玉城デニー沖縄県知事誕生「勝ったのは沖縄の肝美らさ」(三上智恵)


ここ数年、安倍内閣のウソと改ざんの政治にうんざりで、政治のことを取り上げるとネガティブにならざるを得ず健康にも悪いな〜と思いつつの毎日でした。そんななか沖縄の知事選の結果ほど明るくてほっとするニュースはありません。玉城デニー氏の漏れ伝わる発言や人柄も好ましくうれしいことです。ところが、テレビではあまり取り上げる番組がなく(見逃し?)やっと先週土曜日の報道特集が取り上げていました。

山崎雅弘さんがリツィート
YAF
‏@yagainstfascism 10月6日
報道特集玉城デニー沖縄県知事。・「沖縄県民は玉城デニーという人間を知事に選ぶことで、沖縄の多様性の可能性をしっかりと見つめ、実現してゆこうということを確かめようというスタートラインに立ったと思う私は戦後世代の多様性・価値観を体現する、象徴的存在だと思う」#新時代沖縄 ですね


「生まれ、家柄がよいとか、金があるという事にとらわれる時代ではなく、これからは一人一人の尊厳が生かされ、伸ばされ、それを共有できることが、本当の私達の社会の未来を、そこから作れるのではないかという可能性に繋がると思う。やりがいがあります」。#新時代沖縄 !


◎先日、久しぶりに、おしどりマコ氏の件で”マガジン9”のサイトを訪れ、三上智慧さんの「沖縄撮影日記」を思い出しました。そこに私が知りたかったことが書かれていました。まず出だし、あの沖縄独特の踊りカチャーシーについて。当選が決まった時のデニーさんのあの鳥が舞うようなゆっくりとした優雅な踊り、について書いてあったのがうれしい! そして出自について。あの顔立ちからも名前からも玉城さんは、アメリカ人と日本人との間に生まれた、今で言うハーフ。昔なら”混血児、合いの子”と呼ばれて差別されてきたであろうことも戦後を知る私たち世代なら分かります。でも玉城氏は、それを多様性ととらえ、米国人の血が半分流れる知事の言うことをアメリカが聞かないわけがないだろうと前向きにとらえる明るさ素直さ。素晴らしい人を得て、久しぶりに嬉しい沖縄ですが、前途多難。翁長さんのように命まで捧げることにならないようにと心から願っています。
三上智恵さんは、あの89歳の”辺野古の島袋文子おばあ”と一緒に選挙戦の結果を見守っておられましたので、おばあの思いについても書いておられます。それでは、”「母子家庭でハーフ」の心優しい少年”だった玉城デニーさんを知事に選んだ沖縄から三上智恵さんが伝えます:

勝ったのはうちなー(沖縄)の肝美らさ(真心の美しさ)〜デニー知事誕生
By 三上 智恵  2018年10月3日



(動画:https://youtu.be/ihBCW6TMqVc


 それはいつまでも見ていたいカチャーシーだった。


 当選確実の報道が、歓声と拍手を呼び会場を揺るがした。三線をかき鳴らす音が聞こえるや否や、天を仰いでいた玉城デニー候補がおもむろに両手を挙げて前に進み出た。大きく体を反らし、拳をくねらせ、慣れた手つきで右へ、左へ。愛想笑いもなく、調子を合わせているのでもなく、自分の内面に押し込めた感情を見つめ、感激と感謝と大事な人への溢れる想いを徐々に開放していくような、空を見つめる琉舞の所作にも似た、玄人はだしの「舞い」だった。長年人気タレントとしてテレビ・イベント・舞台でも活躍し、沖縄の芸能にも造詣が深いデニーさんの個性が光る瞬間。そしてこの柔らかな物腰で、「辺野古基地建設反対」にもう一度県民の想いを結集させ、過去最多の39万という票を集めたその底力に、あらためて目を見張った場面だった。

 
 大型で非常に強い台風24号は投票前々日から投票日の朝まで沖縄で荒れ狂った。25万戸が停電するという近年なかった被害を出し、とても期日前投票どころではなかった。これはどちらにとって吉と出るか凶と出るか、様々な憶測が飛んだ。読めない選挙になってしまった。辺野古を抱える名護市もほとんど停電から復旧していなかったが、文子おばあの仲間たちは、ある名護市議の事務所に自家発電機を入れ、みんなでテレビを見守るということになり、信号も街灯も消えている道を文子おばあと共に事務所に向けて走った。



 投票箱が閉まると同時に様々な情報が飛び交う。沖縄県内の放送局はどこも当確を出していない段階から、「長野のテレビで当確を打った」だの、「北海道の友人からお祝いのメッセージが来た」だの、情報は錯綜した。なんせ停電でパソコンは不自由だし、またアンテナも倒れているせいか受信状況も悪く、開票の夜はえらく情報過疎だった。おばあはそれらの情報に一喜一憂しない。「ぬか喜びはしたくない」と口を一文字にして、テレビ画面を食い入るように見ていた。


