「稀代の花火師(武藤輝彦さん)遺志は世界へ」と山下清画伯の花火の貼り絵

◎北側の玄関先の柵沿いに咲く2種のアジサイ。柏葉アジサイはそろそろ色が黄色みを帯びてきました。その内、枯れてドライフラワーになりますが、切り取ってからドライフラワーにするか、、、迷うところ。手前は今ごろから咲き出したアジサイ。ピンク色になるのかな・・・挿し木して初めての花を咲かせます。

西洋ニンジンボクの薄紫色の花が咲き出しました。

◎4月から月一回になったヨーガ。今月は先生のご都合でお稽古『ナシ』でしたが、SuさんとSさんというダブルSさんのお陰で、毎水曜日10時半から1時間、Suさんのアートルーム(油絵を描いておられた部屋だったのかな?壁に静物画の作品が飾ってある)お部屋の提供をうけて、Sさんのヨガと整体の両方の良いとこどりみたいなポーズの指導を受けて4人で続けています。持つべきは友なり、お二人さん、ありがとうございます。

◎28日は、コロナで暫く中止していた夫の姉や弟ファミリーとの旅行が再開。今回は有馬温泉とか。車で加賀市を出発して午後に我が家着。一服して、そのまま義弟の車で、全員で有馬温泉へ一泊という計画です。いよいよコロナが終わったかな…と実感します。

有馬温泉は、父が主宰していた三姉妹の家族会で東北大震災の年、2011春、出かけました。まだ末の妹が元気だったので、帰りにお米を買って帰ると言ってたのを思い出します。関東方面ではお米が入手困難だったのかな。。。今年の家族会 - 四丁目でCan蛙~日々是好日~ (hatenablog.com)

読み返してみると、両親が留守番で居たので隣の我が家で食事会をしていました。私も元気だったんだな~と改めて・・・

◎さて、写真は25日の朝日の夕刊です。大曲の花火の写真と『稀代の花火師・武藤輝彦(1921~2002年)』さんの記事です。この方、NHK朝の連続テレビ小説「虎に翼」の主人公・寅子(ともこ)のモデルで、日本初の女性弁護士・裁判官の三淵嘉子(旧姓・武藤)の弟さんです。

↑ 新聞の花火の写真の説明は:地元4社でつくる「大曲の花火協同組合」が米国の花火会社と共演した作品「チャームド・ライト(魅惑の光)」=4月27日、秋田県大仙市、室谷英樹撮影」

朝日の25日夕刊のトップ記事のタイトルは「稀代の花火師 遺志は世界へ」とあり、「花火の礎を築いた男がいた。夢は、日本の「HANABI」を海外に広めること。この夏、遺志を継いだ花火師たちが世界最高峰のカナダ・モントリオール国際花火大会に初出場する。」とあります。

この武藤さん、東大文学部を卒業し、陸軍に従軍。敗戦後、新聞記者などを経て茨城県火工品会社を作った。戦後、各地で花火大会が再開、事故が相次ぐと、62年に日本煙火協会を作り、見舞金制度を創設し、保安講習を始めた。海外に日本の花火を伝える狙いの日本煙火芸術協会も作った。1976年には北海道で花火会社「海洋化研」を立ち上げた。

 そんな武藤さんは、日本一の花火師を決める秋田県大仙市の「大曲の花火(全国花火競技大会)」をこよなく愛した。(中略)

 その大曲の4業者がチームを組み、7月4日(日本時間5日)にカナダ・モントリオールで開かれる国際花火競技大会にトップバッターで登場する。大会は6月末に開幕し、8月にかけて続く。期間中300万人の観客が集まり、世界で最も権威がある大会とされる。今年は日本を含む6カ国が出場する。(中略)

 2002年10月、81歳の生涯を閉じた武藤さんは「遺骨は花火にして打ち上げろ」と遺言を残すほど花火に生涯を捧げた。晩年、「ハナビ・アメリカ」をつくり、米国を拠点に日本の花火を広げようとしていた。

 そんな思いを知る大曲の花火師たちがカナダで披露する作品は「HANABI Show」.

ニッポンの花火を世界の共通言語にする―――。そんな決意が込められている。

 武藤さんの思いは、4600発の花火になって昇華する。     (室矢英樹)

 

◎手元にある写真の絵葉書は山下清の「ナイアガラ花火と見物人」

山下清画伯の有名な花火の絵は、新潟県の長岡の花火。

下の横長に赤と黄色で描かれているのが、ナイアガラ瀑布の花火です。

我が家では、夏になるとこの絵ハガキを飾ります:

(↑ 絵葉書と同じ絵をネットで見つけました。こちらの方が鮮明なので・・・)

◎それでは、明日、行ってきます。