🔲『貧すれば鈍する」。日本、情けないし、恥ずかしい:
🔲万博、一般参加催事募集、いよいよ行き詰まり:
◎先週末だったか、夕方になって散歩。久しぶりに二中の東側の曲がり池あたりへ。
暫く見ないうちに景色が一変。池は無残にも道路が貫通していて両脇に溜池状態。
南のこの先は病院との間に西国街道、国道171号線があります。
振り返ると、山側には、突き当たりで直角に曲がった道はQズモール北側へ。
その先は今のところ行き止まり。通じてもサントリーの体育館の横の道に。
この大きな道路の左側が、いつも写真を撮っていたコスモスが咲いていた場所。
曲がり池の左(東)側も昔日の面影なし。池の周りの樹木も消えていました。
左の道は萱野小学校前から、新しく出来る箕面萱野駅へ通じる道。
田圃だったところには重機が入って整地していました。16軒の住宅が建つようです。
昔はここが萱野部落への入り口でした。私の中学生時代から60数年変わらなかった景色が今変わろうとしています。下の写真は2009年のもの。樹木の下が池。
少し行くと水平社宣言が刻まれた碑がありました。
その横が萱野中央人権文化センターです。
私が中学に進学するときに二中が出来て、部落問題で私立へ進学する人がいるという話も。「部落」を知らなかった私。母に聞いても『みんな一緒、気にするな』という感じでした。それが、三年生の時、真っ黒な髪の毛が京人形のおかっぱ頭みたいで、長い睫毛がお人形さんみたいだったHさんから、問い詰められたことがありました。
「(旧姓)Wさんは、私と付き合って何と思ってるの?」と言われたのです。何のこと?と思いましたが、「勉強がよく出来る可愛い人だと思ってるよ」と答えたら「それだけ?」と詰め寄られました。「うん」と私。拍子抜けしたようなHさんでした。
そして、今から20年ほど前、同窓会の件で関東地方に住んでいるHさんに電話でお誘いしたことが。嫁いだ先のお母さんのお世話で1日も空けられないというお話でした。私のことは覚えていると少しお話もしました。
あれは、私は試されていたのだとあの時のことを思い出しながら、すっかり様変わりした部落の入り口を、これはこれで良いのかもしれない、あの時代の痕跡が消えてしまっていいのかもしれない・・・と。