三朝(みささ)温泉は、倉吉駅から
9キロほど内陸に入った山間にあります。
天神川という川沿いを走ると、
やはり雪が積もっています。
15分ほどして欄干に細工が施されている
橋の手前で、運転手さんのアナウンス。
旧温泉街だそうです。
橋を渡って川沿いを少し行くとホテル着。
時間があるのでお散歩マップをもらって外へ出ました。
先ほどの橋が見えてきました。
建物が見える方の山の中に
国宝の投入堂があると聞きました。
橋の上を2,3人で雪かきをしています。
雪を避けて歩き、橋を渡り切ると
すぐ左手に像と句碑があります。
野口雨情の句碑でした。
旧温泉街というのは、道幅も狭く、
旅館街というより、歓楽街のようです。
夫の実家のある山代温泉でも、
総湯から少し外れたところに
飲み屋さんや劇場や映画館など、
女子供が近寄りがたい雰囲気の一画が
ありましたが、よく似た雰囲気です。
このまま歩いて行っても
何もないようなので引き返すことに。
途中、空き地に、皇居や北方領土や竹島などの方角を示す標識が立っているところがあり、
向かいには大きな日の丸に大きな文字。
安倍首相の顔写真の横の石破茂氏の顔写真には目のところが黒く塗りつぶされています。ちょうど前日に観たNHKの「赤報隊」に右翼のインタビューがありましたが、背筋が寒くなるような怖さを感じます。政治家はテロの標的にもなるということですね。石破さんは地元なのに・・・怖い時代にならなければいいけれど…と思いながら道を急ぎました。(写真をよく見ると安倍首相と同じポスターの写真でも下の石破さんの目には黒塗り!)
先ほどの橋のたもとの野口雨情の句碑の横に
河原へ下りる階段があり、河原に温泉風呂があるようなので降りてみました。
衝立が立っていて、手前が足湯、向こうが風呂だそうです。
すぐ傍の川か水道?で長靴を脱いで何か洗い物?をしている
土地の人に聞いて教えてもらいました。これが河原温泉とか。
老舗の温泉宿の前を通って、ホテルというか高層温泉旅館?へ。
夫の実家は山代温泉。次男はここで生まれました。70年代、あの地域はまだ内風呂ではなく皆年間パスを持って総湯に入るのが普通でした。雪の日でも歩いて帰って湯冷めすることが無いのが温泉の良いところ。隣の同い年の二人の男の子の母親である奥さんと一緒に、毎日3時からの一番風呂に赤ちゃんと上の子を連れて通うのが仕事でしたので、温泉についてはよくわかっているのですが、温泉旅館の経験がありません。
3年前から義弟が誘ってくれた年一度のドライブ旅行で、やっと”温泉旅館の楽しみ方(マナー)”を知りました。私たちは浴衣が先ずスカスカして着替える気になれなかったのですが、私の場合は、義姉に腰ひもを一本持って来ればよいと教えてもらいました。浴衣を羽織ったら自分の体のサイズに合わせて腰ひもを締め、それから帯を締めたら落ち着くと習いました。昨年、城之崎で役に立ちました。
今回、散歩を優先したので温泉は後回し。それなのに浴衣に着替えるのもというわけで、防寒の厚いセーターを脱いだ上に半纏を羽織ることに。夫も「その方が馴染むな、どうせみんな浴衣に半纏だろうから」と。やはり私たちだけでしたが、一応半纏姿なので目立たず。
私の挑戦。今回、夫の誘いに1泊OKしたのは、父の様子が昨年末からとても元気になってきたので、これなら大丈夫と思ったことがありました。それまでは母が精いっぱい頑張っていて、私がいないと不安な様子が伺えましたので、夫には私に遠慮しないで行きたいところがあったらどうぞ一人でと答えていました。今回は、一泊なら絶対大丈夫と分りましたので、1月の2週目ぐらいに母に話しました。
2つ目は食事です。胃の手術をして36年になりますが、つい10年前まで外出先での食事はまだまだ不安でしたし、実際、お昼の食事付きの研修会とか合同会議の時には、黙って駆け込むことも何度も。ところが最近では量も一人前近く大丈夫になってきました。加賀の橋立漁港の子持ち蟹、最近ではブランド化して香箱(こうばこ)蟹と呼ぶそうですが、こちらは義弟夫婦のお陰で存分に食べさせてもらっていますが、ズワイガニが未体験。食べる目的の旅行なんて一生縁がないと思っていたのですが、一度はやってみたい。で、思い切ってということに。
今回は、最初から最後まで投げ出さないで食べてみようと思って、最初は控えめにスタートすることに。そして2時間半がかりで何とか完食。蟹尽くしでしたが、間に陶板焼きの丹波牛とアワビが一人前ずつ加わって変化がありました。まず、ズワイガニの姿盛りは自分でさばいてカニ酢で戴きます。城之崎で出たカニは季節外れの冷凍ものでしたが、今回は違って美味しいカニでした。