 「相手候補の方は菅とか、小泉の息子さんとか、あれだけ政府丸抱えで札束で顔を叩いて。うちなーんちゅはこんなのに屈してはいけないんだよ。くれるものは、こっちが頼んでもないのにくれるというならもらえばいい。でもね、心まで渡すことはないの。そこが心配」


 文子おばあは車の中でずっと「沖縄県民の弱さ」を憂いていた。ここまで来て辺野古を容認するリーダーを選んでしまえば、政府の好きなようにされる。どんな島を子や孫に手渡していくのか。憤懣やる方ない様子だ。ふるまわれた牛汁にもおにぎりにも手は付けない。食欲はない。あるはずがない。



 文子おばあは4年前からキャンプ・シュワブのゲート前の座り込みに通い、建築資材を積んだトラックの前に立ちはだかって「私を轢いてから通って行け。それができるか?」と啖呵を切ってきた。体力の限り、連日座り込みに参加した。4年前に翁長知事が当選した時には「生きてきてよかった」と 、初めて自分の人生を肯定する言葉を発した文子さんのことをずっと見つめてきた。あの日の歓喜と、翁長知事を先頭に政府の強硬姿勢に抵抗した日々と、ついに完成してしまった護岸と、知事の死去。激動の4年間を経て、きょう、この期に及んでまた彼女を打ちのめすような結果が出たら、そんなシーンは正視できない。撮影する自信もない。89歳、4年後の知事選など見えない、待てない。私の胸は何度もぎゅっと苦しくなる。


 一分一秒が長く、息が詰まる時間が過ぎていく。そして時計が午後9時半を回るころ、NHKが当確を出した。デニーさんのいる会場は全員が立ち上がり歓喜の声に埋め尽くされた。ほぼ同時に名護市の事務所も大騒ぎ。指笛とカチャーシー。たぶん、ここだけではなく、県内無数の現場で同時にカチャーシーが踊られていたことは疑いがない。しかも大差だ。8万票もの圧倒的な支持の差が歴然となったのだ。


 「うちなーんちゅは、肝心(ちむぐくる)は売らなかった」
 「勝ったのは、うちなーの肝美らさ(ちむじゅらさ)負けたのは沖縄を見くびった政府」



 「うちなーんちゅ、うしぇーてぃないびらんどー」沖縄県民を舐めるな。見くびるな。子や孫のために命がけでこの島を守りましょう。今も聞こえる翁長知事の声が、沖縄県民の心をちゃんとつかんでいた。徐々に伸びる護岸がぐるりと海を囲み、閉じられた時にはもう、抵抗しても無理なのでは? と心が折れそうになった県民も多かっただろう。それでも、ここで折れたら翁長さんの踏ん張りはどうなる? 子供たちに胸が張れるか? そう自問した大人たちがたくさんいたのだ。これはすごいことだ。


 動画の中で久志に住む女性も言及しているが、今回すさまじかった企業や宗教団体の動員を目の当たりにして、これは勝ち目がないという声があちこちで上がっていた。しかし、この得票は、動員された人々の中に、かなりの数が「誘導されている候補者ではない人物」の名前を書いていることを示している。所属している社会のしがらみが手足を絡めとろうとも、心までは渡さなかった。この間の日本政府の手法に対し、明らかに拒否感を持った県民が増殖したということだ。「飴と鞭」で手なずけられると高をくくったようなその態度こそ県民の気持ちを遠ざけたのだ。


 大勝利だ。とはいえ、デニー知事の行く手は険しい沖縄県は法に則って仲井真元知事の埋め立て承認を撤回したわけだが、政府は県を許さないだろう。また裁判で県の撤回を無効化する手段に出て、工事の再開を目論むだろう。それこそ三権分立をないがしろにして行政と司法が結託し、さらには立法機関までも歩調を合わせかねない危機的な状況が迫っている。でも、かつて恩納村の都市型訓練施設の建設を巡って村を挙げて戦った男性はこういった。



 「これから三権が一丸となって沖縄に暴力的に襲い掛かってくるでしょう。それは想定している。しかしそれには屈しない。今日のこの結果が、自信と勇気をくれた。沖縄の闘いは、県民一人ひとりが主人公なんです。今日勝ったのは玉城デニーさん。だけど私たち県民一人ひとりの勝利なんです


