家族会と有馬温泉

◎我が家は両親が加賀市出身で山代温泉の近くだったせいか、温泉には全く興味がなく育ちました。小学生の頃、宝塚歌劇の花道沿いを歩いていると温泉煎餅のお土産が売っていて、そういえば宝塚温泉というのもありました。そして、噂に聞く有馬温泉です。太閤秀吉がお気に入りの温泉とは聞いていましたが、わざわざ温泉に行くというのが我が家にはなく、有馬温泉に出かけたのが、先日調べたら震災の年の私の実家の家族会が最初でした。山代温泉の湯の色は無色透明ですが、有馬温泉は鉄さび色の湯で「金泉」と呼ばれています。タオルが染まるほどとか。

加賀出発、大津経由の一行の車が金曜日の1時半ごろ我が家に到着。玄関でお土産の橋立港の干し若芽や叶匠寿庵のお菓子を頂いて、ダイニングテーブルに椅子を寄せて6人で座って、丁度朝届いたばかりの生協のロールケーキを6人分お皿に出して紅茶を淹れることに。久しぶりの再会ですので積もる話がたくさん。ひとしきり、近況を交わしたり健康の話題で持ち切り。我が家から有馬温泉まで車で1時間ぐらいだと言うので、2時半ごろ我が家を出ることに。

天気予報では大変な雨ということでしたが、外れたようで、小雨が降るか降らないか程度で出発できました。夫が道案内で助手席に座り、最後部座席に私より一回り年下のMさんと最年長の大津の義姉、運転席の後ろは義弟、その横に私が座って、出発です。

有馬温泉は神戸市の北区にありますので、中国自動車道に沿った地道を走って宝塚の奥の猪名川沿いを走ります。最近の雨で川の水量は多め。山の中のクネクネ道をひたすら走って山間にある有馬温泉着でした。そういえば「有馬」は元々は「有間」とも書いたそうです。有間と言えば、私が知ってるのは有間皇子のこの万葉集の詩「家に在れば卦(け=食器)に盛る飯(いい)を草枕旅にしあれば椎の葉に盛る」。「ありま」は語感の響きがいいですね。

ブログを書くのにちょっと検索したら、日本三古湯の一つとか(道後温泉愛媛県)、有馬温泉兵庫県)、白浜温泉和歌山県)の3つ)。また、生協の月刊誌の切り抜きを残しているのですが、それによると「『日本書紀』に631年に舒明天皇が有馬に行幸したとあるのが、温泉に関する日本最古の記録」だそうです。

また「有馬の湯は、療養泉として指定されている9成分のうち7つを含む。しかも、塩分濃度が海水のほぼ2倍の6~7%と高く、浸透圧の関係で薬効成分が吸収されやすい」とか。確かに塩っぱかったです。温泉から出たところにショーケースが置かれていて、そこに、展示物がならべてあって、NHKブラタモリで取り上げられたことが紹介されていました。その時にも紹介があったか定かではありませんが、COOPの切り抜きの大きな見出しの言葉は有馬温泉の湯が『若くて熱い』のは、

フィリピン海プレート」の「プレート直結温泉!」だからです。とあります。そういえば、有馬温泉の近くに火山は有りません。

◎ホテルに着いて、それぞれの部屋に別れて一服、食事までの間に温泉に入り、大広間でお食事。丹波牛の焼き肉も入ったメニューでした。食事が終わった後は義弟の部屋に集まって9時過ぎまで世間話。大津のお姉さんは87歳の高齢でマンションの一人暮らし。太極拳とヨガを続け、パソコンを使い、機種替えしたばかりのスマホについて若い甥っ子に色々質問。教え上手のHくんが上手にリードしていました。

翌朝、早く目覚めたので、一人でもう一度さらっと金泉に入って朝食。お天気は前日より日も差して暑め。有馬温泉街散策の日です。有馬川沿いに寧々の像があり、川に降りて写真を撮った後、太閤秀吉像をみて、坂道の温泉街に入りました。

昔ながらの喫茶店を見つけて二階に上がり、お姉さんと私は懐かしいフルーツパフェを注文しました。フルーツどっさりで驚きました。

さて、有馬温泉一泊も無事終わり、我が家に向かうことに。途中、丁度昼時なのでそのまま七号線沿いにある木曽路へ寄って昼食。我が家でコーヒーを淹れることに。この日は土曜日。丁度息子も在宅なので好都合。長男は大学からそのまま30年以上の東京暮らしだったので、親戚との顔合わせも久しぶり、従弟同士では、何十年ぶりかの顔合わせになりました。
お天気にも恵まれ、家族会、無事、終了。一行は、お姉さんを大津で降ろして一路加賀市へという帰路に。お互いのこれからの健康と無事を願って別れました。