ペシャワール会報より「八月の政変以降の活動報告(2021年)」と中村哲氏「復興支援の傲慢を思う(2002年)」

今日はもう24日、クリスマスイブですね。1日早いですがイラストを拝借してみました。

◎月曜日、病院の面会で三つ目の抗生物質に変えたら効いてきたとのことでしたが、翌日火曜日の面会では肌の艶や表情が元に戻ったのが一目で分かりました。話もシッカリしてきました。ホッとして皆に連絡したのですが、昨日電話してみたらもっと良くなっているようで、面会が出来なくなりました。先週面会が出来たのは危篤だったからで、今は元気になって病院の決まりに従わなければならなくなりました。

お正月は病院で過ごすことになるそうです。2年間コロナで帰省できず祖母に会えていない孫の二人が帰省するので、お正月に面会させてほしいと伝えました。先生に相談して翌日の今日お返事が頂けることになっています。

危篤状態だと思われていたのが、抗生物質を変えたおかげで生の世界へ戻ってきました。生死は紙一重、薬によっては生死を分かつほどの違いがあるのだと改めて。母の生命力の強さでもあると思いますが、人間の生死は本当に分からないものです。良かったです、ホッとしました。

▼12月8日付ペシャワール会報から現地報告を。タリバンアフガニスタンを制圧してからPMSペシャワール会)の活動はどうなったのか心配でしたが、現地の副院長さんの報告が詳しく伝えていますのでソックリ移してみます。記事で紹介されている写真はモノクロームなのでカラーの写真をカメラで撮って挿入しました:

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事業再開への道

    ―――八月の政変以降の活動報告

         PMS副院長/ジャララバード事務所所長 ジアウル ラフマン

 

 親愛なる日本の皆様、いつも変わらぬご支援をありがとうございます。八月の政変に際して、私たちの無事を祈っているという皆様のお気持ちはPMS 支援室を通じて届いておりました。いま、私から直接皆様にお礼を申し上げることが出来て安堵しています。 

長老たちとの約束

 PMSは、タリバンが南部・北部・西武の州を制圧してアフガン政府を退却させた時点で会議を開き、アフガン東部クナール州が制圧されるまでは通常通り活動を続けようと話し合いました。そして同州が掌握された時に様子を見て、今後の活動をどうするか判断することを決めました。現在建設中のバルカシコート取水堰・用水路の現場の対岸がクナール州ヌールガル郡であるため、まずPMSスタッフの安全確保が第一と考えたからです。こうして我々は二〇二一年八月十四日まで通常通りに動いていました。

 八月十四日にタリバンがクナール州を制圧しました。その日私たちはバルカシコートでの工事を中断し、レンタル重機はナンガラハル州のオーナーの元に戻されました。PMSの重機や資機材はバルカシコート村の長老に託しました。彼は責任をもってそれらを守り、管理すると固く約束をしてくれました。また、PMSのミラーン灌漑事務所に置いてある車両や大切な道具はジャララバード事務所(本部)に移動させることにしました。しかし、クナール州制圧後、数時間でナンガラハル州も制圧されたため、実行されませんでした。そこで、ミラーン村代表の長老と速やかに約束を交わしたうえで預けました。

 ガンベリ農場のトラクターとその他の農機具などは村の代表に託しました。どの長老も預かった資機材を我々に代わって大事に保管することを約束してくれました。

 その日、ダラエヌール診療所での医療サービスは通常通り続けました。

経済制裁による影響

 タリバンアフガニスタン全土を制圧すると、恩赦の発表があり、国民に向けて仕事に戻るようにとの呼びかけがありました。これを受け、九月二日にPMSは農業事業を再開しました。ダラエヌール診療所は八月二一日に、すでに再開していました

 バルカシコート堰工事を開始できなかった理由はただ一つ、現金がなかったことでした。灌漑工事はレンタル重機や日雇いの作業員を多く要するため、大金が必要になります。ところが、アフガニスタン国際銀行(AIB)をはじめとするすべての銀行が一旦閉鎖したために、現金が手に入らなかったのです。

 九月になって新政権が、NGOと企業はひと月にアフガン通貨で二万五千ドル相当まで引き出して良いと発表したので、私たちも早速九月二〇日に銀行から上限額を引き出しました。一ヶ月後の十月一日に再び銀行に行きましたが、「申し訳ないが預金の引き出しは出来ない」と言われました。その後何度も電話をし続けた結果、十月二三日にアフガン通貨で一万ドル分を引き出すことが出来ました。

 農業事業からの収入と九月二〇日に銀行から引き出せた分で、工事現場で働く日雇いの作業員たちの賃金を二か月ぶりに支払うことができました。また十月七日にはバルカシコートの工事や河川観測(水位測定)などを再開しました。重機の燃料を購入できたために、まだ全開とは言えないものの、バルカシコート事業はゆっくり着々と進行しています。

