”天皇陛下の「お言葉」から今日の天皇制を考える”(内田樹X山崎雅弘「AERA」)

8月もいよいよ月末を迎えます。ブログの下書きをチェックしていると、アエラの記事が残っていました。読み直してみると消してしまうには惜しい内容でした。アエラ内田樹氏と山崎雅弘氏の対談です。山崎氏はちょうど『「天皇機関説」事件』という本を書いておられ、昨年、天皇が発表された「お言葉」を通して、内田樹氏と天皇制や戦争に至る時代の話をされています。私も、お二人のツィッターで毎日のようにお世話になっていますので、考えるヒントを頂くつもりで、コピーです:

内田樹さんがリツイート
山崎 雅弘‏ @mas__yamazaki 8月10日
天皇陛下の「お言葉」が示した「立場」と「象徴」 内田樹×山崎雅弘対談(AERAhttps://dot.asahi.com/aera/2017080300079.html?page=1


先日の隆祥館書店での内田樹さんとのトークイベントから、天皇に関するやりとりを編集したAERA誌先週号の記事が、ネットで公開されています。

天皇陛下の「お言葉」が示した「立場」と「象徴」 内田樹×山崎雅弘対談
2017.8.6 11:30AERA#皇室



 昨年8月、「象徴の務め、難しくなるのでは」と退位の意向を示唆するビデオメッセージを公表した天皇陛下。「お言葉」から今日の天皇制を考える。6月12日に行われた、『「天皇機関説」事件』発売記念トークイベントでの、山崎雅弘さんと内田樹さんの対談を公開する。


*  *  *


 山崎雅弘(以下、山崎):1935年の天皇機関説事件は、天皇制のあり方を客観的に論じることが、事実上タブーになるきっかけとなった出来事です。しかし、事件の名前は知られていますが、実際にどういう出来事だったのかを全体として語ることができる人はあまりいない。これは何とかしなければいけない、ということで執筆したのが『「天皇機関説」事件』です。


内田樹(以下、内田):僕は50年生まれですが、子どもの頃は天皇制についての深みのある議論を大人たちがしていたという記憶がありません。天皇の名を借りていばり散らし、理不尽の限りを尽くした人間たちの記憶があまりにも生々しくて、「天皇」というとその不快な経験を思い出すので、その話はしたくないということだったと思います。


山崎:戦後70年も経った今でも、なぜ天皇制が先の戦争のような大きな災禍を生み出してしまったのか、本来どうあるべきだったのかも、あまり語られませんね。


内田:去年の天皇の「お言葉」をめぐって、たぶん戦後初めて日本人は「天皇制とは何か、いかなるものであるべきか」について本気で考えるようになった。僕も今「天皇論」を書いているところですが、きっかけは明治維新から後、天皇制はどうあるべきかについての議論が深められていないことに改めて気がついたからなんです。




●国民に投げたボール


山崎:私自身、天皇の「お言葉」で特に驚いたのは、「個人として」という立場を明言されたことです自分は「独立した考えを持つ人間」として今からしゃべります、と最初に言われたので、すごく身近に感じました。そして最後に「制度上の問題がいろいろと生じているので、皆さんで考えてくれませんか」と、日本国憲法上の主権者である国民に対して頭を下げられた。それを考えると、政府の主導で出された「一代限り」という結論はおかしいと思いました。


内田:「お言葉」の中で印象的だったのは「象徴」という言葉を8回使われたことです。天皇は「日本国の象徴であり日本国民統合の象徴」であると憲法第1条は定めていますが、この「象徴」という語を僕たちはただ「記号」という意味でしか理解していなかった。象徴はどうあるべきかという、その働きについて議論をしたことがなかった。


 しかし、「お言葉」の中で陛下は「象徴的行為」という耳慣れない言葉を使われましたね。「象徴」というのは抽象的・普遍的な記号の働きであり、「行為」というのは生身の人間がある時点、ある場所で具体的に実現することです本来結びつくはずのないものです。この「結びつくはずのないものを結びつけた」ところに、「立憲デモクラシーにおける天皇制」の立ちうる足場があると陛下は考えられたのだと思います


