「岸田首相の米議会での喝采の意味」「なぜ急ぐ共同親権」と<誕生月に思うこと・・・>

🔲岸田首相が米議会で浴びた喝采をこんな風に受け止める一水会

日本の総理大臣には、どれだけ国民の支持率が低くても米国の首輪さえ外れなければ辞任をまぬがれる、特殊な事情がある。岸田首相が米議会で浴びた、日本の国会では起こらないと自嘲した喝采は、米軍の負担を肩代りし、無用の対中刺激に暴走することへの承認にすぎない。和の心も武士道もそこにはない。

🔲なぜ共同親権、急ぐのか?

「なぜ共同親権を急ぐのか」との疑問を皆さん口にしておられますが、壺や極右団体の支持を失いたくないからに決まってるじゃないですか
 

🔲テレビは相変わらず「大谷のヒットとホームランと”一平さん”」:

あの、いま報道ステーション見てるんだけど、テレビ、ほんとに共同親権のこと報じないんだね、、、もう一平さんの話題はええて。さっきはアメリカのアメフト選手の訃報やってた。え、ごめんだけど今その情報いる、、、???共同親権が導入されたらまじで死人出るって。もうなんかほんとに絶望だこの国

◎4月は私の誕生月。Eさんからバースデーのお祝いが早々と届きました。1週間もすると私は80歳になります。頂いたお電話で話したことですが、若い頃、と言っても今から30年ほど前二人でロンドンへ行ったり、3年後にはチューリヒ、ベルリン、ウィーンを巡ったりして遊んだ思い出話になりました。その頃、彼女はシングルマザーで現役で働いていましたし、私はバイトをしていましたので自分で使える貯えがありました。「いい時代だったね~、円は強かったし。今、海外の旅行客が日本に詰め掛けているけど、私達もあんな風だったのよね。今の若い人たちは可哀そう、昔は良かったなんて話は出来ないね~」なんて話になりました。

◎70代後半ごろから小学校の同窓生のあの人、この人が亡くなったという話がちらほら聞こえてきます。どうしても、限られた命のことを考えてしまいます。一方で、100歳を超えて生きた両親のことを思い出すと、二人して海外旅行に出かけたのが80代でした。

◎このところ散歩で訪ねていた坊の島の田圃、南側が広い道路になって、景色が一変。箕面萱野駅開業であの辺りの建物が景色としても迫って見えます。結局、山に向かうしかないかな~と。父がカメラを持って出かけていた秋の彼岸花の田園風景はもうありません。野草にも影響が出てくるかもしれません。今年、あの青空色のオオイヌノフグリが少なかったのは・・・?

◎先週はコーヒー豆を買いに千里中央の阪急百貨店地下食品売り場へ出かけました。北急延伸工事で長い間囲われていた囲いが取れて、ここから左折して信号を右折すると目指す千中パル。駐車場に入ります。↓駅前の高層マンション。この最上階に夫の山仲間の息子さんが・・・マンションの下が駅ですから直結です。

駐車場から通路で出ると広場。右手に母が俳句で通っていた豊中市の施設。

この写真の奥から左右に橋が架かっていて、阪急デパートと閉店した大丸ピーコックに別れますが、ここではなくて、少し歩いた所では沢山のお店がシャッターを下ろして閑散としています。

階段を降りて振り返ると

いつものようにコーヒー豆のマンデリンを600グラム、ペーパー用に挽いてもらっている間に買い物を済ませて、箕面に戻る。箕面萱野新駅の横を通る。

3月23日にオープンしたこの北大阪急行の新駅。私はまだ利用したことがありません。

夫は先日「あべのハルカス」の円空展に出かける時、息子は東京の制作会社にいたときの縁でコンビニのイベントの助っ人で岡山に出かける時、この駅を利用しています。我が家から駅まで歩いて20分強。雨の日は困りますが丁度歩ける距離です。

70年万博は、私は前年結婚して、共働きで、お腹に長男がいましたので、混みあう万博には行かずじまい。代わりに職場の仲間お二人を実家に泊めてもらえるよう母に電話で頼んでいます。その後、里帰りした時、万博で人の流れが、我が家より西の阪急箕面駅ではなくて、バスで東に向かって北急・千里中央駅から新幹線の新大阪、その先の大阪駅へと向かっているのに驚いたことがあります。今回は2015年の大阪万博(開催される?)に向けて、箕面萱野新駅から千里中央素通りで新大阪駅大阪駅、そして南へと直通です。栄枯盛衰・・・時の流れを感じます。

ソメイヨシノは散って、八重のボタン桜が咲き出しています。