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 PMSの活動再開に当たっては、まずタリバン政権下のナンガラハル州農業灌漑局とシェイワ郡長から彼らの事務所に呼ばれました。そこで、PMSの用水路工事建設担当のエンジニアと農業事業の責任者が彼らに活動を説明しました。すると、彼らはPMS事業の視察に来ました。現場を見た彼らは私たちの事業を称賛し、ドクターサーブ中村への多大な賛辞を述べて、いかなる協力も惜しまないと約束しました。

 カブールの情勢がほぼ平常に戻ったことを確認したうえで、PMSのドクターサーブ ナカムラ コミッティーのメンバー数名が、タリバン担当官との協議のためにカブールに向かいました。担当官は私たちの事業を再開しても良いと告げ、治安維持への協力を申し出ました。私たちはジャララバードに戻って再び会議を開き、PMSの全事業を再開することを決定しました。現在、PMSの全てのプロジェクトは進行しており、他のNGOが全て活動を停止しているなかで、PMSが活動を続けていることは何より意義深いことです。

私たちの日常業務

  PMSの一日は毎朝八時に始まります。朝礼で全職員の出欠確認を経て、それぞれの勤務場所に向かいます。 各現場から物品購入の依頼があれば、購買担当がバザールに出向いて見積もりを取ります。また、バルカシコートの工事現場とガンベリ及びミラーンの各事務所からのリクエストに応じて、ジェララバード事務所で燃料を専用車に移して現場へ届けます。各事務所は現場職員の出欠と作業員数の確認、現場倉庫のストックの確認をして、ジャララバード事務所に報告します。ジャララバード事務所はこれらの報告書をまとめて日本に送ります。

 以上が、私たちの日常業務の内容です。感謝を込めて、ご報告いたします。

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◎もう一つの記事は約20年前に書かれた故中村医師の報告です。20年後の今読むと、もう手遅れかも知れないと思いつつ、それでも・・・

中村医師の報告から   *ペシャワール会報72号(2002年7月10日発効)より

復興支援の傲慢を思う

     ―――アフガニスタン旱魃(かんばつ)の危機

 

◆2001年度を振り返って

「もう、これくらいで放置していただきたい」というのが、一言で述べ得る感想である。現在のアフガニスタンの状況は、大の大人が寄ってたかって、瀕死の幼子を殴ったり撫でたりしているのに似ている。この一年間、私たちにとって成果と言えるのものは、「情報化社会」が必ずしも正しい事実を知らせず、むしろ、世界中に錯覚を振りまいて、その結果、私たちが振り回されることになるのを身に染みて知ったことである。無理が通れば道理が引っ込む。世界を支配するのは、今やカネと暴力である。

 現実が伝わりにくいのは理由がある。私たちが事実を素直に見る眼を失って、独善的な世界に住んでいるからだ。密閉された情報空間で、話題性の実に振り回され、虚像が実像と混同されるのは恐ろしい。空爆対テロ戦争と同じ論理で、復興支援のシナリオがまかり通る。「遅れて貧しい人々を助けたい。その進歩発達を阻んでいた『圧制』から解放され、自由と民主主義がもたらされようとしている。この復興に力を貸すのだ」というのが大方の考えだろう。しかし、これは完全な錯覚である。文明の名に置いて、一つの国を外国人が破壊し、外国人が建設する。そこに一つの欺瞞が潜んでいないだろうか。

 昨年九月、米軍の空爆を「やむを得ない」と支持したのは、他ならぬ大多数の日本国民であった戦争行為に反対することさえ、「政治的に偏っている」と取られ、脅迫まがいの「忠告」があったのは忘れがたい。以後私は、日本人であることの誇りを失ってしまった。「何のカンのと言ったって、米国を怒らせたら都合が悪い」というのが共通した国民の合意のようであった。

 だが、人として、して良いことと悪いことがある。人として失ってはならぬ誇りというものがある日本は明らかに曲がり角に差し掛かっている。日本の豊かさは国民の勤勉さだけによるのではない。日本経済が戦争特需によって復興し、戦争特需によってと実と繁栄を築いた事実を想起せざるを得ない。そして、富を得れば守らねばならなくなる。華美な生活もしたいが、命も惜しいという虫の良い話は無い。殺戮行為を是認してまで華美な生活を守るのか、貧しくとも堂々と胸を張って生きるかの選択が迫られていたと言える。対テロ戦争」は何を守るのか。少なくとも命を守るものではなさそうである。

 未来を予測するのは、幾分恐ろしい。「アフガニスタン」は何かの終局の始まりを暗示している。それが何なのか、一介の医者が述べるには分際を越えるが、レミングの群れの行進でないことを祈る。強調したいのは、世の流れから超然と、覚めた目で現実を見透かし、我々自身の行方を真剣に考える時期が到来したということである時流に乗せられて「不安の運動」に身を委ねてはならない。私たちのささやかな活動に意味があるとすれば、世界の片隅で起きた出来事の真実を伝え、いのちへのいたわりを思い起こし、以って吾が身を省みるよすがとすることであろう。

                            < 以下省略 >

 

2021年12月8日 ペシャワール会報 No.150