森町ドライブと2月のお茶のお稽古


2月16日は夫の誕生日。16日はお茶のお稽古なので、1日前の15日、隣の両親と一緒に近くの木曽路へランチに出かけることにしていました。朝、10時のお茶を誘いに行ったら、驚いたことに父が椅子に座って新聞を広げています。楽しみで朝早く起きたとのこと。
さて、お昼前、車を出して木曽路へ。席に着くと、母が「改めてお誕生日おめでとう! リウマチが治ってよかった、一時はどうなることかと思ったのに、早かったからかね〜、よかった、よかった」と。夫は「治ったわけでないですが、不自由はなくなりました。ありがとうございます。これから、みんな後期高齢者です」というと、父は笑っています。でも私は一言「一緒にしないで、私は、まだ前期だから」と。今のところ、4月までは、夫との年齢は2つ違いです。

食事のあとは、夫が父にドライブのお返し。グリーンロードの箕面トンネルを抜けて、箕面森(しん)町へ行くことに。
5.6キロもある長いトンネル、大阪府に料金410円を払って通ります。このトンネルのおかげで水脈が切れて箕面の滝はポンプで水揚げしているそうですが、今もそうなのか? 
トンネルを抜けると新名神の高速道路ができていて凄いことになっています。こんな道路必要なの?とか、「箕面の奥にこんな住宅街作って、これから少子化というのに、どうするつもりや」と夫も。
若い人たちは,このあたりで一戸建てを建てたいのだろうか・・・地価は安いにしても、不便じゃないかしら…とか、3人の後期高齢者と1人の前期高齢者の思いは老婆心まる出しです。
トンネルをもう一度抜けて箕面に戻ってくると、「珍しいところに連れて行ってもらってありがとう、前から、森町ってどんなところ、どうなってるの?と思っていたので、今日は良かった〜」と母。2年後には北大阪急行が延伸、新箕面駅も完成、箕面の市民病院も移転ということで、箕面市は人口増をあてにしているようです。どうなるでしょうか・・・

さて、今日の午後は、お茶のお稽古。
先生宅に着くと、玄関までの前庭に紅梅、白梅が一輪づつ花をつけていました。
ご挨拶して玄関に入ると応接間から先生の声、「羽生くん、今滑ったとこよ、転ばなかった、点数出るとこだから、入りなさい」と言われて、玄関左手の応接間のテレビの前へ。111点台の点数が出ました。ショパンのバラードのピアノに乗ってジャンプの回転もステップも美しく完璧。そうか、毎日放送でライブ中継をやっていたのです。ちょうど歩いて先生のお宅を目指しているころ始まったのでした。Naさんは、東京へお孫さんの面倒を見にいった帰り、足が動かなくなったとかでお休み。じゃ、Nさんはきっと、これを家で見てから来るつもりですね、と言ってると、Nさんが。3人でそのまま宇野昌磨くんが滑るのを見て・・・結局、男子のフィギュアスケートSPをテレビ観戦しました。


その後、日本間の茶室へ移動。
床の間の掛け軸は、中国の書家のもので、二人で「福照笑門」で「笑う門には福来る」という意味かな、と言ってたのですが、先生は「福臨笑門」と書いてあると。お花は、硬いつぼみの木と椿のつぼみ。木の名前を聞き忘れました。
本当だと、私とNaさんが点てることになっていた釜の横には、かわいい三角棚、木屋町棚【表千家十一世 碌々斎(ろくろくさい)瑞翁宗左(ずいおう・そうさ)が好んだ棚】に、うろこ模様が入った茶色の平棗と、艶々とした高取焼の水差しが置いてありました。脇板には香狭間透(こうざます)かしがあります。今ならここが梅の形に透かしてあるものが使われるとか。


今日は二人とも立礼でと言われ、久しぶりの私なのに
Nさんに言われて先に点てることに。
先生は筒茶碗を置いてあるので使いなさいと。
寒い冬は、お茶が冷えにくい筒型のお茶碗を使うのですが、
これが、手がお茶碗の中に入らないので布巾でふく時の作法とか、
お茶を点てるときも少し斜めに傾けて茶せんを使うとか、
少しややこしい、というか、理にかなった作法の変化なのですが、
普段と少し違います。


筒茶碗のストライプのものは小石原焼。
小石原焼は福岡県朝倉郡東峰村の焼き物。
高取も九州の窯なので合わせてあるようです。
梅の模様の筒茶碗は京焼。
筒ではなくてお多福のお茶碗も。外側には百福の文字が書かれていました。
掛け軸とそろって福々ですね。
お菓子は銘々皿に栗の主菓子と干菓子が盛り付けてありました。
紅白の落雁は、三朝温泉への途中、JRの倉吉で買った先生へのお土産でした。
柑橘類の皮の砂糖漬けは何方かの手作りとか。
水屋で仕組み茶碗の準備をしているとき、先生の説明が聞こえました。
紅白の落雁の絵はオシドリで、漢字では「鴛鴦・えんおう」と書き、
「鴛」は雄の、「鴦」は雌のオシドリ、なんだそうです。