ペシャワール会、会報より『故郷(ふるさと)の回復』


10月中にペシャワール会の会報の記事を取り上げようと思っていたのに、11月も初旬が終わりそうです。
今回の会報を心待ちにしていました。きっと、中村哲さんは、アフガニスタンの水路建設のモデルとなった故郷の朝倉の水害について言及されるのではないかと思っていたからです。アフガニスタンだよりを今回はやはり朝倉の水害から書き始めておられますので、前半を書き移してみます:

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朝倉の豪雨災害とアフガニスタン
 −−−「故郷(故郷)の回復」、これが国境を超える共通のスローガン

     PMS(平和医療団・日本)総院長/ペシャワール会現地代表  中村 哲

 厚く長い夏が終わり、やっと秋の気配です。皆さん、お元気でしょうか。

朝倉の水害とアフガニスタン

 今夏日本で、いろんなことに遭遇しました。七月五日の福岡県朝倉市の洪水被害(九州北部豪雨災害)は寝耳に水で、まさかと思いましたが、帰国後訪れて驚きました。災害のパターンがアフガニスタンに似てきているのです。現地PMSにとって、朝倉は伝統技術のモデルを提供してくれた地でもあり、典型的な「日本の故郷」の一つです。無関心ではおれません。

 第一に、支流域の大被害です。これは集中豪雨が特定の地域(渓谷)に限局して大きな被害を起こし、他の地域では時に水不足さえ起こすほど、降雨が少ないことです。以前から知られていた「ゲリラ豪雨」の巨大化です。私たちがマルワリード用水路流域で悩まされてきたパターンに酷似しており、現地ではいかに土石流や鉄砲水を避けるかで多大の労力を割きました。
 元来「水害」といえば、本川の水があふれて、流域に被害をもたらすものが大半でした。治水の重点は本川の堤防強化に置かれていました。それが、いつ何時、背後をつかれるか分からない状態になったということです。
 第二に、膨大な流木です。日本は森の国です。国土の三分の二を占める森林は、アフガニスタンの万年雪に比肩されるほど漲水能力が高く、河川水の安定に寄与してきました。それがあっけなく削り取られ、尋常でない量の流木を生み、凶器として人里を荒らしたことが印象に残りました。
 敗戦直後に植林されたスギやヒノキらの針葉樹は、今や森林の半分以上を覆っています。自然の雑木林と異なり、手を加えないと根が浅くなり、保安林として機能し難くなります治山が治水と一体であることは、以前から強調されてきたことですが、これほどの被害を体験したのはおそらく近年なかったことです。

 植生に乏しいアフガニスタンは流木こそありませんが、巨礫の塊が音を立てて鉄砲水とともに谷を下ってきます。朝倉の被害地の流木の山は、それを彷彿させるものがありました。

治山から見えるもの

 異常が気候変化=温暖化に由来することは間違いなく、危機的な状況は日本も同じだと感じています。更に、飢饉こそないものの、日本では深刻な問題が加わります。里山の衰退です。アフガニスタンのように、水さえ引けば多くが回復するという単純な図式ではなくなっています
 象徴的なものが流木の処理です。これには改めて愕然としました。アフガニスタンでは流木も大変な貴重品で、洪水となれば村落は活気づき、一家総出で流木拾いに熱中する光景が普通です。薪や建材を「収穫する」絶好のチャンスだからです。
 対照的に日本では、ごみとしかみなされない現実があります。加工すれば十分に材木や薪として使用できますが、加工や輸送に高い費用がかかり、安い輸入木材に太刀打ちできないのです。ここ週十年、外材輸入が林業に大打撃を受けました。最近になり、やっと三割の自給率を維持する程度なのです。
 しかも、大量の外材は南米や東南アジアなど熱帯雨林のある国々から来ます。熱帯雨林の急速な減少が温暖化を加速していることは、以前から危機的に述べられています。しかし、商業上の利益や市場(消費)の動向だけで「国の富」が考えられがちな世情で、このような流通のあり方こそが危機的な悪循環を作っているといえますおそらく農業も同様な構造であろうと思われます。安い、儲かると言っているうちに、自分たちの古巣を壊し、食べ物を作る人が居なくなってしまう事態になりかねません。
 このところ北朝鮮のミサイル騒ぎや世界的なテロ事件の広がりで、危機管理や国防が頻りに語られます。しかし、長い目で見れば、本当に怖いのは郷土の荒廃です。
 私たちの先祖が営々と築いてきた郷土は、単なる「日本の領土」ではありません。そこで息づいてきた文化ーー自然と折り合って生きる知恵、多様性を許す寛容さの源泉であり、戻る者なら誰をも慰め、受け入れる故郷です。どうしていいかわからぬ時に、とりあえず戻れる拠り所、大地と人間を結ぶ接点、それが伝統や故郷であって、決して売り渡さないものです。 世界は、さらに加速度を増しながら変貌し、破局への道を歩んでいるようにさえ見えます。生半可な手段や慰めでなく、郷土回復への真剣な努力が、今こそ必要なのは、アフガニスタンでなく、日本の方なのかもしれないと思いました。

(ここから「PMS秋の陣」という見出しで、現地の取り組みが語られますが省略)

 自然相手の灌漑事業、それも戦乱と気候変化という二重に不利な条件の中で、長い時間を覚悟しなければなりません。世界全体で見ても、人間の新局面に挑むフロンティアと呼んで過言ではないと思います。国家ではなく、故郷を思う気持ちは世界中同じです。「故郷(ふるさと)の回復」、これが国境を超える共通のスローガンです。
 アフガニスタンの「緑の大地計画」は、こうして普遍性を帯び、真の共同作業になっていくと確信しています。
 これまでと変わらぬご協力をお願い申し上げます。

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写真は鉢植えのストレプト・カーパスの花です。ずいぶん昔にお向いさんから苗をもらって育てたのを、母が上手に冬越しをさせて、今では母から、毎年春に差芽した苗を分けてもらっています。寒くなり始めると細くて長い柄の先に青みがかった薄紫色の花を咲かせます。トップと下の2枚目の写真は新芽をとった後の親株で2度目の冬を迎えます。