長崎大学核兵器廃絶研究センター准教授・中村桂子さんに聞く「核兵器に依存しない安全保障を」

🔲安田菜津紀さんのツィッターで紹介されている中村桂子さんのインタビュー記事をそっくりコピーします。『中村桂子』さんというので、私はすっかり生命誌研究の中村桂子さんだと思ったので、写真を見てビックリ!こんなに若い人じゃない!! 私より年長さんですので・・・同姓同名の中村桂子さんです。8月6日を記念して読むには最適なインタビュー記事(今年3月に放送されたものに基く)だと思いました:

 
 
 
 
 
 
 
安田菜津紀 Dialogue for People
 
@NatsukiYasuda
《(核シェアという)言葉が政治家の方から出てくると、何か「新しい概念」「魅力的なもの」だと映ってしまうこともあるかもしれませんが、私の印象としては、非常に古臭い、旧態依然の冷戦の遺物、まるで“骨董品”のようなイメージ》 中村桂子さんのインタビューです。
2022年2月24日に始まったロシアによるウクライナ侵攻から1カ月以上が経過しました。侵攻直後、プーチン大統領は核戦力を含む核抑止部

 

核兵器に依存しない安全保障を 中村桂子さんインタビュー

 安田 菜津紀 Natsuki Yasuda 安田 菜津紀

 

佐藤 慧 Kei Sato 佐藤 慧

 2022年2月24日に始まったロシアによるウクライナ侵攻から1カ月以上が経過しました。侵攻直後、プーチン大統領は核戦力を含む核抑止部隊を高度の警戒態勢に置くよう軍司令部に命じたと報じられています。戦争被爆国である日本では、岸田首相が「核兵器による威嚇、使用など、万が一にも許されない」と強く非難したものの、自民党の安倍元総理大臣は、アメリカの核兵器を同盟国で共有して運用する「核共有」について議論を進める必要性があると発言するなど、物議を醸しています。そんな中、新型コロナウイルスの影響で延期されていた核拡散防止条約(NPT)再検討会議が、今年8月にニューヨークで開催されることが決まりました。59カ国・地域の批准する核兵器禁止条約も発効から1年が経ちますが、核保有国と、その「核の傘」の下にいる国々は未加入のままです。日本はどのような立場で核の問題と関わっていくのか――。核問題のこれからについて、長崎大学核兵器廃絶研究センター准教授の中村桂子さんに伺いました。

中村桂子さん(本人提供)。

祈るだけではなく、具体的な道筋を示す

――さっそくお伺いしていきたいのですが、まずは長崎大学核兵器廃絶研究センター(RECNA)とは、いったいどのような組織なのか、ご説明ください。

ちょうど今年で設立10年になります。その名の通り、「核兵器廃絶」というテーマに特化した大学付属の研究所なのですが、そうした研究所はおそらく世界でも唯一の、相当に珍しいものだと思います。ご存じの通り、長崎は世界で2番目に戦争による原爆被害を受けた被爆地で、核兵器廃絶を訴えてきた都市でもあります。「祈りの長崎」という言葉をお聞きになったことのある方もいらっしゃるかもしれません。それはとても大切なことなのですが、一方で、“祈るだけ”では中々世界は変わっていきません。私たち研究所の役割としては、そうした被爆地の思い、核兵器廃絶という切なる願いを、具体的な国の政策や、世界の動向に働きかけ、その実現に向けて仲介役を担うことだと思っています。

核をめぐる、市民のためのシンクタンクだと説明することもあります。たとえば現在のウクライナ情勢についても、何が起きているのかということを正確に伝えることで、「核なき世界」というものが、決して単なる理想ではないということ、そしてその実現に向けて、具体的に一歩を踏み出すことができるんだということを示していく、そういう仕事を行っています。 

――2月24日から始まった、ロシアによるウクライナへの軍事侵攻については、どのように受け止めていらっしゃいますか?

