映画「パラサイト 半地下の家族」とカズ・ヒロ氏の「国籍と名前を変えた理由」

◎前日にアカデミー賞受賞が伝えられた翌日「パラサイト 半地下の家族」を見ました。前日、ネットでチケットを購入、お昼を済ませて二人で20分ほど歩いて出かけました。(←入口のポスターをカメラで)

前半、ここは笑うとこでしょ…と思わず自分と観客に突っ込んでました。前日のアカデミー賞のせい?なのかほぼ満員の客席、誰も笑わない、クスリとも笑い声が聞こえない、私も笑えてない・・・ドタバタ悲喜劇、笑えないとこの映画はキツイ・・・終わっての感想は一言  ”凄まじい!!”でした。権威(アカデミー賞)に弱いのか、意識しすぎるのか、アカデミー賞の発表以前に見ていれば皆で笑えていたかもしれないと思うと一寸残念。アカデミー賞受賞作品鑑賞会になっていました。半地下家族の寄生先の社長の妻を演じた方が若いころの黒木瞳さんに似ていると思ったのですが・・・皆さん好演でしたね。帰途の道すがら「カンヌでもアメリカでも評価されたってことは貧困の問題が韓国だけでなく世界とくにアメリカでひどいからね」「アメリカで『絶望死』が増えているなんて記事が出てたな」と二人で。

内田樹さんがリツイート

しゅなこ @chounamoul 2月10日

韓国映画は、過去20年見てきた中で「こういう映画作るの凄いな」という作り手の質だけじゃなく、「こういう映画がヒットする社会凄いな」という観客の質への感嘆も毎年いや増してたので、ポンジュノもすげーけど韓国の映画業界、ひいては韓国人もすげーよというのが今回の受賞の俺の受け止め方です。

◎ メモ代わりに映画の公式サイトから内容を:

 全員失業中。日の光も、電波も弱い“半地下住宅”で暮らす貧しいキム一家。大学受験に失敗し続けている長男ギウは、ある理由からエリート大学生の友達に家庭教師の仕事を紹介される。身分を偽り訪れた先は、IT企業を経営するパク社長一家が暮らす“高台の大豪邸”。思いもよらぬ高給の“就職先”を見つけたギウは、続けて美術家庭教師として妹ギジョンを紹介する。徐々に“パラサイト”していくキム一家。しかし、彼らが辿り着く先には、誰にも想像し得ない衝撃の光景が待ち構えていた―。ツイストを効かせながら猛烈に加速していく100%予測不能な展開。喜怒哀楽、全ての感情が揺さぶられる、唯一無二の最高傑作が誕生した!

 ◎公式サイトで予告編が見られます:(↓映画の場面はサイトの写真から)

 ◎内容は明かすなと言うことですのでアカデミー賞受賞式での監督賞受賞のツィートを内田樹氏のツィッターから。 

◎もう一つ、ポン・ジュノ監督の受賞の言葉を:

▼パプリカ

@papurika_dreams 2月10日

ボン・ジュノ「映画を勉強していた若い頃、心に深く刻まれた言葉があります。『最も個人的なものが最も創造的なのだ』これは偉大なるマーティン・スコセッシ、貴方の言葉です。」「学生の頃あなたの作品を研究した、「(貴方と並んで)ノミネートされただけでも光栄です。」

「そして私の作品に必ずしも皆が馴染みのないこの国で、クェンティンはいつも私の作品を推薦作にあげてくれていました、ありがとうクェンティンI love you。」「もしアカデミーが許してくれるならテキサス・チェーンソーでこの賞を5分割して他のノミニー監督と分かち合いたい。今夜は飲み明かします」

◎次に、韓国映画の隆盛は「韓国が国を挙げて文化を支援したからだ」という日本の言説に対して、かつて公的な支援機関で働いていた方が反論しています。少し長いですが、韓国映画界の気概が分かる内容ですのでそのまま引用です:

▼mirugi/宣政佑(そん・じょんう)
@mirugi_jp 2月10日
・またしても韓国映画の発展は、韓国が国を挙げて文化を支援したからという言説が日本には登場。映画ではないし自治体傘下の頃だから厳密には国ではないがその後国傘下になった漫画支援機関出身として言うが、韓国で文化が国支援の「お陰で」発展した事実はない。むしろ国の弾圧や操ろうとする逆境に打ち勝って来たと言える。
・何しろすぐ最近の、朴槿恵大統領の時期の「文化芸術界ブラックリスト事件」があったばっかりじゃないか。『パラサイト』の制作会社のCJの元副会長イミギョンさんだって、そもそもサムスン財閥家の人なのに朴槿恵に嫌われ一時追い出されていた訳だし。財閥でさえも例外でなかったのだから、映画監督俳優だって当然対象で、ポン・ジュノもソンガンホも勿論入っていた。なのに「国が支援したから韓国映画が発展した」って?笑わせるな。監督も俳優も映画人の誰もが国の抑圧や社会の不条理にモノを言い、反対し、声を挙げることをやめなかったからこそ韓国映画は発展したのだ。

