カフェでデイトと川平朝清さん「沖縄復帰 46年の感慨と失望」より

◎昨日の主治医の先生との話し合いで母の退院の日が6月4日に決まりました。もっと早くてもよいが、訪問医院との調整でこの日になったとか。先生も母の回復の早さに”驚いている、一番元気です”と。家に帰ったら元通り何もかもする気のようですので、気を付けるように先生からも言って下さいとお願いしました。体力がつくまでは2階には上がらないように注意され、母もよくわかってますと答えていました。これで、見通しがはっきりしました。私の東京行は3〜4日。3日のマチネを聞いて日帰りにと思ったら、夫が前日から行って一泊して来いと言ってくれました。夜、横須賀のEさんに電話で事情を話して変更してもらうことに。
さて、12時半、デイトの場所「いい一日のカフェ」で年下のIさんと20年ぶりくらいに会って、3時過ぎまで積もる話をしました。彼女が箕面のここでと言ってくれなかったら会えていません。どうしてここ?と聞いたら、昨年の夏、桃丸ごと一つ使ったお菓子がネットに出ていて、友人を誘って来たのだそう。そういえば、ここのお店、ランチセットはパスタとカレーだけ。あとは手作りのケーキがメイン。二人でケーキも。私は和栗のモンブランを選びました。
ブーニンさんとの出会いは彼女をピアノの道に進ませ、姪っ子にはチェロの道を。彼女が見せた後藤みどりのビデオ、4歳の姪御さんはヨー・ヨー・マのチェロを見て、私はコレ!と言ったとか。今は東京芸大の院でチェロを専攻。ドイツ留学を控えているとか。

彼女も私もブーニンのピアノはすっかり卒業。Iさんは「若かったのね〜今は受け付けない」と。でも、ショパンコンクールで優勝したブーニンのピアノが彼女にピアノ教師30年の道を拓き、私はクラシック音楽入門のきっかけになりました。
ヨーヨーマファンつながりで沖縄通いをしていた彼女、「基地との関わり合い具合で米軍に対する意見が微妙に違いますね」「息子に聞いたら、政治の話は立場によって違うので話さないことになってる」。だから、日本全体として政治が決めることが大事よね。それは、原発と同じ。利害関係が絡めば対立も分断も。だから、国として大きな方針を打ち出して進めるべきなのに…。日本も大変だけどアメリカもトランプ大統領で大変そう…とこんな話にもなりました。
会っていない間に、彼女は肩の手術と3年前には乳がんの手術で左胸摘出と大病も経験。「私が貴女に初めて会ったときは今のあなたより若かったわね」「40歳代のはじめぐらいでしたよね?」「そう」「私、今、51です」「30年も前!」・・・ 不思議なご縁で続いています。 

北朝鮮金正恩委員長、なかなか一筋縄ではいかないですね。体制保障をすれば、北朝鮮内での独裁体制が強化されるでしょうし、かといって民主化は輸出できないし。戦争よりは平和、核より対話で進んでいくしかありませんが、金委員長を上回る頭脳と戦略がこちら側にあるのか…こちら側、文さん、トランプさん、安倍さん、しっかり、大丈夫? まだ、『頭抱えて机の下に』を続けるようでは、本当に心配。

内田樹さんがリツイート

鮫島浩

@SamejimaH 5月13日


世界が朝鮮半島の歴史的和解へ加速する中、日本は北朝鮮のミサイル着弾を警告するJアラートのテスト放送を全国一斉実施するそうだ。海外でどう報じられるだろう。ミサイルもセクハラもタバコもヘイトスピーチ原発も世界の潮流からかけ離れていく内向き日本、大丈夫かhttps://www.nikkan-gendai.com/articles/view/news/228750

昨年度から回数倍増 「Jアラート訓練」いつまでやるのか?
2018年5月11日
 史上初の米朝首脳会談に向け、北朝鮮を巡る情勢が目まぐるしく動いている。再訪朝した米国のポンペオ国務長官は拘束された米国人3人の解放に成功。成果を手にしたトランプ大統領は大ハシャギで帰国を出迎えた。

 その一方で、2年半ぶりの日中韓首脳会談でも対北圧力の維持を主張し、浮きまくっていたのが安倍首相だ。<中略>


政治評論家の山口朝雄氏はこう言う。

「安倍政権にとって、マトモな国家ではない北朝鮮という存在は何かと利用価値があり、あらゆる点で政治をやりやすくする装置なのです。北朝鮮情勢がどう展開しようが、トコトンまで脅威をあおり、国民に恐怖心を植え付け続ける腹積もりなのでしょう」

 金正恩がハナもひっかけないわけだ。

●15日の朝日新聞に、沖縄出身のDJのジョン・カビラ(59)さんと俳優の川平慈英(55)さん兄弟の父親である川平朝清かびらちょうせい)さん(90)が取り上げられていました。

5月15日は、1972年の本土復帰から46年を迎えた記念日。
二人の兄弟の父親が琉球最後の国王に仕えたに祖先をもち、沖縄のNHKのアナウンサーで母親がアメリカ人であることは、テレビの何かの番組で紹介されたことがあり知っていました。記事によると台湾で生まれ、戦後の46年、荒廃した沖縄へ。50年、米軍が開局したラジオ放送局で日本語アナウンサー第1号となり、米国にも留学。67年には沖縄放送協会の初代会長になり、日本復帰に伴い、吸収合併されたNHKで東京に配属され、東京に移住、今も東京暮らしだとか。

写真は、在沖米軍基地の広さを東京23区に重ね合わせた地図を手にする川平氏「日本では、在日米軍専用施設の7割が国土面積0.6%の沖縄にあるといっても理解されない。ならば、その大きさを23区に当てはめた。当事者意識につながりませんか」と2年前に自ら計算し、知人に作ってもらい、講演などに持参。記事の中で、日本政府に対するアメリカ人の忠告が衝撃的ですが、今につながります。日本政府の沖縄に対する姿勢は、差別意識丸出しです。その部分を書き出してみます:

 政府は「沖縄に寄り添う」と繰り返しながら、県民多数が反対する辺野古の基地建設を進める。その様子は60年代、沖縄統治のトップ、キャラウェイ高等弁務官がパーティーの席でささやいた忠告を思い出す。「日本政府の人間は私と沖縄の人の前で言うことが違う、気をつけろ」。沖縄の力になりたいという閣僚が、沖縄の人たちを「無能」と言っていたという。


 日本にとって沖縄とは何かーーー。最初にその問いを突きつけられたのは、サンフランシスコ講和条約が発効した52年4月28日。特別に参加したNHKのアナウンサー研修で東京に滞在中、独立を祝うばかりの報道にふれ、ドイツや朝鮮半島のように分断されずに良かったとの書きぶりも目にした。「奄美や小笠原、沖縄はどうなるのか。メディアの人たちの頭の片隅にも沖縄がないことがショックだった」。60年以上たっても、そうした認識が変わっていないと思えてしまう。」


最後の見出しの「改定すべきは」では、日米地位協定の改定について。
日本が、沖縄を犠牲にして戦後日本の『独立』を果たしたのがサンフランシスコ講和条約。その後、本土の基地闘争を避けるように沖縄に米軍が基地を集中させました。沖縄復帰の時にも基地はそのまま。日本政府の沖縄の扱い方は、支配者アメリカに捧げる貢物扱いではないかと思ってしまいます。