正直、ここまで事態が急速に、悪い方向に動くということは、予想をはるかに超えていて、非常に強くショックを受けています。グテーレス国連事務総長から「核戦争の可能性もある」という警告が出るなどといった今の状況に対しては、ひとりの人間としてももちろんですが、長崎で核兵器の問題に関わってきた人間として、強い焦りや憤り、無力感を感じます。

ただそれと同時に、今こそ前に進まなければならないという思いもあります。今の局面というのは、私たちの世界がこれから先、「核のない未来」に進んでいけるかどうかといった、いわば“分岐点”なのではないでしょうか。この状況から、いったい私たちは何を教訓として学び、未来に活かしていくのか――。私たち一人ひとりが、そうした選択を迫られていると思います。

もちろん、今回のウクライナ侵攻に関してまず攻められるべきは、国際法違反を犯し、侵略戦争を始めたロシアでしょう。けれど同時に、その背景構造には、核兵器を筆頭とした「力こそ正義」といった大国の論理やエゴがなかったかということも考えなければならないと思います。

冷戦後、たしかにアメリカもロシアも、核兵器・核弾頭の数を減らしてきたという事実はあります。けれど、「核兵器こそが自国を守るんだ」という冷戦時の思考は、実は現代に至るまで1ミリも変わっていなかったのではないでしょうか。「核の近代化」という名前のもと、寿命の迫る冷戦期の古い核兵器に代わり、より使いやすい、最先端の核兵器の開発・配備に巨額の予算をかけてきたわけです。

これまでに、中距離核戦力(INF)全廃条約が発効(1988年)するなど、国際的な合意が構築されてきたわけですが、そうした枠組みは、“相手国を非難しながら自国の軍拡を正当化していく”過程で破壊されてきました。そしてその背景には、「核抑止こそが唯一の、ベストな方法なんだ」という考えを、私たち自身が容認してきてしまったという事実があると思います。それが結局は、今回のウクライナ侵攻のような事態を招いてしまったのではないのでしょうか。

だからこそ今、核兵器では誰の安全も守れない」、それどころか、「むしろ戦争や侵略行為を招く要素となり、誰もが危険に晒されてしまう」ということを、きちんと認識する必要があるでしょう。

広島の原爆ドーム

核兵器に対する抵抗感が薄れていく怖さ

――1991年、ソビエト連邦が崩壊した当時、ウクライナには1,200発以上の核弾頭が残されていたといいます。その後ウクライナは独立、非核の道を歩むことになるわけですが、今回のロシアによる武力侵攻に際し、「核を放棄したから攻め込まれたんだ」というような言説も見受けられます。このような声について、どのように思われるでしょうか?

そのような議論がSNSなどを通じて広がっていく様子を見るにつけ、非常に罪深いことだと感じています。まずそもそも、事実として正確ではありません。旧ソ連の崩壊後、たしかにウクライナには大量の核兵器が残されました。けれど実際には、当時のウクライナにはそれらの核兵器の管轄権もなければ、技術的な保有能力もなかったわけです。なので、1994年にウクライナ核兵器の全面返還という形をとったのは、いわば必然であって、「残していく」という選択肢はそもそもなかったという歴史的事実があるんですね。

ところがこうした事実を踏まえないで、あるいは知らないで、そのような議論を進めていくということは非常に危険なことだと思います。むしろ当時のウクライナは、核兵器を返還する代わりに安全の保証を求めたのです。旧ソ連の構成国であったウクライナベラルーシカザフスタンの安全を保証する協定として、アメリカ、イギリス、ロシアが合意して作成したブダペスト覚書」というものがあったのですが、結局そうした文書が守られなかったわけですよね。

そこで必要なのは、「ではどうすれば安全の保証をより強固にしていくことができるのか」「より実効性のある和平協定をつくるには何が必要なのか」と考えることであって、決して「核を持っていればよかったんだ」と、事実を捻じ曲げた結論に導くことではありません。「核には核を」というのは非常に安易な方向であり、どうすれば、他の方法で武力侵攻を起こさない枠組みをつくっていけるのか、知恵を出し合っていく必要があるでしょう。

