氷室饅頭とアガパンサスとクロコスミアとブッドレア


昨日は、夫の亡き兄の50回忌の法事でした。サンダーバード加賀温泉駅日帰りでした。母には、私たちと同じメニューの朝食を準備して、夜の食事のために少し役立ちそうなものを置いて、出かけました。義弟が地震の時に心配してくれたのは、7月1日の50回忌のこともありました。母のこと、地震のことも心配なく安心して出かけることができました。
さて義兄が亡くなったのは独身でまだ30歳手前だったと思います。沼津の隣町に住んでいて静岡県の財務事務所に勤めていました。その日は給料日。私たちが結婚した年の7月でした。帰宅途中に襲われてカバンを盗まれ、帰らぬ人となりました。事件は未解決のまま。それから49年。残された姉と二人の弟が元気です。末の弟が実家を継いでいますので、夫は経費半分負担で、義弟の主催で50回忌のお参りと食事会を親せきを招いて行いました。

49年前、同じ県内の隣町ということで、義兄が新婚の我が家を訪ねてくれました。私は、結婚前10日ほど家にいただけで、料理はしたことがなく、料理本を片手に理科の実験みたいな毎日、それに共働きでした。ハンバーグを作って、お客さんに出すのだからしっかり火を通して…と思った結果、黒焦げのハンバーグになって大失敗でした。その数か月後の事件でした。本の見開きに義兄が立派な字で書き込みをしているフルトヴェングラーの本とフルトヴェングラー指揮のレコードが数枚、今も手元にある義兄の遺品です。義弟はまだ高校3年生でした。遺影の義兄は若々しいままですが、姉は81歳、夫は75歳、義弟は7つ下の68歳。これが最後の法事です。

終わった後は実家によって麦茶をいただいてしばらくおしゃべり。お嫁さんが用意してくれたお墓の花を持って義弟の車でお墓参りも出来ました。そのまま駅まで送ってくれて、義弟とはそこでお別れ。サンダーバードで大阪へ帰る私たちと大津へ帰る義姉とは駅で別れて、帰ってきました。義弟の息子たちも顔を出してくれていて、久しぶりに会えました。38歳と36歳。まだ独身です。長男坊は去年富山から金沢勤務になり、今は川崎に短期出張の身。下の子は、東京から呼び戻して石川テレビに就職。それなのに、石川テレビから東京勤務を命じられて、小松空港から東京へ帰るとか。二人に、「いいお話はないの?」というと、我が家の二人のことを聞かれて、「二人ともまだ」「じゃ、安心」と言われてしまい、藪蛇でした。



ところで、法事に出かけるにあたって、私は、何を着ていこうということに。喪服の半そでのワンピースは裏がついていて暑いし、汗をかくのにパールのネックレスはしたくないし。それで、私のとっておきのブラウスを着てみようかと。20年以上も前になるでしょうか、箕面の”銀座通り””のお店でちょっと手の込んだブラウスを見つけて買い求めました。そのブラウスのデビューが、やはり暑い夏の弔事でした。自治会の担当地域で、葬儀も終わったずいぶん後に自治会からの香典をお届けすることに。真っ黒の喪服も大仰なので、このブラウスにしました。昨年の高校の同窓会には、このブラウスに赤いサンゴのネックレスをして紺色の薄いサマーウールの上着を羽織りました。そして、今回、夏日の法事に思い切ってこれで行くことに。下は夏の薄手の黒いズボン。上に透ける黒の羽織るものを引っかけて。案の定、女性陣は皆さん喪服の半袖ワンピースに黒のストッキングにパールのネックレス。

ロビーに一人青いTシャツにジーンズの男の子がいて、後で、義弟の次男坊だとわかりました。お参りの席では黒いスーツの上着を着ていました。食事の席が隣になったので、色々おしゃべりしたら、忙しいのに東京からきて1時半の飛行機で小松空港から東京までトンボ帰りだとか。なるほど、そのままで来たのか・・・です。来る気持ちが大事。なんとなく仲間を一人見つけたような気持ちでした。お墓参りの時は、ブラウス一枚になれましたし、昨日の暑さの中では正解だったと自分では納得の選択でした。


そして、この日、7月1日は氷室(ひむろ)開きの日です。同居していた2年間、亡き義母が氷室饅頭と言って7月1日にはお饅頭を出してくれて、氷室の話をしてくれました。雪国ならではの風習です。どなたかが、この日限定の氷室饅頭を持ってきてくださっていました。帰りのサンダーバードで開けてみると、義母が出してくれたお饅頭とは似ても似つかぬ大きな茶色のお饅頭でした。確か、白くて、もっと小さかったはずだと思ったのですが、定かではありません。冬の雪を穴を掘って埋めてムシロで蓋をして夏場に氷として利用するのだそうです。中に入っていた紙によると「雪国の加賀前田藩では、毎年七月一日に氷室開きをして、その霊峰白山氷を徳川将軍に献上するとともに、藩民の繁栄無病息災を祈って戸毎に塩饅頭を味わって祝ったと伝えられます」。

ネットで調べると金沢のお菓子屋さんの氷室饅頭の写真が色も三色あって義母が出してくれたお饅頭と一緒でした。昨日もらったのは能美市のお菓子屋さんのもので酒饅頭の大型版。直径は8センチもあります。今朝のコーヒータイムで3人で分けて丁度でした。母は氷室饅頭の習慣は知らないと言っています。90年近く前の隣村と温泉町では違ったのかもしれません。

今朝、新聞を持って行った時、母に昨日の夕食の話を聞いたら、ご飯を炊かなかったそうです。あれこれご飯に合いそうなものを置いて行ったのですが、お米を米びつに移してなかったのが悪かった。袋をハサミで切って2合はかって出せるからいいだろうと思っていたし、炊かなくてもレンジでチンというのもあるしと思ったのですが、甘かった。
そうめんにしたとか。父が食べにくそうで悪かったと言ってましたが、聞いた私は後悔ひとしきりでした。大丈夫というので安心していましたが、まだまだ一人だと無理かなと思いました。杖は離せないし、玄関のたたきにはまだ一度も降りたことがありませんので、玄関の鍵の開け閉めは私がしています。ブランチだけはお任せしていますが、まだまだと今回、わかりました。
写真は、前日の土曜日の朝、自転車を走らせて出かけた時のもの。唐池公園の水色のアガパンサス。オレンジ色のクロコスミア。そして、芝の「芝楽」さんの薄紫のブッドレアの花。今見ておかないと見逃して、また1年待たないといけなくなると、思い切って出かけてよかったです。