映画「『知事抹殺』の真実」と週刊朝日「佐藤栄佐久元福島県知事、”現在”を語る」

昨日は夫を誘って家中のガラス窓ふきを。いったん動き出すと徹底している夫には頭が下がります。濡れた雑巾で拭いた後を乾いたぞうきんで拭き上げます。これに新聞紙で艶出しをするとピカピカになりますが、これは省略。
気になるサンルームも外側のガラス窓ふきは夫に任せて、私はカーテン類を洗濯したり、家の中のガラス戸を拭くことに。3時ごろまでかかりましたがすっきりしました。
今朝はお弁当持ちで5時ごろまでと言って箕面の山へ出かけた夫、コーヒータイムに呼んだ母が、来年は74歳になるのに…と心配しますので、80歳まで山スキーをしたりやりたいことがあるので体を鍛えているのと私が代弁。母も、父の7〜80代のことを思い出してチョット納得、安心したようでした。

◎いつも貴重な記事を知らせてくださる「shuueiのメモ」さん、17日の記事に福島県元知事の佐藤栄佐久氏のドキュメンタリー映画の紹介と週刊朝日の記事の紹介がありました。3・11の福島原発事故後に初めて佐藤栄佐久氏の冤罪事件のことを知りました。これは広く知られてほしい事件だと思っていましたので、映画「『知事抹殺』の真実」の完成はとてもうれしいニュースです。予告編を先に。

収賄額0円の収賄罪…“抹殺”された福島県元知事が“現在”を語る


 原発事故のツケが電気料金値上げという国民負担に回される流れができつつあるが、福島県ではいまも復興の道筋が見えてこない。県知事時代に国の原発政策に異議を唱えた佐藤栄佐久氏(77)に福島の“現在”を語ってもらった

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「たとえ千年かかっても2千年かかっても、元の福島に戻してもらいたい」
 佐藤氏は郡山市の自宅で静かな口調で語り始めた。


 福島県では現在も8万人以上が避難生活を余儀なくされ、福島第一原発廃炉まで40年もの歳月を費やすと見られている。メルトダウンした核燃料(デブリ)の取り出しは困難をきわめ、賠償金や除染費用などの総額は21.5兆円の国の試算を上回る見方もある。


 それでも国は、ひたすら原発再稼働を追求しているだが、一方で政府の強硬姿勢にあらがうように鹿児島県と新潟県で“脱原発派知事”が誕生した。佐藤氏が力強いメッセージを送る。


国や電力会社が何と言おうと、県民のための知事なのです。国策に振り回される必要はない。もし電力会社にコントロールされるような人だったら、県民は選ばなかったわけですから。ただし、“原子力ムラ”はすごい力でかかってきますから、そのときこそ、精神力と知事としての真価は試されます。『国といつでもけんかするよ』という意気込みが必要です


 自らそうした姿勢を体現してきた佐藤氏は、参議院議員を経て1988年、福島県知事選に当選。以来、18年にわたって県政に携わってきた。しかし、2006年9月、実弟の会社が関与したとされる汚職事件の追及を受け、5期目の途中で辞任。同年10月に身に覚えのない“収賄事件”で東京地検特捜部に逮捕される。およそ3年間にわたる審理の末、東京高裁が認定したのは「収賄額0円」。それにもかかわらず、12年に最高裁で懲役2年・執行猶予4年の有罪判決が確定した。玉虫色の司法判断に対して「国策捜査」ではないか、と疑問視する声が後を絶たなかった


 事件後、佐藤氏は真相を明かす手記『知事抹殺―つくられた福島県汚職事件』(平凡社)を09年に出版。その著書をもとに自ら出演したドキュメンタリー映画が今秋完成し、来年1月から全国で順次、上映会が実施される予定だ。



 映画では、捜査や裁判での尋問シーンが克明に再現されていく。
 佐藤氏や関係者への取り調べは過酷をきわめた。厳しい追及に堪えかねたのか、3人の関係者が自殺を図った。佐藤氏が続ける。
私は一円のお金も受け取っていません。けれども検察官は自殺者が出たことを伝えてくる。私の支持者や部下がそのような取り調べを受けていると考えると、身を切られる思いがした。メディアも当局の見立てどおりに報じるばかり。検察官の巧妙な誘導もあって、私は虚偽自白をすることで早く事件を終わらせようと考えたのです


 裁判では否認に転じ、検察側と争う。しかし、佐藤氏自身の金銭授受が認定されない収賄額0円の収賄罪で有罪となる
事件はあきらかに冤罪です。しかも、原発事故とは無関係ではないのです
 今回の映画制作を企画した会社社長、三田公美子氏は語気を強める。
復興とか再生とか言いながら、国は五輪招致に浮かれ、原発事故などまるでなかったかのように振る舞っています原発にブレーキをかけた知事を辞職に追い込んでいったありさまを思えば、福島の原発事故は起こるべくして起きたのです私たちは事故が風化することを何より懸念しています。仲間たちが知事のもとに集まり、映画を作ろうという話がまとまっていきました


 佐藤氏は知事に就任してすぐに福島第二原発の事故に直面した11年の福島第一原発事故から20年以上も前のことだ。事故は隠されたまま、情報は東京電力から通産省(現・経済産業省)、資源エネルギー庁を経てようやく県に伝えられた。佐藤氏が振り返る。

地元の自治体は目の前の原発に何の権限も持たず、情報伝達も一番後回しにされたのです。こんなことがあってはならない。私は『同じ目には二度と遭うまい』と心に誓ったのです
 

 その後、東電のデータ改竄や事故隠しが相次ぎ、佐藤氏はプルサーマル許可を凍結03年4月には福島県内の原発10基が全停止する事態に至る



私は、大手メディアから“原発を止めたわがままな知事”に仕立て上げられていきました首都圏大停電の恐怖をあおり、中央との対立の構図が作られていったのです。メディアも検察と同根です。これが伏線となり、国策捜査へとつながっていったのだと思います


 佐藤氏の言葉を受け、この映画を監督した安孫子氏が語る。
事件は、栄佐久さんを社会的に抹殺しただけでは済まない悲劇をもたらしました。映画を見て頂いた方に、この事件を裁いてほしい。そして事件がもたらした現実を直視して頂きたい


 映画の中で、事件の取り調べ時に検察官が関係者に言ったとされる言葉が、象徴的に使われている。
知事は日本にとってよろしくない。抹殺する


 原発事故の責任は誰が負うべきなのか。その答えのありかを、この映画は暗示している。
週刊朝日  2016年12月23日号