カニ刺し、カニの陶板焼き、カニすき鍋に最後はカニ雑炊に卵を落として…締めは可愛いデザート。茶碗蒸しは、手を付けても全部食べたことはなかったのですが、カニ身の入ったこの茶わん蒸しは、使い込んだ器も可愛いし、大きなゆり根がホクホクして、最後の銀杏まで美味しくいただけました。鍋にご飯を入れる際、夫が「この人、胃がないので少しにして」と言ってくれましたが、何とか最後のおじやまでたどり着けました。
途中、こんな遠くまで来なくてもとか、エレベーターの中の中国人スタッフの紹介に、夫まで安く上げようとしてなんて言い出して、期待値ゼロでしたが、食事が美味しくて期待以上。それにエレベーターの張り紙も良く読んでみると、お客様接待「おもてなし」の研修目的の留学生を預かっているという張り紙でした。名目だけのことかと思いましたが、7人ほどの研修生の名前の漢字にはカタカナのフリガナが打ってあり、そのお一人の宇さんは、出迎えの際の笑顔が飛び切りの方で、食事の際も甲斐甲斐しく動いておられるのも好印象。夫まで、”逆手にとって売り”にしているのが気持ちがいいと言い出し始めました。
部屋に戻り、テレビで鳥取のローカルニュースを見た後、1階の長い廊下を渡って大浴場へ。湯舟につかりながら露天風呂の出入り口が気になりました。体が温まったら、ここまで来たんだから、外に出てみようと思い、外へ。先客が何人かおられて…雪が降っています。これは素晴らしい!
ボタン雪が降りかかってきます。頭はシャワーキャップを被っていたので濡れる心配はなかったのですが、顔に雪が当たるので、東屋風の屋根の下へ移ることに。その中から見る一角の空には雪が渦巻いて旋回しています。これは見事、こんな景色は見たことがありません。暗い空から絶え間なく白い雪が降り注ぎ、途中で暖かい温泉の空気を受けて舞い上がり、渦巻いて、降り注ぎ、舞い上がりを果てしなく続けています。これは露天風呂に来て本当に良かったと思いました。
夫も同じだったらしく、エレベーターを降りた階のソファでカギを持つ夫を待っていたら、ご免、ご免、露天風呂で雪が…と同じように雪が舞ってあまりに美しいのでと。夫は頭が濡れたので洗ったら遅くなったとのこと。アレを見逃さなかったのはよかった〜です。
一夜明けて、部屋の窓を開けると下に見える日本庭園が雪景色です。大浴場への長い廊下の横も雪の庭園でしたのでカメラを持って出かけました。庭の奥に滝が作ってありますが、流れているのは水ではなくて、どうも温泉のようです。湯気が立っています。高札があって温泉が飲めるようになっているので戸を開けて外に。効能の中に胃腸やリウマチに効くとあるので夫を呼び戻しに。
帰ってからネットで調べると放射能温泉とか。そういえば近くにウランの人形峠がありますし、鳥取大の研究施設もありました。
三朝温泉は世界屈指のラジウム温泉
三朝の湯は、高濃度のラドンを含んでいます。ラドンとはラジウムが崩壊されて生じる微量の放射線です。このラドンは空気中に散逸します。
三朝のお湯は、高濃度のラドンを含む世界屈指の放射能泉です。 ラドンとは、ラジウムが分解されて生じる弱い放射線のこと。 体に浴びると新陳代謝が活発になり、免疫力や自然治癒力が高まります。 これが自慢の『ホルミシス効果』です。
三朝温泉の由来は、およそ八百五十年以上も昔のこと。大久保左馬之祐というお侍さんが、年老いた白い狼に出会い、一度は弓で射ようとしますが、思いとどまり見逃してあげることに。その夜、左馬之祐の夢に妙見大菩薩が現れて、白い狼を助けたお礼に温泉の場所を教えてくれたのです。以後、救いのお湯として、村人たちの病を治したと伝わります
それから、これは行く前に分かったことですが、国宝の投入堂はここ三朝にあるのだとか。残念ながら行けませんが三徳(みとく)川の右手(河原温泉のある側)の山、三徳山の中だそうです。テレビ番組で見たことがありましたが、このお堂も役行者が慶運3年(706年)に開いた修験道の行場。足場のない崖の中腹に本当に投げ入れたようなお堂をどうやって建てたのか不思議です。
さて、帰りは9時30分の送迎バスで倉吉の駅まで。駅に着いたら窓口でジパングを使って切符を買います。昨日相談したら、乗車券は距離が足りないので吹田まで買うことと教えてもらいました。スーパーはくと6号は、中国山地を縦断する智頭急行を途中使います。この部分がJRではないので、ジパング適用の距離に入りません。なるほど、教えてもらってよかったです。今度は新大阪まで乗り換えなしです。
倉吉始発10時13分発でまず鳥取へ。「はくと」は漢字で書けば「白兎」、社内のアナウンス前に因幡の白ウサギのメロディーが流れます。
