芦原公園の紅葉と母の新生活

芦原公園のケヤキが赤く色づき始めました。図書館の横のケヤキ並木は、かなり極端に刈り込まれたので今年は値打ちがありません。
文化の日、菊花展を見ようと寄り道したら、いつものスダレ囲いがなくあれ、終わってしまった? 文化の日の催しじゃなかった? どうも見逃してしまったようです。池の東端にある萩の花が咲いていました。
先週の木曜日、山の中にあるクリーンセンターに燃えないゴミや台風の時に飛んできたビニールのトタンやその他大きなごみを車に積んで出かけました。春に出かけたとき、途中でう回路を指示されて、とんでもない長距離を走って以来のことです。6月の地震の時に割れたものや、9月初めの台風の時のものも母や父の入院で処分できずにいました。山はまだ紅葉には早くドライブしながら右手の斜面がセメントで覆いつくされている箇所に出てきました。この工事のために迂回させられたのですね。これは大工事。箕面の山はもともと崩れやすい地質でできていて、小学校の遠足で「落石注意」の注意書きを見て、みんなで「どうやって注意するんや〜」と笑っていたほどです。それが相次ぐ台風と大雨で土砂崩れがひどく、その工事をしていたわけです。帰り道、写真に撮ってみました。
11月1日、1年ぶりに開通した滝道(滝への遊歩道)も唐人戻り岩の手前が土砂崩れで斜面の工事が大変だっということでした。11月の下旬にはモミジの紅葉がみられると思いますので、そのころ、滝まで一度歩いて行ってみたいと思っています。


 秋澄める 百二歳で 夫逝く


 次の世も あなたに注ぐ 秋ワイン


 思い出が あるから耐える そぞろ寒む



母は、3月16日に大腿骨骨折をしてから7ヵ月半休んでいたヨガを再開すると決め、先月末には火曜日の看護師さんの介助によるお風呂も断り、週1回、金曜1時間の介助のみになりました。看護師さんからは血圧も高いし、メープルホールのある学習センターまで私が付いていくようにと言われていました。それで、12時半、母に付き添って歩いていくことに。母はショッピングカートを押して途中一休みしながらホールの建物に到着。大丈夫のようです。

帰って、母のいない間にと、隣の庭の草引き(主に父が地に下した笹取り)をしていると、母が通路の我が家の引き戸を開けて「ただいま〜」」と言ってる声が聞こえました。サンルームから部屋に入って、さっそく母に「どうだった〜?」「ヨガは半分もできないけど…。みんなの顔を見に来たのよと言ったら皆さん喜んで迎えてくださった」とのこと。

夕食時、いつものように6時過ぎに声をかけると、「お風呂、3時のおやつの後、自分で入った」とのこと。「大丈夫だった? 看護師さんに一緒に入ってと頼まれてたんだけど」「大丈夫、看護師さんたちは大げさなの」「確かにね、ちょっと過保護かなと思うけど」と私も。母の元通りの生活に向かって一歩を踏み出した日、新しい再スタートを祝って3人でワインで乾杯しました。

俳句の方は、千里中央の俳句はリーダー不在なので行ってもお互い切磋琢磨という感じではないので、無理していくことないと辞めるようです。その代り同人誌の方へは7句ほど出さないといけないので、そちらを続けるとのこと。

今回、供花を戴いたりお供えを戴いたりした方たちは、みんな若いころにご主人を亡くしておられて、百二歳までの長寿を生きた父は幸せ、女々しいことは言ってられない。今回は父の死を詠んだけど、これが最後とのこと。元気なことです。いい趣味があって、いいなぁ〜と思いました。
芦原公園からの帰り団地の周りの水路沿いを帰ることに。団地の花壇に白菊がたくさん咲いていました。中の花壇には黄色のツワブキが咲いていました。