🔲「表現の不自由展かんさい」、裁判所の判断で一転、企画展の開催が可能に:
🔲眠れないベンチ、眠らせないベンチ、「排除アート」と呼ばれる悪意ある意図を持ったデザイン。蛙ブログで最初に取り上げたのはホームレス女性殺害についての奥田知志氏の記事の中でした。奥田氏は「最も醜いベンチ」と呼んでこう書いておられました。写真は(2)の寮美智子さんの記事の奈良のベンチ:
最初にニュースが飛び込んできた時、映像にうつるベンチが事件の背景を物語っているように思えた。二人掛けの小さなベンチの真ん中に仕切りの「手すり」。多くの人は、この「手すり」に違和感を覚えない。しかし、ホームレスの現場を長く見てきた私には、このベンチが事件を象徴しているように映った。
この手のベンチは、ここ二十年ほどの間に全国に広がった。「横になれないように仕切りを付けたベンチ」は、ホームレス対策として設置されたベンチだ。人を拒絶する「最も醜いベンチ」は今も増え続けている。
ベンチに仕切りだけではない。公園の東屋の屋根は外された。駅の待合室は改札の中へと移された。居場所がない人々を何とか引き受けてきた場所が消えつつある。格差が広がり、困窮者が増え、ホームレスが顕在化したころから町は疲れた人が横になる場所を奪い始めた。
1) 渋谷・ホームレス女性殺害「電源の入らない携帯電話がつながる日はあるか~」(奥田知志氏) - 四丁目でCan蛙~日々是好日~ (hatenablog.com)
2)忙しい月曜日と「市民の声でベンチの手すりを撤去した奈良市(寮さんお手柄)」 - 四丁目でCan蛙~日々是好日~ (hatenablog.com)
🔲あれからベンチはお洒落に(デザイン性が高く?)なってこんな風になりました。排除を意図したものなのか、分かりませんが、座りにくく、長居出来ないものであることは確かですね:(記事の一部をツィッターの後に引用)
建築家の五十嵐太郎氏
・私は当時、「アート」という呼び方は適切ではないと考え、「排除オブジェ」と呼んでいました。アートというよりデザインに近いと考えています。実際に、海外では「Hostile architecture(敵対的な建築)」や「Defensive urban design(防御的なアーバン・デザイン)」などと呼んでいますね。
・デザインには機能があります。たとえば間仕切りのあるベンチは、「寝そべることができない機能を持ったベンチ」となります。アートは単一でひとつのものを作りますが、デザインはプロダクト(製品)なので大量生産を前提としています。
・「アート」という名のもと、排除の意図がカモフラージュされています。
特定の人を排除するベンチは、みんなにとってやさしくないと考えています。
・誰がそこまでの「排除」を求めているのかが分からないまま、「排除が標準になっている」状態があります。
・今では、ホームレスが「自己責任論」とセットになって、排除してもいい対象になってしまっています。
・ここまで「排除」が当たり前になってしまい、「自己責任論」がとなえられれば、「あった方がいい」と考える人も出てくるのでしょう。
・世界でSDGsが叫ばれたり、バリアフリーがうたわれているにも関わらず、実際には包摂的ではない社会の進行が起きているのではないでしょうか。
🔲維新もそうですが、安倍政権の時から教員いじめのような政策が。「教員免許更新制」が廃止されることに:
🔲維新の大阪も全くこの通り。国歌を歌っているか口元チェックとかありました。その所為で大阪は優秀な先生が集まらなくなったそうです:
🔲これもヒドイ!五輪関連イベントで雨の中、手話通訳だけは屋根の外:
🔲トヨタが・・・