 踏みつければ踏みつける程に強くなっていく民草。「弾圧は抵抗を呼ぶ。抵抗は友を呼ぶ」といった瀬長亀次郎さんの言葉通り、沖縄を丸ごと屈服させることが可能であるかのような幻想を持っている政治家は、いつか必ず自分の見識の浅さを恥じる日が来るだろう。


 選挙後、Twitterで「沖縄を在日米軍自衛隊で総攻撃です。日本中央政府は武力をもって沖縄地方を再占領」「この再占領計画で亡くなった人は玉城デニーデニーを選んだ人間を恨んでください」などの書き込みがあり、「デニーの暗殺」などの暴力的なものもあったがTwitter社への通報が殺到。ヘイトを投稿したアカウントは次々に削除されている。Twitter社もデマや暴力的発言の規制を強めており、今回の選挙戦で飛び交った悪質な発言の数々は、選挙後驚くほど速くネット上から消えていった。悪化の一途をたどるかに見えたインターネットの誹謗中傷の流れにも、一定の歯止めがかかった感がある。そのレベルに迎合して人気を得ようとしている節がある安倍政権の戦略にも翳りが見えてきたようだ。



 「自立と共生、そして多様性。それを県政運営の柱としたい」とデニーさんはいう。
 誰一人として置いてけぼりにしない政治。アメリカ人の父の顔も知らず、伊江島出身の母と、育ての母と、二人の母のもとで裕福ではないながらも人に感謝しながら生きることを身に付けたというデニーさんの人柄は、優しく、明るく、誰に対しても丁寧で細やかだ。そして弱い者に対する目線が人並外れて優しいのは、ラジオを聞いていた多くの人がよく知るところだ。沖縄のアイデンティティーの規定の仕方も、ユニーク。誰も排除しない、お互いを尊重して共に生きる沖縄の肝心(ちむぐくる)こそ沖縄のアイデンティティだという。血筋や生まれた場所や宗教や立場や、そういうものに寄り掛からないのだとする枠組みは、私には新鮮だった。かつての沖縄のリーダーたちとはまた違った、大きな包容力を持った知事が誕生したことの意味は、実は大きいのかもしれない。


 ホッと胸をなでおろした文子おばあは言う。
 「うちなーんちゅは心をひとつにしたんだから、もう政府には踏みつけにされないだろうと私は思っている」


 選挙で民意を示したのだから、政府は無下にはしないだろう、なんて。今まで何度民意を示しては踏みにじられたか。それを報道してきた私は人一倍恨みを覚えておく仕事なので、とてもそんなセリフは言えない。この期に及んで政府の良識を信じるなんて。


 しかし、実はこれこそが民主主義の原点でもある。民を信じるということは、民が選んだリーダーも信じるということだ。沖縄の叫びを聞き取った国民の皆さんが、「よし、沖縄が声を合わせてそう言ってるんだから、別の政策を考える人を選ぼう」と思ってくれるだろう。そうなれば政府は変わらざるを得ないだろう。そう動いていく未来を信じるということだ



 私はすぐ、政府を信じられないと言ってしまうが、おばあは、もう踏みつけにされないと期待している。誰に? その他大勢の、日本国民に対して、だ。今度こそ届くと信じているのだから、私は伝える仕事でおばあの想いをお手伝いすることをやめられない。全国の人たちを信じて、毎日座り込んでいる人たちのことを伝えないといけない。伝わってないからこの悲劇が続くのだから、知ってもらうために頑張るしかない。


 そして、また強い味方が現れた。翁長さん亡き後、今度は10年も国会議員として政治家の手腕を磨いてきた玉城デニー知事が、政府に強力に沖縄の声を届けてくれるだろう。おじい、おばあたちの苦労も、ヘリや部品が落ちてくる空におびえる子どもたちの不安も、それを守れない大人たちの悔しさも。


 沖縄本島中部で育った「母子家庭でハーフ」の心優しい少年が、ロックを愛し、ラジオの顔になり、市場のおばちゃんたちのアイドルになって、沖縄の伝統芸能に親しみ、国会議員になっても「デニー!」と下の名前で呼ばれ、街頭演説でも街宣車の上に登らなかった。全国の知事の平均像からすればかなり毛色の変わった知事が誕生した。しかし、たぶん政府はまだその意味を過小評価しているだろう。翁長さんの後継者ならだれでも当選できたという選挙ではなかった。これだけ踏みつけられた人々だからこそ推す人間、沖縄からしか出てこない逸材。それが玉城デニーという知事なのだと思う。

★おなじく「マガジン9」にご自身のコラム?を持つ想田和弘氏も知事選について書いておられます:

想田和弘
@KazuhiroSoda 10月2日

書きました。本土の主権者の姿勢が問われています。→第69回:安倍政権はなぜ沖縄の意思を平気で無視できてしまうのか(想田和弘https://maga9.jp/181003-4/ #maga9