「メディアの中立」と「猛暑の東京五輪」と『1937年の日本』


今日は午前中、ヨーガに。先週は前日が母の緊急入院だったのでお休みしました。今日は父が午後からリハビリですので、夕方父が帰ってから母のお見舞いに一緒に行くつもりにしています。ヨーガ、久しぶりに出席された方お二人。一人は母の大腿骨骨折を聞いて、自分も気を付けないとと思っていたのに、池田で転んで手を痛めたと、ここ数か月休んでおられた80代の方。もうお一人は、パニック障害で外出が出来なくなり、去年の秋ぐらいから来られなくなった方。一、二度我が家に来ていただいたこともありました。家の行き帰りの途中だからと熱心に誘ったり電話で励まし続けたKさんや、ほかにもお二人が家を訪ねたりヨーガ仲間の粘り強い働きかけで、やっと今日、前半参加が実現。「来週もね!」と声をかけてお別れしました。何事もあきらめてはいけませんね。
●「メディアの中立」とは、政権トップと個人的に食事を共にしたり、奢られたりしながら言えることではありませんので、その時点で「中立」ではないと思ってしまいます。でも、批判しない言い訳として「中立」が使われますので、ファクラーさんの言葉は鋭く突いていると思います:

山崎 雅弘
@mas__yamazaki 7月13日


マーティン・ファクラー「日本のメディアは『中立』と言いながら、当局が発表したことをそのまま書いて『この記事は中立です』と言ったりしますが、当局そのものは、決して中立ではないわけだから、中立な記事になっているとは言い難い。大事なのは中立という建前ではなくて、公正です」(pp.195-196)


(続き)ファクラー「(与党の言い分と野党の言い分を)半々に伝えるということが、読者にとってマイナスになるのは、たとえば、選挙に勝った方が明らかにウソをついている場合、そのウソを新聞がそのまま事実のように読者に伝えてしまうことです。政権は事実と違うことを言って政権を守ろうとすることがありますから、新聞はいつでもそれを疑って見ていなければいけません。もし疑問な点があったら、それを追及して、ちゃんと読者に伝えるのが新聞の役目です」(p.198)


首相がウソをついてもウソと指摘せず事実のように伝える新聞やテレビは、中立ではないし社会的な役目も果たしていない。

●昔、長野五輪の直前に松本の近くのお宅へ寄せてもらったことがありました。五輪で盛り上がっているという報道でしたので聞いてみたら、「あれは長野が勝手にやったこと、松本は知らない」という答えが返ってきて驚いたことがあります。信濃の中心は松本城なのに明治維新政府が勝手に長野市を県庁所在地に決めた。その長野が勝手に決めた冬季五輪は知ったことではないとハッキリ言われました。国を挙げて、県を挙げての五輪が地元でこんな受け止め方!? 歴史と文化が今に続いているのを身をもって知ったときでした。

そして東京五輪です。東京が勝手にやったこと…本当にそうですね。東京と国が勝手にやったこと、とはいえ、二年後の7月が今より涼しくなる保証はありません。こんな酷暑、猛暑の五輪を良く引き受けたものです。今からでも遅くないでしょう? 考え直してはいかがでしょう…犠牲者が出てからでは…と関西にいる私は思います。

小田嶋隆
@tako_ashi 7月16日

五輪については、どうしても8月にやりたいなら札幌でやるべきだし、どうしても東京でやりたいなら10月にやるべきだし、どうしても東京で8月にやりたいなら真夜中にやるべきだと思っています。どうしても東京の8月の真っ昼間にやりたい人たちはあらかあじめ遺書を書いておくと良い気がします。

●何を遠慮してか、日本のマスコミは連日の38度越えの猛暑を取り上げても、その中で行われるであろう東京五輪については触れようとはしません。ところが、イギリスのタイムスが、東京の気温と湿度の高さにアスリートだけでなく観客も命の危険にさらされるかもと報じています。

本間 龍  ryu.homma
@desler
#Tokyoインパール2020
「東京の酷暑にアスリートが殺されるかもしれない」スポンサーになりさがった日本のメディアが決して書かない真実を、英タイムズ紙が大きく報道。朝毎読日産の記者諸君、恥を知れ


Olympic athletes could die from Tokyo summer heat, warn experts

Athletes and even spectators at the 2020 Tokyo Olympics will be at risk of death from heatstroke due to surging summer temperatures and oppressive humidity in the Japanese capital, researchers have said.

戦後民主主義とは? 小学校の児童会の役員選挙とか学級委員を決める選挙とか、先生が熱心に民主主義を教えておられました。あれは身につかなかったのだろうか…否、そんなことはない…と自問自答です:

山崎 雅弘
mas__yamazaki 7月16日

民主主義の「体験版」とは、恐ろしいが的を射た指摘。戦前・戦中と戦後は、服従する上位者の対象が変わっただけで、黙って従うという民主主義とは異質な思考原理は何も変わっていない。学者でも、外国の民主主義の歴史を知っている人は多いが、それを実践している人は少ない。

spark
@Yonge_Highway7 7月16日
私は日本の民主主義は、ちゃんと対価を払ったものではなく、アメリカからもらった体験版に過ぎなかったと以前言った。そしてその体験版は期限切れ。これから自分の努力で手に入れるしかない。


●山崎雅弘著「1937年の日本人」(朝日新聞出版」について、おすすめです。今、1937年を知っておくことは大変重要かも。81年前ですね。今80〜90代の方たちが「私たちの青春は戦争に次ぐ戦争だった」と言われる時代のことですね。

山崎雅弘さんがリツィート

えぬ
@michienu 7月14日

朝日新聞出版刊、山崎雅弘氏著、1937年の日本人 なぜ日本は戦争への坂道を歩んでいったのか、を読みました。
平和な日常が徐々に戦争の色に染まる雰囲気を、当時の新聞から読んでいきます。学校の授業では流してしまいがちですが、実はとっても重要で、知っておくべき時代だと思いました。


上 昌広
@KamiMasahiro 7月15日
1937年の朝日新聞を時系列で追いかけます。のどかな元旦が、小さな偶然の積み重ねで、盧溝橋事変から国家総動員法成立へと突き進みます。色々と考えさせられます。良書です。
1937年の日本人 感想 山崎雅弘 https://bookmeter.com/books/12807393 #bookmeter @bookmeterさんから


おかむら
昭和12年7月の盧溝橋事件がきっかけでその後8年も続く戦争が始まったわけですが、この年1年間の新聞雑誌を時系列で読み解くことによって当時の世間の空気感を追体験する試み。戦時中というと、もんぺ姿でバケツリレー的な絵面を思い浮かべてしまうけど、そんな暗い生活はかなり後のイメージなわけで。昭和12年の前半はキナ臭くはあるけどそこそこ平和だし、盧溝橋事件も最初は小さな軍事衝突があれよあれよと広がって、でも圧倒的に日本強いし12月の南京陥落で戦争終わるんじゃね?的な雰囲気だったのがわかる。知らないうちに戦争、怖い!

山崎 雅弘
@mas__yamazaki 7月16日
山崎 雅弘さんがえぬをリツイートしました
戦争とは「平時よりもさらに政府への服従を強いられる状況」であり、国民に無条件の服従を強いる政府の指導部が、実は自国民の犠牲よりも自分たちの面子や威信を優先する、間違いを認めない人間ばかりならどんなことになるのか、という視点で過去の事例を見ることも重要です。