◇「辺野古埋め立てストップの署名をお願いします。」http://d.hatena.ne.jp/cangael/20181216/1544922771
◎ホワイトハウスの辺野古ストップ署名についての今朝の琉球新報の記事です:
りゅうちぇる、アジカンのGotch、芥川賞作家の平野啓一郎さんも 辺野古署名に著名人も続々、賛同 ホワイトハウス請願2018年12月18日 08:02
米軍普天間飛行場移設に伴う名護市辺野古の新基地建設工事を止めようと、ホワイトハウスの請願サイトで行われているインターネット署名は、多くの著名人が署名への協力をツイッター(短文投稿サイト)などで呼び掛け、急速に賛同の輪が広がっている。
(https://ryukyushimpo.jp/news/entry-850230.html)
先週、千里中央の千中パルの広場を通りました。寒い日で外に出て遊んでいるのは子供と遊ばせている若いパパとママたちだけ。階段状になっている花壇はグリーンで統一されています。グランドカバーに使われる植物や寒くても花をつけるハーブ類など。園芸のプロの作品です。写真を撮ってきました。
◎さて、師走のはじめ、二人の文学者による発言がありました。一つは新聞記事で捨てられずに残しておいたもの。もう一つは、西日本新聞の記事をコピーしたもの。一つは中村文則氏で、沖縄問題に対する本土の私たちの心理状況を見事に言い当てているもの。もう一つは、平野啓一郎氏で、反対すること自体を否定的にとらえる世間の風潮について「健全な批判は評価すべき」というもの。メモ代わりに書き移しとコピーを記事にしました。
弁護士 亀石倫子
@MichikoKameishi 12月4日「日米関係における日本はうつぶせの状態で背中を靴下で踏まれているような状態に思えます。踏まれた側がとる態度は二つ。一つはその足をどけてくれと意思表示をする。もう一つは私たちは踏まれていないと現実否認をする。踏まれているのは自分ではなく沖縄なんだと思いたい」
https://www.asahi.com/articles/ASLD37FJ1LD3UTIL04M.html
背中踏まれる日本、現実否認中 中村文則さんが語る沖縄
聞き手・木村司
2018年12月4日
政府は3日、米軍普天間飛行場(沖縄県宜野湾市)の移設問題で、名護市辺野古の海への土砂投入を14日にスタートすると表明した。そんな進め方の背景に何を見るのか。「教団X」「R帝国」「その先の道に消える」「銃」……と、話題作を次々と世に送り出す芥川賞作家の中村文則さん(41)が語った.(以下、朝日新聞の記事を書き移すことに)
数年前、初めて沖縄に行きました。ひめゆり平和祈念資料館などをめぐり、語り部の話も聞きました。沖縄線の本質は、そこに住む日本人が、ほかの地域に住む日本人の時間稼ぎに使われたということはと。その精神性は70年たった現在も、米軍基地を押しつけるという形で続いていると思います。
辺野古の基地建設の進め方や不平等な日米地位協定など、日米関係における日本は、ひざまずいている顔を靴で踏まれているとまでは思いませんが、うつぶせの状態で背中を靴下で踏まれているような状態に思えます。踏まれた側がとる態度は二つ。一つは、その足をどけてくれと意思表示をする。もう一つは、私たちは踏まれていないと現実否認をする。後者がいまの日本の姿です。
日本の問題であるのに「沖縄の問題」とすり替えて、現実を直視することを避ける。踏まれているのは自分ではなく、沖縄なんだと思いたい。そんな心理状態ではないでしょうか。
私は米国が好きです。日本はこれからも親米国家であるべきだと考えています。だからこそ、辺野古をめぐる問題では、日本政府の後ろに隠れている米国に伝えたい。
対等な二国間関係ではなかったとしても、誇りや尊厳を傷つけるような領域までは踏み込まないでほしい、と。日本の美しい辺野古の海に土砂が一投一投、流されていく。その傍らでぼうぜんと立ち尽くすひとがいる。そんな映像がテレビで繰り返し流れれば、空襲や2度の原爆を経験した日本人の根底にある、米国への複雑な感情がおおきくなるでしょう。背中を踏まれていたのはじぶんたちだったのか、と。ただ、最近のテレビは、そうしたニュースをきちんと扱わないかもしれませんね。
◎平野啓一郎氏の記事はこちらで見つけました:
