5月の山菜と庭の花

夏日の4日、みどりの日(土)、午後一番に病院の母を見舞って、バスタオルなどを引き取って、洗濯。日差しの強いなか桜並木の明るい日陰がとても気持ちがよい。

中途半端になっていた室内の衣替えをやってしまおうと、サンルームの植木鉢も全部外に出して、植え替えの必要なものは植え替えて、隣の庭の草引きをしたり。夫は隣のサンルームと二階の父の写真のフィルムの片付けです。

午後からは夫はリハビリ兼ねて山歩き、私は買い物を済ませて一息入れていた夕方5時ごろ、チャイムが鳴ったので夫かと思って出ないでいたら、玄関が開いて私の名前を呼ぶ声が。驚きました。石川県加賀市の山の中の従弟が車で奥さんと一緒にタケノコを持ってきてくれました。すっかり、5月の連休はタケノコの季節だというのを忘れていました。(写真はネットでお借りしました)

玄関の外には、その弟、夜間中学の先生をしている駅向こうの10歳年下の従弟夫婦もいました。セミプロの写真家でもある兄の方は、定年後、得度してお坊さんになって、村の法事でお経をあげています。母親の姉に当たるのが私の母です。母と叔母さんは顔もよく似ていて仲良しでしたので、私たちいとこ同士も小さいころからよく知っています。

父の葬儀は家族葬でしたので声をかけなかったし、母の今回の入院も弟の方には知らせないでとお願いしていました。でも、母にタケノコや草団子やワラビ、干したゼンマイをもってきてくれたのですから、分かってしまいました。両親は、娘三人で仏壇を残すと困るだろうと、家に仏壇を置かず、父の実家の墓じまいをしたときも京都の東山浄苑のお墓と仏壇に納めてしまいました。父の遺骨もそちらにあり、家には遺影があるだけ。その前で、袈裟をつけてお参りしてもらいました。

山中温泉のもう一つ山奥の栢野では、昨日まで7℃で暖房をしていた、今朝になってあったかくなったので急に思い立ってタケノコを掘って届けに来たと。鳥の目の自前のナビを備えている従弟は、思い立ったらどこでも車で走っていきます。今回も朝出て、日帰りするつもり。お茶も飲まずに、このまま母の顔を見に病院へ行くというので、弟夫婦が案内して、みんな引き上げていきました。母がどんなに驚くことか。

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私は、今日は簡単に済まそうと思っていた夕食だったのに、タケノコを茹でて、ワラビのあく抜きをしないといけなくなりました。でも、朝取りの孟宗竹のタケノコのおいしさは格別ですので、すぐ大鍋2つを出して1時間茹でることに。帰ってきた夫と草団子を食べました。叔母さんたちが村起こしで売り出したヨモギ団子は、寝る前に食べても胃もたれしないと叔母さん自慢のお団子です。黄な粉をまぶして食べたら昔の儘の味でした。

翌日、Sさんにタケノコ茹でたから取りに来ない?と電話。今日は何にも予定はないとのことで10時に約束。ちょうどアーチの赤いバラが咲きだして、紫のクレマチスと白いスノーボールとオオデマリが正面に見えるので、朝からサンルームの扉を全開にしていました。蚊が出る前のこの季節は開けっ放しができる貴重な時期です。

ハルメクの5月号をもらって、私からはタケノコとワラビとゼンマイを渡してまず交換。リュック持参で安心です。前日、柏餅を買っていたので、今日は”こどもの日よ”と言ってお茶を淹れて出すことに。

そこで、いろんな話になりました。平成から令和の代替わり、どうしてこんなに騒ぐ?利用しまくりね~と二人で。Sさんは若いころ、フェスティバルホールに勤めていて劇場の場内係が仕事だったそうです。当時、大阪の本格的なホールは一つしかなかったので、カラヤンからロシアバレエまで本格的な演奏会や舞台は生で体験という贅沢な仕事。そして若いころに組合の役員になって、その経験がなければ世の中のことに今も関心をもてたかどうかわからない。あの経験がよかったとのこと。

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当時は学生時代には学生運動が、社会に出て働けば労働組合がありました。積極的に運動に参加するかどうか、まず考えなければならなかったし、流れに流されたとしても、それはそれで、また流される自分を後になって反省したり後悔したり納得したりする材料となります。今は、そういう体験があるの?まず組合がつぶされて無いじゃない?とSさん。そのうえ、テレビや新聞が政権批判をしなくなりました。大臣がどんなにスキャンダラスな事件?を起こそうと、安倍首相自らウソまみれで居座っていますので誰も責任を問われず権力の座に居座ったままで、それをマスメディアも許してしまっています。

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私たちの時代は、学生運動から組合運動で社会の仕組みや働く者の権利については学びましたが、今の若い子たちにはそれがないという話に。そこで、「特別な1日」さんのブログとコメント欄の話に。( 『京都の味と黒竜江の味』と『0503憲法集会』 - 特別な1日)憲法集会で「翼をください」を歌うことになったとか。翼の曲は70年代のフォークソングサッカー日本代表の応援ソングで復活?した曲ですね。SPYBOYさんは日本には市民運動が生み出した歌が文化がないと言います。

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それで、私も考えてみたんだけど、結婚して主婦になって、その後、市民として社会にかかわってきたかというと、そうではない。小泉元首相のイラク人質問題での自己責任論から、これは大変と思い、原発爆発から日本にこんなにたくさん原発があるのに驚いたぐらいで、それまで市民として何か発言したり何か行動しようと思ったことがなかった。Sさんも、そうね~と。当時も、歌はアメリカのベトナム戦争の時歌われた歌を借りて歌っていたようなものね。「ウイシャルオーヴァーカム」も、「花はどこへ行った」も、69年の反戦歌「フランシーヌの場合」も素材は借りものね。結局、市民運動そのものが日本にはなかったのかも。

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では、今は? 少なくともSPYBOYさんが毎週参加されている官邸前の再稼働反対のデモがありますし、戦争法案反対のころには学生たちのSEALDsが生まれ、今そこから辺野古の県民投票の運動が生まれ、成果も出しています。

芽は出ているし、憲法集会は報道されなくても全国で大小さまざまな集会があったはず。そして、地方の路上のあちこちで発信し続けておられるブログ仲間さんもおられます。あとは、それをどう一回りも二回りも大きくできるか。目覚めたものが諦めずに自分のできることをやっていく。あとは、ふさわしいリーダーを選び出せるか・・・美しい花の季節に少し憂鬱になりながら二人で話したことでした。