「三・一独立運動」と「3・1ビキニデー」と「生きものの記録」

◎朝チャイムが鳴って小さな荷物が届きました。去年車で東京へ出かけたとき、大田区の家まで訪ねて、近くの小さな可愛いレストランに連れて行ってもらい、3人でミニ同窓会のひと時を過ごしたNさんからです。ご本人も同封葉書に書いておられますが「パッキング名人」。見事に詰め合わされたお菓子類、二度と元に戻せません。写真に撮って、今日はひな祭りなのでお雛さんも添えてみました。有難う!!

🔲2日遅れですが、3月1日、まずお隣の国の「三・一独立運動」から:

105年前の今日(1919年3月1日)は、大日本帝国からの独立を宣言した「三・一独立運動」が韓国・ソウルで始まった日である。
 
東学農民戦争→三・一独立運動→光州5・18抗争──韓国民衆の長きにわたるたたかいの途上に、今の韓国がある。

 

◆記事によると:(福沢諭吉の『脱亜論』、バカにされたと思っても無理ない表現に思えてしまいます。下線・黒太字by蛙)

 福澤諭吉が書いたとされる『脱亜論』は当時の『時事新報』という新聞(一八八五年三月一六日付)に掲載された。

今日(こんにち)の謀(はかりごと)を為(な)すに、我国は隣国の開明を待(まち)て共に亜細亜を興すの猶予ある可(べか)らず、寧(むし)ろ其伍(そのご)を脱して西洋の文明国と進退を共にし、其(その)支那朝鮮に接するの法も隣国なるが故にとて特別の会釈に及ばず、正に西洋人が之に接するの風(ふう)に従て処分す可きのみ。悪友を親しむ者は共に悪名を免かる可らず。我れは心に於て亜細亜東方の悪友を謝絶するものなり。

 これが当時の日本がアジア諸国を見る基本的な視線であった。朝鮮民族の側の抵抗は、この「脱亜論」的世界観への抵抗であるともいえる。

🔲一部自民党議員が執拗に主張する『在日特権』ですが、2月28日、国税庁が「ない」と明言:

誰の目にも明らかなのは、日本には在日特権」は存在しないが「自民党国会議員特権」は存在するという事実でしょう。自民党国会議員特権」保有者は、裏金脱税などの違法行為を行っても検察や国税庁に見逃してもらえる憲法や諸法令のいずれにも基づかない非法治国の特権。
引用
 
 
@yasudakoichi
本日の東京新聞・特報面。「在日特権」デマに関して。私もコメントしました。いうまでもありませんが、というか同じことを幾度でも繰り返しますが、この日本において、日本国籍の日本人以上に優越的権利を有したエスニックグループなど存在しません。「特権」などあるわけがない。

🔲今年は1954年3月1日の水爆実験から70年です。

  今年の3・1ビキニデーのポスターです:

 

3月1日の朝日新聞より:

3月1日の「天声人語」:

「水着のビキニは、なぜビキニなのか」「水爆ブラボー、ふざけた名である」

「日本は核兵器の被害をうけた唯一の国ではないことだ。」

◎参考
- ETV特集 -「白い灰の記憶〜大石又七が歩んだ道〜」(前半) - 四丁目でCan蛙~日々是好日~ (hatenablog.com)

- ETV特集 -「白い灰の記憶〜大石又七が歩んだ道〜」(後半) - 四丁目でCan蛙~日々是好日~ (hatenablog.com)

黒澤明監督はいち早く映画にしています。私は黒澤監督映画だということで池田市の映画館で観ました。黒沢監督が原爆や水爆に如何に敏感だったかが分かります。

三船敏郎の老け顔の老人が逞しくて異様に元気に暴れまくるのが怖かったです。公開年から行くと11歳。そんな5年生でこんな映画見に行ったのかな~。映画とタカラヅカは子どもだけで出かけても良いと言われていましたが・・・

生きものの記録』(いきもののきろく)は、1955年に公開された日本映画である。監督は黒澤明モノクロスタンダード、103分。米ソの核軍備競争やビキニ環礁での第五福竜丸被爆事件などで加熱した反核世相に触発されて、原水爆の恐怖を真正面から取り上げた社会派ドラマで、原爆の恐怖に取り付かれる老人を演じた三船敏郎は、当時35歳で60歳の老人を演じた。作曲家の早坂文雄の最後の映画音楽作でもある。

生きものの記録 - Wikipedia