新聞紙で作る花と、お便りありがとう・・・


最近の新聞に、水色の背景に蝶が飛んでいる一面広告が数回ありました。久しぶりに新聞紙で花を作ってみようかと道具一式を持ち出して、作ってみることに。何とか覚えていて、一個が出来上がりました。
ところで、先日、封書のお手紙を受け取りました。学生時代からの友人5人の内、一人は就職したときから東京。何年か前、私が音楽仲間のEさんにチケットを取ってもらってウェルザーメストさん指揮のベートーヴェンを聞くため上京したとき(2010年11月22日のブログ)連絡をしました。”両手にババ様”の暇を見つけて出てきてくださって、3人で朝香宮邸を見学したことがありました。そのNTさんからのお手紙です。
先月末、三朝温泉に行くとき、倉吉の駅で買った絵葉書に、年末の賀状欠礼のお知らせで100歳のお母様が亡くなられたことを知ったので、お悔やみを書いて出したお返事でした。お手紙によりますと、ブログを毎日のぞいてくださっていると書いてありましたので、お返事を書いてみようかと。
お母さまの最期のご様子を知らせてくださってありがとうございます。公的介護や訪問診療に携わる方たちと上手にお付き合いされていたご様子、とても参考になります。

「6,7,8月といろんな力が衰えていきました. だんだん食べられなくなって…… それでも亡くなる8日前までデイサービスに出ていたんですよ! ベッドに寝たっきりになったのは. わずか一週間ほどでした.
今から思えば追われるような毎日でしたが. それが苦になることはありませんでした. 義母も母も どちらも. ぐちを言わない. まわりを気遣う. ユーモアのセンスありで. ありがたかったです」

100歳と5か月の大往生ですね。貴女が『両手にババ様』と、こともなげに、むしろ楽しそうに仰ったのを、初対面のEさんはとても印象が深かったのか、あとで「すごいね!」と感心していました。私の場合も、父はとにかく無口で楽な人ですが、母も、お手紙に書かれているお宅のババ様のように、一切愚痴を言わず、前向き、そして、私や夫にも気を遣ってくれていますし、その上、陽気なので、本当に助かっています。
お義母さまも99歳でお元気だとか。それに、11月には、西宮の甲山(かぶとやま)の納骨堂にお母様のお骨納めも済ませて、今は「やっと二人一緒に 甲山から、大阪や神戸の風景をながめているかもしれません」とのこと。「うまく条件がそろえば、日帰りで関西!は可能」とも書いておられますので、私たちも楽しみです。今回は、22日、我が家で、在近畿仲間4人で会うことになっています。次回はぜひ、久しぶりに5人で会いましょう!
ところで祭日の日曜日だった昨日、天気予報は晴れでした。
久しぶりに山の仲間と箕面の六個山で鍋料理を囲むということで夫は朝から出かけました。私は、生野菜類が空っぽになったので買い出しです。父の愛読書の文藝春秋は10日が発売日。隣で確認してくるとまだ手に入れていないということで、本屋さんと生鮮食料品が一か所で手に入るスーパーのライフへ自転車で行くことに。その前に、電話で午後のお誘いをSさんとSuさんに。お二人とも留守でしたので、そのまま買い物に。帰りのお昼ごろ北に向かって自転車をこいでいると箕面の山のあたりには真っ黒な雲がかかっていました。
帰宅するとスマホの画面にSさんからの着信あり。早速電話して午後のお誘い、1時半ごろ来宅とのこと。昼食を済ませて居間を少し片づけていると外は吹雪いてきました。大丈夫かなと思っていましたが小降りになってきました。
雨雪の中、お迎えして、栗の蒸し羊羹を出して、リクエストのお薄茶を点てることに。棗には丁度二人分の濾したお抹茶が入っていてラッキーでした。

グリーンの見開き2面の新聞広告を使って花を作りながら、Sさんとあれやこれやのお話。8つ年下のSさん、ボランティアで得意の手芸を教えたり、習っているヨーガと整体の頼まれ先生を務めたり、息子さんの施設でお年寄りの話し相手になったりと、忙しくしておられます。
途中でコーヒーを4人分淹れて、隣の両親に出前。そのうちSuさんからの電話。「お茶でもと思って電話したんだけど〜」「一人では怖いので、今も人に来てもらってる」と、まだパニック障害が続いている様子。「そう、じゃ、今度は一緒に来てもらっていいから、また、機会を見つけて電話するから」「わかった、楽しみにしてる」と。
Sさんが腰を上げたところへ、夫が山から帰ってきました。3人で玄関口でSさんのご主人のご機嫌伺をしたり、しばらくお喋りして、お別れです。晴天の予報がとんだ当て外れのお天気になった一日でした。緑の花の芯は仮に入れてみたもので、Sさんは、これも良いと。止め方が難しいですが、さて、どうしたものか・・・