バラは大輪の1輪で終わりかと思ったら、近くにもう一つの蕾が見つかりました。
そして、知らないうちにアーチの上でクレマチスが咲き出しています。
◎前回母のホームを訪ねたときに感じたことですが、母の体調が良い時は詩心も旺盛な様で俳句を詠む回数が多いようです。先日、封書で母の春の俳句が又届きました。ホームでは、母に俳句を教えて欲しいという方たちが居て、母は困っていました。
母の俳句は現代俳句(季語を使わない?)で、且つ写真と俳句をドッキングさせる『写俳』を提唱されていた先生のお弟子さんでした。母の場合は、俳句と写真を父と分業にしていましたので、発表するときは写俳ですが、母は俳句のみでした。そして俳句は写生じゃなくて自分の心情を詠み込むものだ.という伊丹先生の教えは、私も母から聞いていて、よく覚えています。
母が言うには、教えて欲しいという方の俳句を読んで「行ってこられたのですか?」ときくと「テレビで見た」と言われるて困る。自分が実際行って見たこと、感じたこと、人生を詠むことが俳句だという教えを、どう伝えていいのか困っているようです。
テーブルの上を見るとケアマネさんの俳句が置いてあって「添削お願いします」とメモが添えてありました。苦手だと言っているわけにはいかなくなってるのではないかな…と密かに喜んでいます。↓「山笑う」は山の木々の若芽が吹き出した頃の季語
あすは明日 今すこやかに 行く春の
紅引かぬ ことのいく年 山笑う
言葉には 言葉の重み ライラック
張り合いの ある日なき日の 竹の秋
◎クレマチスの蕾がツンツン上がってきたと思っっていたら一気に咲き出しています。
アーチの高い所で咲いているのでイスに乗ってカメラの手を伸ばして・・・・
スノーボールもいよいよ白く色づいてきました。
それより白いのがオオデマリ。葉も立派です。
父の大事にしていたシャクナゲ。一本はついに枯れて、残る一本の木の蕾がほころび出してきました。
もうずいぶん前に、高知の友人宅からもらってきたイチハツ。
今年はサルスベリの根方に咲いています。
母が俳句に詠んだライラックの花ももう終わりかけです。
◎2,3日前に下書きしていたもので、リラの花は咲き終わって、バラの花は一部が散り始め、クレマチスの花の勢いは止まらず、シャクナゲは既に咲き出しています。