映画「丸木衣里・丸木俊『沖縄戦の図 全14部』」と「来年の小6『社会の教科書』、沖縄戦「集団自決」の記述に「軍関与」「軍名」言及なし」

◎昨日琵琶湖の湖北でカヤックで遊んできた夫が今朝はソーメン山行とかで出かけました。ソーメンの具担当とかで、朝から私が刻んだ4人分の具を冷蔵パックに入れて六甲へ向かいました。

◎私は、被曝78年を迎えた広島平和記念式典のテレビ中継で一緒に黙とうをしたあと、十三の第七劇場で上映中の映画を観に出かけました。原爆の図を描いた丸木衣里‣丸木俊夫妻が沖縄戦の図を描いていますが、その映画です。

   【沖縄戦の図 全14部】

1982年~87年、丸木夫妻は沖縄に通い続け、地上戦の「現場」に立ちながら沖縄戦を連作14部に描いた。二人は、沖縄島や近隣諸島をめぐり、体験者の話に全身全霊を傾け、沖縄に関連する160冊以上の本を読み、研究者を訪ねた。戦後78年、今なお言えることのない戦争の心の傷から絞り出すように語られた証言に<かたち>を与えていた。全14部は、宜野湾市の佐喜眞美術館に全て収蔵されている。

◎チラシにか書かれていることで説明は充分だと思いますが、映画では夫妻が絵に取りかかる現場がよくわかります。その都度、近くの民家を借り切って庭の地面に画布(紙?)を敷いて、二人ながらに絵と取り組む姿やモデルを務める人たちとの交流が描かれます。図のタイトルに従って沖縄戦の様子が映され語られます。

とても印象的なのは最後に語られる二つの自然壕(ガマ)の運命です。チビリガマでは全員自決(強制死)の様子が克明に語られます。親子で包丁で刺したり、首をくくったりして殺し合って『自決』を果たします。もう一つのガマではハワイ帰りの一人がアメリカ兵は民間人を殺さないと知っていたので全員投降して助かります。

二つの違いは何なのか?教育の違いだと。皇国教育、軍国主義教育、玉砕教育、先陣訓教育(生きて虜囚の辱めを受けず)を受け、疑う事すら禁じられたがために、捕虜になってはいけないという本土の日本兵の命令に従った。女子供は辱めを受けると教え込まれた。一方、ハワイ帰りの男性は、幸運にも日本の軍国教育を受けていなかったし、アメリカでの戦時の民間人の扱いを知っていた。

当時から、人権などなかった日本。『臣民』で『天皇の赤子』でしかなかった日本人の民度の差が如実だったということです。それにしても、沖縄差別の上に立つ日本兵の振舞いは破廉恥だし、それが、まだ戦後78年経っても続いているのではないかと思うと本当に日本本土民として申し訳ない気持ちになります。

🔲教科書がこうなってしまっては、日本、相当、危なっかしくなってます:

こういう「流れ」が、日本社会では出来てしまいました歴史的事実の評価ではなく「空気の流れ」です同調圧力で、教育機関が「空気の流れ」に同調する。 こういう流れを創り出す連中を「保守」などと無難そうなラベルを貼って批判かわしに加担してきたメディアの罪も重い。
 
知ってる? 来年の教科書から、集団自決に日本軍の関与があったという記述がなくなるんだって。 小6が使う社会の教科書、沖縄戦「集団自決」の記述に「軍関与」「軍命」言及なし 24年度使用の教科書検定 - 琉球新報デジタル|沖縄のニュース速報・情報サイト
 

琉球新報

小6が使う社会の教科書、沖縄戦「集団自決」の記述に「軍関与」「軍命」言及なし 24年度使用の教科書検定

 

文部科学省は28日、2024年度から小学生、高校生が使用する教科書の検定結果を公表した。小学6年生が使用する社会の教科書では、検定に合格した3社3冊で取り上げられた「沖縄戦」の記述の中で沖縄戦の最中に発生した「集団自決(強制集団死)」について旧日本軍から住民への命令(軍命)などの関与があったことを示す説明記述がなかったいずれの出版社も、現行教科書での「集団自決」の関連での「軍命」「軍関与」に言及しておらず、従来方針を踏襲した形だ

 東京書籍(本社・東京)は「沖縄戦」についての写真説明で、「アメリカ軍の攻撃で追いつめられた住民には、集団で自決するなど、悲惨な事態が生じた」などとした。日本文教出版(文教、同大阪)は、「戦場となった沖縄」と題した章で「アメリカ軍の激しい攻撃」で追いつめられた住民の多くが、「集団自決」に及んだとし、教育出版(教育、同東京)は「沖縄戦」の写真説明で「多くの住民が集団で死に追いこまれるできごとが起こった」と記述。いずれも、「集団自決」について旧日本軍による「軍命」「軍関与」の記述はなく、検定意見は付かなかった

 本紙取材に3社は、「発達段階を踏まえた上で、学習内容と照らし合わせて適切なものとなるように編集委員会で検討した」(東京)、「小学生向けということで、事象をより掘り下げるべきかという判断があった」(文教)、「発達段階を踏まえて理解できるように記述する場合は、それなりの紙幅が必要になる。総合的に判断して記述を見送った」(教育)とそれぞれ回答した。

 文科省閣議決定などの「政府の統一的な見解」や、「最高裁判所判例」に基づいた記述をすることなどを求めた検定基準に照らした審議が行われているとし、「申請社において著作編集された図書だ」と回答した。

 「集団自決」の「軍命」「軍関与」については、2011年4月に最高裁で判決が確定した作家大江健三郎さんの著書「沖縄ノート」での記述を巡り、旧日本兵の親族が出版差し止めなどを求めた訴訟の大阪地裁判決(08年3月)で認められている。同判決は「沖縄県で集団自決が発生した場所すべてに日本軍が駐屯」したとし、「集団自決については日本軍が深く関わったものと認めるのが相当」と判示している。元沖縄キリスト教短期大学学長で、1945年3月に起きた渡嘉敷島の「集団自決」の生き残りだった金城重明さんら、複数の証言も残っている。

(安里洋輔、嘉数陽)