冒頭で私も申し上げたように、このような事態が起こると、不安や無力感といったものを多くの人が感じてしまうかもしれません。そうしたときに、ある種、「短絡的な議論」がとても魅力的に見えてしまうことってあると思うんですよね。冷静な判断というよりは、感情的にそうした方向に飛びつきたくなるという……。けれど自戒も込めてですが、やはりそうした時こそ、この現実から何を学ぶべきか、中長期的な視点を持って考えていく必要があると思います。 

――このような事態に際し、日本の文脈で気になるのが、「核共有」という言葉が一部政治家から語られ、注目を浴び、議論されていることです。

こうした言葉が政治家の方から出てくると、何か「新しい概念」「魅力的なもの」だと映ってしまうこともあるかもしれませんが、私の印象としては、非常に古臭い、旧態依然の冷戦の遺物、まるで“骨董品”のようなイメージの方がむしろ強いんです。何十年も昔の議論に逆戻りしてしまうのか、今頃何を言っているんだという……。

そもそも核共有というのは冷戦時代に作られた枠組みで、NATO北大西洋条約機構)の国々がとっている政策です。ベルギー、オランダ、イタリア、ドイツ、それからトルコの5カ国がその仕組みに参加しているのですが、米軍の戦術核――大陸間を飛ばすようなミサイルに搭載するものではなく、戦闘機に搭載して使うことを想定しているような小型核兵器――を、有事の際に(あくまでNATOの作戦の一部として)供与してもらう仕組みです。そのため上述の5カ国には100発の核弾頭が常備され、米軍により管理されているのですが、たとえばオランダやドイツでは、「もう核共有なんて必要ない」という議論がとても活発に行われており、時代遅れの概念であるというイメージは否めません。

実際、日本にとって安全保障上のメリットなど全くないといってもいいものなのですが、日本の中では以前から、政治家に限らず、核共有を主張する声というのはやっぱりあったわけですよね。こうした話が出てくると、以前であれば「唯一の戦争被爆国である日本でとんでもない話だ!」という風潮があったわけですが、繰り返し議論されていくなかで、一般の人々の核に対する感覚も薄れていく。そうした議論を行うことが“当たり前”のことになっていく。政治家が核兵器の話をすることの“隠れ蓑”として核共有という言葉が使われることによって、「核武装」の議論までが日常的になされるようになるかもしれない。被爆国であることで、いわゆる“核アレルギー”と呼ばれていたような日本で、核兵器に対する抵抗感が薄れていく……。そうした無意識の世論の動きというものの恐ろしさを、今回特に強く感じますね。

だからこそ、核共有に関しては、きちんと議論の詳細を詰めていく必要があるのではないかと思います。たとえば9.11(アメリカ同時多発テロ事件)のときもそうでしたが、多くの人々が不安や危機を感じると、非常に視野が狭くなってしまうということを、私たちは目の当たりにしてきたと思うんですよね。唯一の戦争被爆国という歴史を背負ってきた日本が、核兵器を容認し、頼っていくという判断を行っていくということは、国際的な核軍縮や核不拡散にとっても、取り返しのつかない大きなダメージになるということを、一度立ち止まって考えるべきではないかと思います。また、多くの人々が恐怖や不安により感情的、衝動的に流されてしまうような状況にあって、権力者たちが何かをスッと推し進めようとしているのではないかと、そうした動きに慎重である必要もあると思います。 

広島・長崎だけではなく、誰もが当事者として

――岸田首相は非核三原則は堅持しつつも、核共有について各政党が議論すること自体は問題ないとの認識を示しています。これについてはどのように受け止められていらっしゃいますか?

非核三原則を堅持すると明示したことは良かったことではありますが、当然といえば当然のことでしょう。しかし世界的な核兵器の問題に対して、「では日本はどのような役割を果たしていくのか?」というグランドデザインは、未だはっきりとは見えていないのが現状です。そんな中で、核共有の議論の必要性を認める現在の政権は、いったいどこに向かっていこうとしているのか、中々見えてこないという思いもあります。

やはり、日本と核の現状について考えたときに、ひとつ大きく問われているが核兵器禁止条約」に関することですね。これは言うなれば“リトマス試験紙のようなものでもあります。世界の国々に対し、「あなたは本気で核のない世界に向かって進む気があるんですか?」と問いかけているようなものだと感じます。ところが、そこで日本はずっと玉虫色の回答を続けているんですよね。広島出身の首相が誕生したということで、世界でも注目されているだけに残念ではあります。
 

――こうした現状の中、私たち市民レベルでできることとは、どのようなことでしょうか?