平野啓一郎「私は、そもそも何かに反対する、異議を唱えること自体への昨今の否定的な風潮が気になっている」(西日本新聞)「野党は、では、なぜ(与党の提出する法案内容を)批判するのか?」「法律制定後のリスクが予見されるからである。事実、問題がなければ、多くの場合賛成しているわけで、政府は指摘を受けて、リスクを最小化するための方法を考えねばならない」「選挙で負けたのだから、野党は与党に従えという愚論も、昨今では堂々と語られるが、選挙結果は議会の布陣を決定するだけで、立法のために、政策を同じくする議員が多ければ有利であり、少なければ)不利というに過ぎない」「法律は、一国民全員に課される以上、多様性に配慮が行き届いたものでなければ、いずれは破綻する」「無気力な翼賛体制が構築されれば、未来には巨大なリスクが積み上がってゆくばかりである。健全な批判の意義を、社会は評価すべきである」
私もまったく同感。
◎西日本新聞から全文を引用です:https://www.nishinippon.co.jp/sp/nnp/teiron/article/470191/ …
【国会審議と未来のリスク】 平野 啓一郎さん2018年12月03日 11時00分
立憲民主党の中谷一馬衆議院議員は、選挙ドットコムに『「野党は反対ばかりしている?」を客観的にデータ検証してみた。』(8月17日)という記事を寄稿している。
丁度(ちょうど)国会の会期中で、テレビのニュースを見ていると、確かに野党は「反対ばかりしている」風に見えるが、前回(第196回)の国会では、143件の法案中、最も賛成率が低かった共産党でも衆議院で43.4%、日本維新の会は97.6%、立憲民主党は衆参両院で平均78.31%に賛成しているのだという。こうなると、維新の会などは、むしろ野党なのに「賛成ばかりしている!」と批判されるかもしれない。
中谷氏は、立憲民主党が反対したのは、「成長戦略、依存症対策などあらゆる面で疑問だらけなのに、賭博ギャンブルを解禁して実行するカジノ法案」や「捏造(ねつぞう)データをもとに審議を続けてきた、働き方改革関連法案」などであり、自党も「合同提出も含め44本の議員立法法案を国会に提出した」と訴えている。
この事実確認は重要だが、他方で私は、そもそも何かに反対する、異議を唱えること自体への昨今の否定的な風潮が気になっている。
第2次安倍内閣以降、首相は事あるごとに、「丁寧に説明する」と繰り返してきたが、安保法制然(しか)り、特定秘密保護法然り、共謀罪然り、或(ある)いは森友・加計学園問題然り、その後、実行されたことはない。どれほど乱暴な国会運営で採決強行を連発しても、しばらく放置しておけば世論も落ち着くだろう、と高を括(くく)っていて、実際、その通りになっている。まるで具体性のない入管難民法改正案を、技能実習制度の実態調査のデータをごまかしてまで、たった17時間余の審議で採決強行するなどというのは暴挙だが、有権者はまたしてもそれを黙認するのかもしれない。
野党は、では、なぜ批判するのか? 政府の邪魔をすることが、自己目的化しているという非難があるが、本来は、法律制定後のリスクが予見されるからである。事実、問題がなければ、多くの場合、賛成しているわけで、政府は指摘を受けて、リスクを最小化するための方法を考えねばならない。これは、立法に限らず、どんなプロジェクトにでも、当然に必要とされるプロセスである。
反対だけでなく、対案を出せともよく言われるが、それで野党は政権担当能力をアピールできようものの、政府は自らの無能を認めるようなものである。第一、そもそもまったく賛同できない無理な法案は、拒否する以外にない。
選挙で負けたのだから、野党は与党に従えという愚論も、昨今では堂々と語られるが、選挙結果は議会の布陣を決定するだけで、立法のために、政策を同じくする議員が多ければ有利であり、少なければ不利というに過ぎない。
重要なのは、法律は、一国民全員に課される以上、多様性に配慮が行き届いたものでなければ、いずれは破綻する、ということである。政府は反対意見に耳を傾け、事前にリスクを回避すべく議論に応じ、場合によっては政策転換もしなければならない。
ところが、現政権の野党や世論の批判への対応は、クレーマー対策のマニュアルでも参考にしているかの如(ごと)き、強硬な切り捨てである。そして、過激なクレーマーの存在に疲弊した社会の側も、ひょっとすると、国会で政府を追及する野党の姿勢に同種のものを見ているのかもしれない。
無気力な翼賛体制が構築されれば、未来には巨大なリスクが積み上がってゆくばかりである。健全な批判の意義を、社会は評価すべきである。
【略歴】1975年、愛知県蒲郡市生まれ。2歳から福岡県立東筑高卒業まで北九州市で暮らす。京都大在学中の99年に「日蝕」で芥川賞。渡辺淳一文学賞受賞作「マチネの終わりに」は映画化され、2019年秋に公開予定。新刊は「ある男」。
=2018/12/03付 西日本新聞朝刊=