国宝 曜変天目茶碗を訪ねて湖南アルプス山中のMIHO美術館へ

14日の火曜日、朝9時半、滋賀県甲賀市信楽町にあるMIHO美術館の電話番号を車のナビに打ち込んで出発。到着予定1時間20分でしたが、草津で大渋滞にあい、11時20分着。

新聞広告の切り抜きを昨日探してみたら残っていました。この春、日本に3点しかない国宝の中国伝来・曜変天目茶碗が同時公開されることに。一つは奈良国立博物館、もう一つは東京、そして残り一つはMIHO MUSEUM。

10年以上前のことになりますが、夫の車で大津の義姉夫婦をピックアップして信楽焼信楽へ行ったことがありました。義姉たちが水琴窟を買ったと聞いて驚いたことがあります。その帰り、人里離れた山の中の細い道を走っていると美術館の案内看板が立っていました。こんな山奥に!?と思いました。あれからこの美術館の話題が何度か。奈良は行ったことがあるので、この際、信楽のあの美術館へと思っていたのですが、4月10日、母の突然の入院。諦めていたら、夫から声がかかって行けることに。

山の新緑が輝く道をどこまでも走りながら、夫は”湖南アルプス””と呼ばれる山並みの中だと知って喜んでいました。いよいよ目的近くなって左手に異様な橋が。これはひょっとして新名神だろうか?それにしても異様なデザインです。 

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美術館の敷地内の山道を走ると駐車場が見え、そこに車を止めてから送迎バスに乗り坂道を数分。降りたところから歩いてトンネルを目指します。桜が終わってシャクナゲが咲いています。トンネルの先は・・・

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ワイヤーの吊具が弧を描いていて、振り返るとつり橋のワイヤーが美しい。

行く手を見ると、ガラスの大きな藁ぶき屋根の形をした大屋根が見えます。

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MIHO MUSEUMを設計したのは、ルーブル美術館にガラスのピラミッドを出現させた建築家のI.M.ペイ。入り口から美術館まで、こんなに時間と距離がかかるのは『桃源郷』を実現するためとか。建物入り口と内部。

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明るい館内の案内に惹かれて二階へ上がると行列。こんなに並ばないといけないとは。飴玉をもらいながら壁面のパネルの写真を見る。ここの曜変天目茶碗は大徳寺龍光院(りょうこういん)の門外不出のお茶碗。展示のタイトルには破草鞋(はそうけい)とありますが、意味は、そのまま「破れわらじ」?という意味?

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いよいよ展示室へ。ずいぶん照明を押さえて暗いぐらい。いろいろ展示品を見ながら2列の行列について、四角い硝子ケースの正面から時計回りに回って全方向からお茶碗を見ます。よく見る曜変天目の印象からは地味~なお茶碗。白い点々の周りにわずかに青みがかった虹色が見えます。お茶碗の姿はスッキリ。これが国宝のお茶碗!
あとは、龍光院の貯蔵品の数々をじっくり見ました。とても華やかな僧衣を纏った江月(こうげつ)和尚像は長谷川等伯のもの。細密に衣装が描かれていて、デューラー肖像画に匹敵すると思いました。様々な茶器もたくさん。

展示室に入る行列に並んでいるとき、テレビで解説が流れていて小耳にはさんだのが、紫衣(しい)事件というもの。江戸時代に高貴な身分のものしか着てはいけないという紫の衣を大徳寺の僧侶が着たという咎で、3人の僧が遠島を申し付けられた。3人も一度にいなくなるとお寺が立ち行かなくなるので江月一人を残して二人が遠島ということに。身に着ける色彩に位階があるというのは聖徳太子の頃にあったと習ったような。江戸時代の徳川幕府も色を独占していたとは驚きです。

大徳寺龍光院 国宝 曜変天目と破草鞋(はそうあい)」

京都紫野の禅刹・大徳寺塔頭である龍光院は、武将の黒田長政が父・黒田官兵衛の菩提を弔うため、江月宗玩和尚(1574〜1643)を開祖として慶長十一年(1606)に建立されました。大坂堺の豪商で茶人でもある天王寺屋・津田宗及の次男として生まれた江月は、高い教養と優れた禅風で知られ、当時の龍光院は、高松宮好仁親王小堀遠州松花堂昭乗ら一流の文化人が集う寛永文化の発信地でした。
また天王寺屋伝来の名宝は、江月によって大坂夏の陣の難をくぐり抜け、現在その多くが龍光院に伝えられています。
このたび龍光院の全面協力を得て、龍光院四百年の全容を一挙公開いたします。国宝の曜変天目茶碗や密庵墨蹟、柿栗図(伝牧谿筆)、油滴天目などの重要文化財をはじめとする、天王寺屋伝来の名宝、寛永文化の美を伝える江月所用の品や江月に帰依した人々ゆかりの文物、歴代寺伝の什物を展覧するとともに、江月以来脈々と受け継がれ、今に生きる禅の法統、龍光院の現在も紹介いたします。(引用元:https://intojapanwaraku.com/tea/2517/)

見終わったら1時過ぎ。お腹がすいたので館内でランチをすませることに。順番を待って座っている正面の壁面に梅原毅さんの『桃源郷はここ』の陶板がかかっていました。

さて、音声ガイドを返却するところで、南館・常設館には、美術館所蔵の重要文化財曜変天目茶碗があると薦められました。ここが、なかなか見ごたえがありました。パンフレットの裏表紙の写真がローマのフレスコ画。エジプトからイラン、西域の金、銀、青銅製品から中国の様々な文物。その一つが重要文化財の中国宋時代の曜変天目です。こちらも黒ずんだ中にピンクの斑点が浮かんでいる美しい御茶碗でした。パンフレットの写真と解説から:「大佛次郎氏所蔵であったこの曜変は、前田利常以来加賀前田家に伝来した名品であり、国宝三点以外では『大正名器鑑』に六碗挙げられているものの一つ。」

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さあ、帰りを急がないと、雨がぱらつき始めて緑色の貸し傘をさして外へ出ている人が見えました。私は晴雨兼用の日傘をさして、来た道を戻ることに。

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振り返るとガラスの大屋根、向こうには桃源郷から抜け出るトンネル・・・

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トンネルを抜けると、新緑の中にシャクナゲが咲く遊歩道を歩いて最初の建物、チケットを買ったレセプション棟のある広場へ。階段を降りたところで帰りの送迎バスを待って、元の駐車場へ。

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3時ごろ帰路に。帰りはナビ通り、来た道よりいっそう山深い一本道を数キロ。向かいから車が来たらどうしようという狭い道。正面にきれいに刈り込んだ茶畑が見えてきました。電動の風車があちこちに見え、高級茶用の黒い幕を張った茶畑もありました。

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茶畑を抜けるとやっと普通の道路に。

瀬田川沿いの道路をひた走って、帰りは京滋パイパスから名神を降りると、

万博の観覧車が見えます。少し走ると千里中央の2棟の高層マンションが。

その手前で西にそれて母の病院へ寄ることに。

明日金曜日はお茶の稽古。ミュージアムショップで3点の曜変天目茶碗を

並べて写したクリアファイルをお土産に買い求めました。

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私が実物を見たのは左端。真ん中が奈良国立博物館藤田美術館曜変天目。一番鮮やかで派手なのは、東京の静嘉堂美術館の「稲葉天目」と言われるもの。今回、大徳寺塔頭の一つ龍光院の国宝曜変天目と、もう一つ、MIHO美術館所蔵の重要文化財曜変天目も見ることができたのは幸運でした。鮮やかな曜変ではありませんが、闇の中に今にも輝きが解き放たれるような厳かな感じのお茶碗でした。