上皇ご夫妻「琉球」観賞と「日本は沖縄に属する(大江健三郎)」と「米軍駐留こそ命の脅威(高嶺朝一・元琉球新報社長)」

◎写真は、今朝のFNNプライムオンラインから。

上皇ご夫妻「琉球」鑑賞 手をつないで30分間 (msn.com)

上皇ご夫妻は、東京都内の博物館を訪れ、沖縄に関する特別展を鑑賞された。

9日午後5時前、ご夫妻は都内の博物館に到着し、沖縄の本土復帰50年を記念した特別展を鑑賞された。

長年沖縄に心を寄せるご夫妻は、およそ1年7カ月ぶりに展覧会のために外出し、琉球王家に伝わるかんざしや、戦禍にあった旧首里城の柱などを、およそ30分間、手をつないで見て回られた。

お疲れの様子があり、大事を取って外出を延期していた上皇さまは、体調も通常に戻り、「沖縄は戦争がずっとありましたから大変でしたね」、「よく無事でしたね」などと話し、熱心に鑑賞されていた。

上皇ご夫妻の沖縄への想いが特別であることは、本土の国民の沖縄への無関心と逆比例しているみたいです。昭和天皇が沖縄を本土を守るための捨て石扱いしたことへの贖罪の気持ちがあったのではと穿った見方もしてみたくなります。

今年は沖縄の本土復帰から50周年ということですが、「shuueiのメモ」さん、5月30日に取り上げられていた大江健三郎氏の「日本は沖縄に属する」という一文。短い引用ですので、そっくりコピーさせていただきます:(太字、色字、下線 by蛙)

日本は沖縄に属する      『沖縄ノート』大江健三郎 - shuueiのメモ (hatenablog.com)

日本は沖縄に属する

 


沖縄ノート』   大江健三郎

 

 

 僕はかつてアメリカで、核戦略の専門家と話していた時の奇妙な経験を思い出す。かれは鉛筆で極東の地図を描いたが、その地図において日本列島は、沖縄の十分の一にもみたない小っぽけさなのだ。考えてみれば核戦略家のなかで、それはまことに自然な地図のかたちであったにちがいない。核時代の今日を生きる犠牲と差別の総量においてまことに沖縄は日本全体をかこいこんだにひとしく、しかもなおそれをこえて厖大な重荷を支えている石垣島から、いかなる幻影も見ない拒絶の眼で東方を見わたす、醒めた詩人の意識においてもまた、今日の日本の実体は、沖縄の存在にかくれて、ひそかに沖縄に属することによってのみ、いまかくのごとくににせの自立を示しえているのだと透視されるであろう。日本人とはなにか、このような日本人でないところの日本人へと自分をかえることはできないか、と貧しい心で考えあぐねつつ僕が沖縄の空港に、港におりたつ時、僕の意識にある地図においてもまた、日本は沖縄に属する。

◎週遅れ、月遅れで赤旗日曜版を譲ってもらっています。その5月15日号の「沖縄復帰50年/インタビュー」という記事の元琉球新報社長・高嶺朝一さんの記事をコピーします:

米軍駐留こそ命の脅威

コザ騒動第一報

(つづき)両を焼き払いました。米軍支配へのい怒りが爆発した出来事でした。

 現場に駆けつけると、転んで倒れた米軍憲兵が、道路にあおむけになって青ざめていました。群衆はのぞき込むだけで、踏みつけたりはしませんでした。

 「懲らしめる程度ならいいが、危害を加えてはいけない。自然にそんな統制がとれていました」

 71年には宜野湾市のホステスが米兵に殺害され、その軍事裁判を取材しました。証拠は充分あったのに米兵は無罪になりました。

 「米兵はベトナム戦争で勲章をもらった伍長。いくら軍事裁判とは言え米国の民主主義はそんなものか」と怒りをおぼえました。

米兵が日本人を射殺

 72年5月15日に沖縄は祖国に復帰。しかし米兵による事件・事故はその後も続きました。

 同年9月、米軍基地内で米兵がわずか3メートルの至近距離からライフル銃で、日本人基地従業員を射殺しました。加害米兵の名前から「ベンジャミン事件」と呼ばれました。米軍特権を定めた日米地位協定が沖縄に適用された初の事件でした。(↓の写真につづく)

◎沖縄を日本の法律の及ばない島、憲法の規定の及ばない地域にしてはいないか。それによって、日本が守られていると思っているなら、日本はまさに『沖縄に従属』して居ながら、意識が転倒していると言わざるを得ないと思います。

◎6月に咲く我が家の薔薇(今年は葉が落ちる病気にかかって花を諦めていましたが)