」「そうか、ホントやな〜。参ったな〜」と言いながら、辛辣な言い方が戻ってきた父の回復ぶりを二人で実感できました。