母の退院から一週間とタケノコとワカメの煮物


母が退院して一週間になります。私自身のことを言えば、やらずによくなった事もあれば増えた事もあって、病院通いをしなくなった分、楽になったと思います。夫の場合も、洗濯物を干したり、食器の洗い物を今まで通りしてくれますので助かっていますし、二人で夜9時台に父のところへ行って、入れ歯を洗ったりということは、母がしてくれますので、しなくてよくなりました。
一番大変なのが、母の注射のことです。退院を控えて、3度の血糖値の検査と昼食前のインスリン注射を母が自分で出来るようになっていました。私たちは、目盛りのチェックをすればいいだけで、まさかの時のために、新しい検査器に慣れるため夫と二度づつ実際にやってみただけでした。ところが、退院後二週間は娘の私がやること、それを看護師が見守る、看護師が休みの土日はヘルパーさんが見守るということに。母に何かあった時のために、私や夫が出来るかどうかチェックするというのは、わかりますが、実際やったことのないヘルパーさんに、一回だけ教えてチェックしてもらうというのは、どうしても無理。私たちの二か月間、週5回の通院は何だったのということにもなります。それで、看護師さんにも言ってみました。わかりましたと言って帰った看護師さんもいましたが、次の回には、みんなで話し合った結果ですのでと、やはり、注射は私が打って看護師かヘルパーが見守るということに。二週間、辛抱するしかないかと思っていました。


母が退院して、最初の日の12時、大勢の方が来ました。ケアマネさんにヘルパーさん2人に代診の先生に看護師さんが3人ほど。母は何事?とびっくり。打合せ通り、私が血糖値の検査の注射針を刺しましたが、母が全部、私に教えながらでした。インスリンに至っては自分で打ち始めました。代診の女先生は、「迷いなくスムーズ、問題なし」と仰っています。母は、自分でやれることが証明できたと思っていたのですが・・・。

翌日も方針は変わらず。たまりかねた母が看護師さんに訴え始めました。退院後の二週間の方針を決めた先生は、この日が生体腎移植手術の日でした。「病院で一か月練習して、全部自分で出来るようになり、立ってみているだけの看護師さんに、”OK.バッチリ”と言われていた。自分のことは、自分で出来るうちは、自分でしないと。甘えていては、ぼけるのよ〜」と母。「それが、できる人は少ないんです」「そうなんですか、でも、私は、できるので、できなくなったらお願いしますので、できるうちは自分でします」と、堂々巡り。この日も、私が血糖値の検査の注射を握りましたが、母が逐一、次はこうして、こうしてとリードするのに従ってやっているだけ。看護師さんも、これだけ出来たら…という感じでしたが、先生の命令なのでと。

3日目、先生の移植手術が無事終わったことを告げられて、みんなでよかったよかったでした。母が、看護師さんたちに、病人の先生に相談なんかしたらダメよと言います。「違う、違う、心配して先生の方から電話があったんです」「心配してくださっているのは有難いけれど、自分のことは自分でするのが当たり前。私は、お蔭さんで、今のところは大丈夫なので、させてください。そういって先生に言ってください」と。看護師さんたちも、これだけ出来れば、問題ないと思われたのか、”確かにね〜”と。それでも、社協のヘルパーさんに土日をお願いしているので、一週目の土日は方針通りにということに。
金曜日、土日のためにヘルパーさんが見学に来られ、母はヘルパーさんに全部説明しながら一通りの作業をこなしました。何のため???という疑問は残ります。それは、私たちだけでなくて、看護師さんもヘルパーさんも感じておられると思います。

患者の一人一人を基準にというより、2か月半入院していた96歳の大腿骨骨折患者が退院して、糖尿病の血糖値検査を食前3回と一回のインスリン注射をしなければならない場合という一般論が優先された結果ではないかと思います。平均的な高齢者像というか、普通は96才ならだれかに見守ってもらってでないと危ないというはのが基準で考えられた2週間の段取りだったように思います。
母は、自分という患者を見てほしいと訴えています。言うことは全てもっともなことで理屈にかなっていますし、私もそう思います。母が自分の意見を言って説得までしようとしているのを見て、私は、末の妹が母に似ているかもと思いました。私は、たいていのことは黙って我慢して流れに任せている父に似ているのかな〜あそこまでは出来ないな〜と。実際、2週間我慢すればいいのよと母に言ったりしていました。母は家の中に他人が入るのは疲れるのよと訴えていました。それもその通りです。
説得が通じて、看護師さんが、先生に手紙を書いて、ヘルパーさんは土日だけでおしまい、来週は火金の2日だけ看護師が入り、母のためのヘルパーさんはナシとすることになりました。

さて、退院の日から、朝は母を我が家に呼んで3人で朝食。昼は父のブランチの時に母の分も準備してパン食にサラダを二人で時間差をつけて別々に隣で。夕食は4人分を作って二人を我が家に招いて4人で戴いています。夕方6時過ぎから7時半か8時前ごろまで。父は赤ワインの晩酌つき、時々母と私が加わって4人で乾杯しますが、夫はビールから始めて、あとは成り行き。
先日は、退院したら是非と思っていたタケノコを煮ました。母の甥っ子たちが見舞いに来た時、柏野(かやの)の孟宗竹のタケノコをどっさり持ってきてくれたのをゆでて冷凍にしていました。橋立産のワカメは、義弟夫婦がお見舞いに来てくれると電話があって、彼女におねだりしました。母もすぐ気づいてくれました。「橋立のワカメは煮るとネットリと粘りが出るけど、ほかのワカメはこうはならないね。頼んだの?」「そう、夫の大好物だし、おねだりしたの」「橋立まで買いに行かれたのかな〜」「さあ、地元のスーパーでも扱いが少なくなって、橋立でも採る人が少なくなったとか」。ひょっとすると実家のある橋立まで行かせてしまっていたかもしれません。お陰様で、3人の加賀出身者がとても喜んでくれました。
◎写真の花束は、退院の日、花屋さんから届いたものでお向かいのFさんから。もう一つは、つい先日別の花屋さんが届けに。お当番さんを通じてお見舞いをお断りした方からで、どちらも母のヨガ仲間。