☆98歳で亡くなられて今年で10年。朝日新聞では、音楽評論家・吉田秀和氏の「音楽展望」というコラムが40年も続いていたのでした。シリーズ、2回目の写真はタイトルにもある詩人の中原中也です。既に歴史の一部となっている詩人との交流があったという青春時代。記事の一部を:
・高校生の吉田秀和はドイツ文学者の阿部六郎の家に住み、ドイツ語を学んでいた時、中原中也が小林秀雄らと共によく訪れ、17歳の吉田に、23歳の中原はフランス語を教え、夜の街にも連れ出した。
・朝の光が天井に淡い縞模様を描く頃、ランボーやヴェルレーヌ、時にはバッハの一節を口ずさむ中原の声で目が覚めた。バリトンより、ちょっと高めのしゃがれ声。チャイコフスキーの「舟歌」の旋律に、百人一首を載せて歌うこともあった。
・壊れそうに繊細な内面と大胆な創造性を併せ持つ、愛(いと)おしくも恐ろしい存在。芸術の化身たる中原が、吉田の中でショパンに連なってゆく。「真っ暗な世界にたったひとりほうり出されている状態を自覚し、言いようのない恐怖の呻き、抑えようのない不安のリズムが、彼の音楽から伝わってくるのを知った」(1993年5月13日付け「音楽展望」から)
楽譜も読めない中原が、他の誰よりも音楽の本質に近いところにいる。それは決定的な、しかし心地よい「降伏」だった。「音楽に詳しくない」と委縮する人を、吉田はいつも「そんなことはどうでもいい。あなたがどう感じるか、それが重要なんだ」と凛と諭した。30歳で早世した中原の魂は、吉田の悠々たる人生の中にいつまでも生き続けていた。
☆第6回は「語るということ」。ラジオで1971年にスタートしたというNHK/FM「名曲の楽しみ 吉田秀和」について。記事によると:
言い間違っても録音はし直さず、『今のは僕の勘違いでした』と語り続けた。正確さより、そのつど自然にあふれてくる即興の息吹こそ重んじる。その精神は吉田自身が音楽の本質を語る上で最も大切にしていたものだった。 「それで、あなたはどう思うの」・・・・
私がクラシック音楽を楽しむようになったきっかけは、1985年のショパンコンクールの覇者スタニスラフ・ブーニンの演奏と夫が録音していた吉田秀和氏の「名曲の楽しみ」と文庫本で読んだ「名曲300選」でした。吉田秀和さんの書き言葉と話し言葉で私は西洋古典音楽を聴く楽しみを覚えました。没後10年、あらためて吉田秀和さんに感謝したいと思います。(文庫本で読んだのは『100選』だったと思ったのですが300選の間違いだったようです)
吉田秀和氏の遺言”そこに自分の考えはあるか” - 四丁目でCan蛙~日々是好日~ (hatenablog.com)
第10回「芸術と、生きること」の縦見出しは<「音楽は死なない」未来の書き手へ>:
音楽評論家の片山杜秀(58)は「『吉田秀和』は一世一代」と言い切る。「戦前の教養主義の最良の果実であり、大正デモクラシーと戦後民主主義の架け橋を務め得る最後の知性だった。そのパラダイムが崩壊した現在、彼が独りで切り開いた音楽批評の地平を『継ぐ』ことは、誰にもできない」
一方、吉田秀和氏は片山杜秀(もりひで)氏のことをこんな風に:
政治から芸術まで縦横にわたる片山の快刀乱麻の論じっぷりを、吉田本人は「僕とは全く違う、新しい時代の才能」と面白がった。
「音楽は大丈夫。絶対に死なない」。様々な苦難の後に吉田が見出した、この悠々たる楽観の境地を、現代の書き手たちが証明する時代がやってきた。(編集委員・吉田純子)=おわり」
☆16日(木)の朝刊文化欄では、「片山杜秀の「蛙鳴(あめい)梟聴(きょうちょう)」というタイトルで3か月に1回の音楽季評がスタートしました。タイトルは「水と油の共鳴 音楽の奇跡」、サブタイトルは「世界は交っている」で、内容は、旧ソ連時代のバルト三国ラトビア出身のギドン・クレーメルのヴァイオリン演奏を取り上げて、人種や文化が交っているという事実から、「世界は分かちがたくつながっている。それをクラシック音楽は示せる。もしもの時は人に逃げる自由があるとも教える」と。