私の立場は国の支援を全く否定したり必要ないと考える訳ではないが(だから機関にも勤めたのだし)、それでもまるで国の支援が韓国文化の発展に何か重要な要素であるかのように言われる事は全く認めない。それは私の尊敬する全ての文化人への侮辱だし、いつもその方々から国の規制や審議に苦しんできたと悩む姿を見て来た、聞いてきた身としても怒りを禁じ得ることが出来ないからだ。
・幾つか補足。韓国政府が映画支援をしていることは事実。だが「支援していること」と「そのお陰で発展」は違う次元の話。少なくない数の韓国の文化関係の人は、「お陰」には同意していない。私も。また支援が必要な部分もある。必要だが商業的ではなくそのままだと消える文化など。アーカイブもそう。漫画において、私が勤めた分野もアーカイブ。映画では特に韓国映像資料院の仕事はリスペクトの価値あり。アーカイブは特に重要で、国の支援が必要な代表的な分野だと思う。
・繰り返すが、私は国の支援を拒否すべきとか全否定したい訳では無い。ただその「お陰」で韓国映画が発展したという言説は、色んな逆境の中本当に、頑張ってきた人たちへの侮辱になる、と言いたい訳
・また、別に少数の映画人の特別な成果とも思わない。多分ポン・ジュノ監督やソン・ガンホなど俳優も、微塵もそんなことは思わないだろう。つまりこれは、そんな間違った政府の圧力などに曲げることなく批判的映画をも作り続けた映画人や、それを見て評価し観客数という数値で支持してくれた韓国の映画観客たちのお陰、と言うべきものである。それを国の支援とか言われることにまったく同意しないってだけの話だ。
それに、色んな逆境や苦労の中頑張った映画人は日本にもいるだろう。そもそも『パラサイト』と同じく社会の分断と階級の問題を描きカンヌでパルム・ドールを受賞した『万引き家族』はつい二年前の作品ではないか。
・『パラサイト』で日本メディアが「韓国の貧困」を語り始めてるみたいが、まずは自国の映画を評価し自国の貧困問題について考える方が先ではないかとも思う。とにかく、日本には素晴らしい映画文化が存在していたし今もあると思う。
・上記の韓国映像資料院のシネマテークではちょうど10年前、仲代達矢さんを招き黒澤明特別展を開いたことがある。あの時、仲代さんのトークがあり終わった後サインを求める列が出来た。私もその列に並んでいたが、必ずしも年長のファンたちだけではなかった。男女問わず若いファンが大勢並んだ。他国の名作をリスペクトしそこから学ぼうという姿勢はその国の文化が健康である証拠でもある。韓国の映画ファンは何十年前の名作のベテラン俳優に十分なリスペクトを持ち、普通にそれらの作品が好きになるくらいの懐を持つ。国の支援などではなく、そこが韓国映画の力の源なのである。 今回や前の受賞スピーチでもポン監督はアメリカなど他国の先達の監督たちへの感謝の言葉を忘れなかった。その態度を言っているのである。
・あと、イミギョン副会長をそんなに強調するつもりはなかったのに誤解する反応もあるようだ。勿論イ副会長が言うならば自分の階級に与しない『パラサイト』のような映画を制作し、その過程で内容にはまったく関与しなかった事は称賛すべきだろう。だがそこに留まるだけの話だ。それ以上のことではない。むしろそれは、財閥にもその程度の感覚を持たせることの出来る、民衆の力であろう。韓国の民衆はある程度以上の特権は認めようとしない。もし韓国文化の強さというものがあるのだとしたら私は、まさにそこだと思っている。それは歴史上ずっとそうであった側面もあるのだ。(ここでその話はしないが。) 

◎「パラサイト」から離れて、主演男優賞のホアキン・フェニックスが、映画「スタンド・バイ・ミー」で少年達の一人を演じた後、若くして死んだ リヴァー・フェニックスの弟だということを知って驚きました。(PS:全文訳を追加)

内田樹さんがリツイート

北丸雄二 @quitamarco 2月10日

ホアキン、スピーチの最後に死んだ兄のリヴァー・フィニックス17歳の時の詩も披露した。「愛とともにまず救けに走れ。平安は後から付いてくる」

 

shuuei.hatenablog.com

◎最後に一度目は日本人として、二度目の今回はアメリカ人として受賞した特殊メークの達人カズ・ヒロ氏の言葉。日本の嫌なところについてストレートな言葉。日本の生きにくさについて沢山語っています。これも内田氏のツィッターから:

 深町秋生・「探偵は女手ひとつ」5刷

@ash0966 

二度目のオスカーを受賞して、「日本の文化が嫌になっていたし、夢をかなえるのは難しい」とバッサリやっていたカズ・ヒロ氏。どんな人なんだろうと思ったら、とてもおもしろい記事があった。 / “カズ・ヒロ氏、またもやオスカー候補入り。国籍と名前を変えた心境を聞く(猿…”

 ◎最後の言葉から:

将来成功したいと願っている若い人へのアドバイスもやはり、周囲に流されず、自分の考えで動くことだ。
「自分が何をやりたいのか、何をやるべきなのかを自覚して、誰に何を言われようと突き進むこと。日本は、威圧されているじゃないですか。社会でどう受け入れられているか、どう見られているか、全部周りの目なんですよね。そこから動けなくて、葛藤が起こって、精神疾患になってしまうんです結局のところ、自分の人生なのであって、周りの人のために生きているんではないので。当てはまろう、じゃなくて、どう生きるかが大事なんですよ」。
 これからも、カズ・ヒロは、自分の信念に正直に突き進んでいく。