(2つ目です)
家族四人で集まれたのは本当に久しぶり。次男が帰省前から9日はお墓参りに行きたいと言っていましたので、帰阪翌日は朝8時半夫の運転する車で出発、ガソリンスタンドに寄ってから京都へ向かいました。名神が大阪と京都の境のトンネルを越えたあたりから渋滞。主にトラックが多くて未だ帰省の乗用車による渋滞ではありません。桂川、鴨川を越える辺りまで続きました。いつもなら1時間ですが、東山浄苑に2時間がかりでした。ところが、いいこともあって、今回、車のナビは東寺の塔の横の道を案内、お陰で久しぶりに東寺の塔を見ることが出来ました。さすがに立派。
我が家のお墓事情、私の実家のお墓も、私たちのお墓も東山浄苑に在ります。
母は3人の娘たちを結婚で送り出すと決めていたので、40代だったか、東本願寺が縦長のロッカーのような仏壇とお墓のセットものを売り出した時の広告を見て、これだ!と思って買い求めました。母は長男の嫁で石川県加賀市の父の実家の仏壇を置いて大阪に出てきたので、仏壇だけは誰にも押し付けたくないし、家に仏壇を置きたくない人でした。母の思いと東山浄苑の永代経をあげてお墓をお守りしますというシステムがピッタリ一致しました。それで、夫も元々二男で俄か長男の役目も果たせず加賀市の実家は弟にお任せという風来坊でやってきましたので、最初に勤めていた会社を辞めた50歳の時に退職金で、同じ浄苑の私の実家の少し離れた区画の仏壇兼お墓を買い求めました。その後、夫の両親が亡くなり、しばらくしての数年前、弟に頼んで両親のお骨を分骨していただいて納骨しました。この時は、お坊さんにお経をあげてもらっています。これで石川県に行かなくてもお墓参りが出来るようになりました。こういう経緯を今回息子たちに話すことが出来ました。
いつも上段の仏壇の扉を開くだけなのですが、今回はカギで下のお墓の部分も開けて息子たちに説明です。私の実家は母が亡くなってお骨になればそれで最後。丁度実家の墓仕舞いも父が存命のうちに済ませて全部引き取っていますので、母一人のお骨が納まれば一杯になります。いつもならお参りが済めば、即片付けてしまわないといけないのですが、今回は、しばらくお焼香の香りをくゆらせて、別区画の我が家のお墓へ移りました。こちらも下のお墓の部分を鍵で開けました。夫の両親のお骨が並んでいるだけで、あとは私たちが亡くなったら次の段に入れて、あなた達も空いている一番下に入れるからね、と説明。二人とも独身なので神妙に聞いていました。
こういう話が出来たのがとても良かったです。こちらも少し仏壇の扉を開けたままにして、私の実家の仏壇に戻り、仏花を引き取り、片付けました。それから我が家の仏壇に戻り、同じように仏花を下げて仏具を引き出しに収めて片付けました。お参りの人出で混むかなと思ったのですが、いつもよりは多いものの、混むほどではなく早めに来てよかったです。
帰り車の中で4人揃ってのお墓参りは初めてかな~という話になり、夫も先々のことまで話が出来て良かったと喜んでいました。お盆らしいことが出来て良かったと次男も喜んでいましたし、長男も19歳から東京に出たきりで、お墓に関しては父の一周忌に来ただけでしたので、骨壺まで見たのは初めて、よい機会だったと喜んでいました。私たちも親として二人の息子のお墓も心配ないと伝えられたので大変満足。私たちの死後のことも頼めたし、次男が9日はお墓参りしたいと言ってくれたことに感謝でした。
帰り、西本願寺の前を通りました。立派な門と大きな敷地に驚きました。
京都の町はずれで見た竹屋さん、こんなお店があるのも京都だからこそですね。
帰りは1時間のドライブ。帰宅してのお昼は冷やしそうめんにしました。
◎東京の長男は、昨日新大阪まで車で私も一緒に乗って、見送りました。沖縄の次男は友人宅に泊めてもらうと昨夜は帰らずでしたが、この後もう一泊して明日の飛行機で帰る予定です。施設入居中の母とはコロナの所為で面会はできず、代わりに二人がメッセージを寄せ書きしたカードを郵送しました。今のところ4人ともコロナに感染していないのでこのまま無事に今年後半も過ごせればいいなと思っています。