鳥取と言えば砂丘ですが、そういえば昔、学生生活の最後の夏休み、両親から姉妹三人で旅行でもと言ってくれて、計画したのが、今回の逆コースでした。山陽本線を倉敷まで、そこから伯備線の備中高梁を経て伯耆大山。そこから今度は山陰本線で鳥取の砂丘へ。帰りは山陰本線から福知山線でというコース。
その鳥取の砂丘の砂を供給したという川、千代(せんだい)川に沿って列車は走ります。
鳥取から智頭(ちず)まではJRの因美線。途中で止まったのは郷家(こうげ)で11時。
智頭(11:20)から大原、佐用(11:50)上郡(12:00)までが智頭急行線です。
この間、41のトンネルを抜けますが、最長のトンネルが5.6キロとのこと。
智頭駅の写真にはまだ雪が写っていますが、佐用町役場前の時計の写真には雪がありません。これで、山陰から山陽、雪の国から陽の国へ、鳥取から岡山へ抜けました。
雪のない晴天の南側は、暮らすには便利だけど自然や情緒はない。夫は北陸から神戸へ18の時に出てきて私に会い、そして仕事も含めての自分の今があると言います。その代わり、その分、弟が全部引き受けてくれました。
山陽本線も姫路(12:25)を過ぎて海岸沿いをひた走ります。明石では北に明石城、南には淡路島にかかる明石大橋がすぐ近くに見えました。平家物語の須磨のあたりは松林も見えます。三宮を過ぎると大阪。圧倒的なビル群が見え始めました。
大阪駅に着くと新大阪までは5分です。13時30分、新大阪着。
乗車時間は3時間半足らず、停車駅10。往路に比べて2時間短縮、停車駅も4分の1.料金は2500円ほど余分にかかりました。まさに、時は金なりです。
スーパーはくとは車内販売がありません。往路は城崎温泉の駅でサンドイッチを買って車内で食べました。お昼ごろ持参したクッキー類でしのいで新大阪で鱧(はも)の天ぷらうどんを食べました。大阪の味でした。
北大阪急行で千里中央。
地下から阪急バスのバス停に出ると箕面行が出るところ。運転手さんが待ってくれて待ち時間ゼロで出発。窓から箕面の山並みが見えると帰ってきたな〜とほっと一息です。
倉吉から鳥取までは往復しましたが、あとは全部一回きりで、箕面発、阪急電車から福知山線、山陰本線、因美線、智頭急行線、山陽本線、阪急バスで箕面着でした。ざっと交通費一人1万円として、合計24000円の三朝温泉カニ旅行でした。
出かける前日、予定表を父に渡していましたし、母には帰る日の予定時間を告げていましたが、2時間ほど早く自宅に着く事は敢えて連絡せず。
部屋を暖めてから両親を迎えてコーヒータイムです。母は、行く前に、私たちに遠慮しないで行きたいところへ行ってねと言ってくれていました。
夫がこの2月の誕生日が来ると75歳の後期高齢者です。ちょうど運転免許の更新を控えて、昨年は認知検査、1月には技能検査があって合格。リウマチ発症の当座は更新できるか心配していましたが、あと3年間は大丈夫。でも、このことで母も考えたようです。
母が言います。「100歳越えたからって70代の娘夫婦に甘えていてはいけないね,私たちが70代のころは親は亡くなって今みたいに長生きする時代じゃなかったのよ、だけど今は長生きするからね、あんた達が年を取ってしまうから、これからも気にしないで行きたいところへ行って」ここまでは行く前にも聞いていました。
ところが、その上に「もし、お父さんに何かあっても先生にいつでも電話したら夜中でも飛んできてもらえるし、気心の知れた看護師さんもいるので安心」と言ってくれました。これを聞いた私、”あ〜やっと、こんな日が来た〜”ととても嬉しかったです。1年半かかりました。母はやっと訪問看護を受け入れたのです。100歳を前に父が倒れた時、母は家に他人がずかずか入ってきて何かと指図することに日常生活が脅かされてストレスを感じていました。ケアマネさんには私から母の気持ちを話して理解してもらい、ヘルパーさんの支援も一か月で断ってしまいました。父はその点、別れ際にハイタッチしたり結構上手に受け入れている様子でしたが、何もかも一人でやってきた母にはとても無理だったようです。
ところが最近はやっと少し変化が。12月にはお世話になっている看護師さんたちにサンタさんの絵が描いてあるエビ煎の小箱をプレゼントしてみんなに喜ばれたと言っていました。次々と入れ替わって訪問される5人の看護師さんの個性も良くわかり、孫のような年頃の看護師さんと随分お話もはずんでいるようでした。母との信頼関係ができている様子に喜んでいたところでした。
思い切って一泊旅行に出かけてよかったと思いました。今朝も2名の看護師さんの訪問を受けた母は上機嫌です。看護師さんやケアマネさんが母の性格を分かったうえで接してくださったことで、こんな日を迎えることが出来ました。このことが私たち夫婦にとってこの旅行の最大の良きことでした。(おわり)