書き出しは『屋根の上のヴァイオリン弾き』でスタートし、6日のサントリーホールのクレーメルとその共演者アルゲリッチのピアノを「水と油」と喩えて「しかし水と油が交じる。音楽の奇跡である」とまさに縦横無尽。
★続いて、ツィッターで紹介されていた山下達郎氏の記事ですが、私も読んでみてとても良かったので取り上げてみました:
★12月が近づくと必ず聞く曲、山下達郎さんの「クリスマス・イブ」。そしてキンキ・キッズのデビュー曲「硝子の少年時代」は松本隆さんの歌詞と共に印象深い:
誰が聴いても分かるものを作っているつもりはないという。しかし、世代を超えて誰もが口ずさむ曲を生み出している。例えば「雨は夜更け過ぎに」から始まる「クリスマス・イブ」。88年にJR東海のCMソングに起用され、翌年オリコンチャートで1位を記録し、30年以上にわたってチャートイン。クリスマスの風物詩となっている。
「制作方針は昔から、風化しない音楽、いつ作られたか分からないような音楽。耐用年数ばかり考えてきた。KinKi Kidsの『硝子の少年』(97年)を書いた時もそう。
『絶対ミリオン超えの曲を』という難題を課せられて作ったんだけど、関係者の間では『暗い』『踊れない』って大ブーイングだった。そうすると、KinKiの2人も不安になるわけですよ。でもその時、僕が彼らに言った言葉は、『大丈夫。これは君たちが40になっても歌える曲だから』と。確信犯だった」 「普遍性というのかな。時代の試練に耐えること。『あの頃、彼氏と一緒に聴いた、懐かしの……』っていう想い出ツールも大切だけど、古き良き懐メロにならないためにはどうしたらいいか。それは、曲、詞よりも編曲なんです。あとは、それを補佐するミュージシャンの優秀な演奏力と、それを録音するエンジニアの力」
「僕の曲は基本的にワンパターンです。好きな響きが少ないので。だから、誇りを持ってワンパターンと言ってます。映画監督の小津安二郎の有名なせりふで、『俺は豆腐屋だから豆腐しか作らない』という、そんな感じ。落語とか浪花節とか文楽、そういうものは何十年も変わらないのでね。変わらない中で、どう今の時代の空気を吸っていくか」
☆「アジテーションとかアンチテーゼは世の中が平和じゃなきゃできないです」、だから”三重苦”の『動乱の時代』の今は・・・
ライブでは、「お互い、かっこよく年を取っていきましょう」と観客に呼びかける。新作アルバムに付けたタイトルは『SOFTLY』。「もう来年古希なので、人間が丸くなってきたから」と冗談めかすが、「動乱の時代を音楽で優しく包み込みたい」という思いがある。
「人類の歴史が変わるファクターは3つあるといわれているんですね。パンデミック、自然災害、戦争。今、同時に起こっている。20代、30代だったら、もうちょっと違うやり方をするけれども、47年間のポリシーみたいなものがある。リーマン・ショックの頃にはライブのお客さんに焦燥感のようなものが見えたし、東日本大震災の後も、とてつもない緊張感があった。今回、あんまりネガティブな作品は入れないようにしようと。ポップカルチャーは人の幸福に寄与するものなので。アジテーションとかアンチテーゼは世の中が平和じゃないとできないんですよ」
「大切なのは平常心でいること。僕、大きなパニックに強いんですよ。足つったとか、そういう小さいのには弱いけど(笑)。朝起きて、冗談言って、歌って……そういう人は生き残るって、アウシュビッツから帰還して『夜と霧』を書いたヴィクトール・フランクルが言っている。いろいろあっても、春が来て花は咲くしね。雨は降るし、空は変わらない。明るくやらないと、駄目でしょ」
◎今朝の収穫: