想田和弘監督「差し迫る福島第一原発原子炉倒壊の危険性・森重晴雄氏の警告を聞け」と「チャットGPTと人類の消失」

アジサイの豆粒のような花と、花のような額。

🔲「マガジン9」の想田和弘監督のコラムから「福島第一原発倒壊の危険性」についてです:

書きました。この問題、日本で暮らす誰にとっても死活問題だと思うんですが、メディアでもほとんど無視されてます。→第125回:差し迫る福島第一原発原子炉倒壊の危険性:森重晴雄氏の警告を聞け(想田和弘maga9.jp/230614-3/ #maga9

 

第125回:差し迫る福島第一原発原子炉倒壊の危険性:森重晴雄氏の警告を聞け(想田和弘

 
 

 

 ここのところ、森重晴雄氏のフェイスブック投稿から目が離せない。

 森重氏は、原子力プラント設計や耐震構造の専門家で、伊方原発3号機の原子炉の据え付き責任者も務めたという技術者である。

 彼によると、福島第一原発一号機の圧力容器を支えているペデスタルがひどく損傷しており、震度6強程度の地震で原子炉そのものが倒壊する恐れがあるという。そしてペデスタルの損傷部分を考えると、原子炉は使用済み核燃料を貯蔵している燃料プールの方向に倒れてプールを損傷し、水が抜けてしまう可能性があるという。

 しかも驚くべきことに、プールにはいまだに使用済み核燃料が380体と新しい燃料が12体残っているそうだ。つまりプールから水が抜けてしまったら、392体もの核燃料が露出し、溶解してしまう。すると周辺には近づけなくなり、燃料デブリも冷やせなくなる。そうなると615体の核燃料を貯蔵している二号機の燃料プールも冷やせなくなり、大量の核燃料が溶解するだろうということだ。

 そうなったら、「福島県内はもちろん、首都圏全体が避難エリアになってしまう可能性も拭えません」(「女性自身」の記事より、森重氏)

 だとしたら、福島原発事故はまったく終わっていないどころか、事故当初よりも重大な危険にさらされているということになる。

 そこで氏は5月10日、川田龍平参議院議員を通じて質問主意書を提出した。

 しかし、それに対して5月19日に出された岸田首相からの回答は、煎じ詰めれば「ペデスタル損傷部が致死線量なので対策のとりようがないとのこと」(森重氏)であった。

 いったいなんという回答だ。

 だが、森重氏によると、原子炉の倒壊を防ぐために打てる、実行可能な方策はあるという。

 「私には策があります。人は膝を故障して倒れそうになると周囲は肩に手を差し出し倒れないようにします。それと同じことを原子炉に施します」(森重氏)

 倒壊する危険性が少しでも存在し、それに対して打てる対策があるのなら、いくら金がかかろうとさっさとやってくれと思うのは、僕だけなのだろうか。

 なにしろ、倒壊したらこの国は終わりなのだ。いや、放射性物質の放出量によっては、終わるのは日本だけではないかもしれない。

 解せないのは、これだけ重大な懸念が指摘されているのにもかかわらず、マスメディアがほとんど報じていないことである。僕が知らないだけかもしれないが、国会に関しても、川田龍平議員以外に積極的に動いている様子も伝え聞かない。

 いったいこれは、どうしたことか。

 思うに、岸田政権が原発推進に舵を切るなか、原発の「安全神話」も同時に復活してしまったのだろう。

 だが、安全神話は神話にすぎず、科学ではない。

 そのことは、2011年3月11日、私たちは痛いほど思い知ったはずなのだ。

 それをもう忘れてしまったのだとしたら、本当に救いようがない。

 僕と同じ懸念を抱く人は、ぜひとも森重氏の警告を拡散してほしい。 

🔲同じく想田監督のツィッターから「チャットGPT」について恐山副住職の方の記事。有料記事なので途中まで:

しきりに頷いて読みました。→恐山副住職が説く チャットGPTと人類の消失 - 毎日新聞
 
 世の中を大きく変える「チャットGPT」など生成AI(人工知能)。イタコの口寄せで知られる恐山の菩提(ぼだい)寺(青森県むつ市)副住職を務め、一般向けの著作が多い禅僧の南直哉さんは、AIの進

🔲途中まででもとても考えさせられます。人間は凡庸、人類に大量の創造的仕事は必要ない・・・なるほど・・・(色字と字の大きさby蛙)

恐山副住職が説く チャットGPTと人類の消失  

世の中を大きく変える「チャットGPT」など生成AI(人工知能)。イタコの口寄せで知られる恐山の菩提(ぼだい)寺(青森県むつ市)副住職を務め、一般向けの著作が多い禅僧の南直哉さんは、AIの進歩の末に「人類は消滅するかもしれない」と説きます。西洋哲学にも詳しい南さんが「死」とAIについて語ります。【聞き手・鈴木英生】

人間は凡庸。「創造的な仕事」は必要か?

 人間の自意識がデジタルネットワークの中に溶けて消え去る、仏教の言葉をもじれば「デジタルニルバーナ(電子涅槃=ねはん)」の時代が、いずれ訪れるのではないか。AIの進歩を、そんな思いで見ています。

 今のところ、AIは、精巧な道具に過ぎません。与えられた問いに対して、膨大なデータから答えを出すだけです。つまり、人間のような自意識、たとえば、自分の置かれた状態や自分のあり方を自ら疑問に思う能力はありません。それでも、今後、社会と人間のあり方を大きく変えるでしょう

 AIは、創意工夫のさほど必要ない、凡庸な作業や情報の量産に向いています。逆に言えば、近い将来、凡庸で構わない場面に、人間はほぼ必要がなくなるでしょう。ほとんどのホワイトカラーの仕事は、ざっくり言うと凡庸な事務処理です。専門職の仕事だって、たとえば医師よりもAIの方が正確に診断したり、迅速に手術したりするようになるかもしれません。

世の識者は「つまらない仕事はAIに任せて、人間は創造的な仕事に専念できるようになる」などと言います。そう聞くと、つい「正気か?」と思ってしまいます。

 

 人間の多くは、圧倒的に凡庸な存在です。それで世の中の誰も何も困りません。つまり、そんなに大量の創造的な仕事は、人類に必要がないのです。結局、AIが事務仕事を奪い、他の機械が単純労働も代替した末には、無職で生活は保障された人の存在を許容する社会が必須になると思います。

自意識を持ったAIの反乱が起きる?

こうなると、アイデンティティーの問題が出てきます。近代以降の人間のアイデンティティーは、根本を仕事が占めてきました。だから、退職した途端に元気がなくなる人や、新聞の投書欄で「元教師」とか「元公務員」といった肩書を使う高齢者がいるわけです。

 未来社会では、多くの人が、人生の最初から、いわば「老後」を生きます。

◎明日から暫くブログをお休みします。