山崎:わかります。


内田:陛下の言われる「象徴的行為」は事実上二つのふるまいを指しています一つは、先の戦争で倒れた人たちのために現地にまで足を運んで鎮魂慰霊の儀式を行うことですもう一つは、日本国内で災害や悲運に見舞われた人々のもとに足を運び、その苦労をねぎらい、痛み哀しみに共感を寄せることですこの具体的行為のことを陛下は「象徴的行為」と呼び、これが天皇の本務であると解釈したのです。憲法では、法律の公布や国会の召集解散や大使公使の接受などが「国事行為」として列挙されていますが、陛下は「天皇の本務」はそういうものではなくて、死者の鎮魂と傷ついた人々の慰藉という「象徴的行為」であるという新たな解釈を示された。これは国民に陛下から「ボールを投げた」のだと思います。




●目標なき国の悲哀


山崎:おっしゃる通りだと思います。例えば、南太平洋のペリリュー島は、死傷者も多く絶望的な戦場でした。最終的に勝った米軍側でも発狂する兵士が出てくるほど悲惨な戦いだったのです。そんな、極限的な場所を選んで行かれている。ちゃんと歴史を理解されたうえで行かれているんだなというのを感じました。


内田:日本人兵士だけでなく、アメリカ兵も現地の人々も含めて、その土地で死んだすべての人々の鎮魂のために祈ることが「天皇の本務」であるというのはまことに大胆な解釈だと僕は思います。


 過去の天皇の中でも、そこまできっぱりと踏み込んだ例はありません。陛下は天皇制のあり方についての「個人的」な考えを提起された日本国民全員はこの問いをわが身に引き受けて、誠実に回答を試みる必要があると思います。


 今の政権や有識者たちの天皇制をめぐる議論を見ていると、国家目標を失ってしまった国の悲哀を感じますね。


山崎:実は目標を失った、あるいは新しいビジョンを提示できないというのが30年代の日本でした。


内田:というと?


山崎:経済的には、世界恐慌の後遺症からまだ立ち直っていなかったこと。また、ロシア革命の後は日本にも共産主義の革命思想が入り、個々の労働者が自分の権利を意識するようになり、国民は国の中心である天皇に仕える存在だという政治思想、いわゆる国体思想が揺らぎはじめます


 さらに、31年の満州事変で日本に対する国際的な批判が高まりますが、政府の対応がまずくて国際連盟を脱退することになりました。これは特に日本の知識人にとって相当ショックな出来事でした。明治維新以来、日本は欧米列強の仲間入りすることを国家目標としてきたわけで、20年代まではそこそこ成功してきたはずでした。


 ところが連盟脱退によってその明治以来の目標が見失われ、今後どこへ進めばいいのかわからなくなったそんな混迷の中でよりどころとされたのが、天皇中心の国体思想でした日本にはもともと天皇中心の国体という立派なものがあるんだから、今さら欧米から学ぶ必要はない、手本にしなくてもいいんだと。個人主義自由主義、そんなのは18世紀の西洋の古い思想であり、日本には合わないものだと、内側にこもってしまったわけです。


内田:なるほど。




●良いことと信じ破滅へ


山崎:ただ、30年代後半の段階で将来の破滅を予測した人はいなかったみんなそれが良いこと、国のためになることだと信じていた日本は天皇という特別な存在をいただく国で、特別な歴史を持ち、他国と比べものにならない優れた国である、というまやかしの理屈で自尊心を満たしてしまった。けれども、それは独善的な主観にすぎないもので、当然現実とは合わない部分が次々と出てくる。


 その結果、対外関係もどんどん悪くなり、局地的な紛争があっという間に全面的な戦争へと拡大したのが日中戦争でした合理的な形で解決できなかった大きな理由は、相手をむやみに見下し、日本中心の視点でのみ物事を捉えるという、夜郎自大な思考だったと思います。



内田:今の日本とほとんど同じですねここ数年、歴史も現実も無視した「日本スゴイ本」が数え切れないほど出ていますが、こういう言説を絶え間なく服用していないと治まらないくらいに日本人は自信を失い、不安に苦しんでいるということなんでしょうね。


山崎:そうですね。ただ、戦前と同じような思考法にすがりつけば、結局また同じような道へ進んでしまうように思います。
(構成/編集部・三島恵美子)


AERA 2017年8月7日号