ウクライナの現状を目の当たりにすると、「国際法など無力なのではないか」「法の秩序など存在しない」「結局力こそ正義なのか」と、落胆される方も多いと思います。条約をつくったところで意味なんかないじゃないかと。けれど、こんな時だからこそ、私たちがこれまで築き上げてきた秩序、あるいは市民の力というものが、「そんなにヤワなもんじゃないぞ!」と、何か示すことができないかなと感じます。

先日、安倍元総理がとあるテレビに出演して、核共有の話をしていましたよね。そこで安倍さんは、「世界の安全がどう守られているのかについての議論をタブー視してはならない」というような趣旨の話をしていました。安倍さんの意図としては「ほら、みんな見てみなさいよ、世界平和は核で守られてるんだ」というようなことを言いたかったんだと思います。けれど実際には、世界の圧倒的多数の国々は、「核兵器に依存しない安全保障」を選んでいるんですよね。こうした世界の現実を、日本の市民も自信をもって発言していくべきだと思っています。

たとえば、「核兵器地帯(※)」という概念があります。一定の地域が条約を結び、その地域を非核にするんですね。すでにそうした「非核兵器地帯」は世界に5カ所ありまして、そこに含まれる国の数でいえば110カ国以上にものぼります。

(※)非核兵器地帯
核兵器の生産、取得、保有及び管理などが国際条約により禁止された地帯のこと。域外国である核兵器国(アメリカ、ロシア、イギリス、フランス、中国)が当該地域への核兵器による攻撃や威嚇を行わないこと(消極的安全保証の供与)を誓約している。

・非核兵器地帯条約等(外務省)
https://www.mofa.go.jp/mofaj/gaiko/kaku/n2zone/sakusei.html

つまり単に丸腰となって、「攻撃されたら仕方がない」ということではなく、国際法の力で核攻撃させない」という約束を取り付けているんですね。こうした「非核の傘」は、すでに50年以上の歴史があります。核兵器禁止条約にしても、今回のような事態を前に、無力なものに思われがちですが、この条約ができたことで、世界の中ではすでに様々な変化が生まれてきています。

条約に加盟していない核保有国の中でも、都市自治体のレベルで条約への支持の声をあげているところが出てきたり、あるいは、核兵器を製造している企業には資金を融資しないという銀行が現れたりと、広い視野で見渡せば、核兵器に抗っていこうという動きも、しっかりと起きているんですよね。こうした声を今こそ、日本からも伝えていくべきではないでしょうか。

広島・長崎だけではありません。誰もが当事者として、これから先何十年、何百年の未来をつくっていくんだということを考えていきたいと思っています。 

長崎の被爆クスノキ

【プロフィール】

中村桂子(なかむら・けいこ
神奈川県生まれ。長崎大学核兵器廃絶研究センター准教授。2001年から12年まで、特定非営利活動法人ピースデポ(横浜)の研究員・事務局長(2005年~12年)として核問題に取り組む。2012年より現職。研究分野は核軍縮核兵器廃絶と市民社会の役割。若い世代を対象とした軍縮平和教育に関する研究・実践にも力を注いでいる。近著に『核兵器のある世界とこれからを考えるガイドブック』(法律文化社、2020年)。
ロシアのウクライナ侵攻と「核の恫喝」に対する抗議声明

www.nagasaki-u.ac.jp
ロシアのウクライナ侵攻と「核の恫喝」に対する抗議声明
長崎大学、新着情報
 

 

※本記事は2022年3月16日に放送されたRadio Dialogue、『ウクライナ侵攻から考える、核問題のこれから』を元に編集したものです。
 

(2022.4.12/写真 安田菜津紀 ・ 文 佐藤慧)
(書き起こし協力 市川啓太)