日本人の宗教

「日本人は、お葬式では仏教、お正月にはお宮参り、クリスマスには俄かクリスチャン」と自嘲的に宗教的無節操を揶揄する言葉を、私もなるほどと納得するところがありました。だからなのか、改めて「あなたの宗教は?」という問いかけには、逆に「無宗教です」という答えが自然に出てくるような気がします。

今から10年以上前、臨床心理学者の河合隼雄氏と何方かとの対談の本で読んだと思うのですが、日本人は宗教について問われるとよく「無宗教」と答えるが、これは誤解を与える。外国人から「では、どうやって倫理を身につけるのか」と不思議がられるというのです。

河合さんに言わせると、日本人は意識できないほど宗教が身近になっている。例えば、多くの家庭に仏壇があり神棚がある。キリスト教徒やイスラム教徒が教会に行くところを、日本人は家庭の中に取り込んでいるではないか。それほど無意識の中に入り込んで自覚できていないといいます。これをまず自覚し、言葉に置き換えて世界に説明できないと日本人は理解してもらえない、というような内容でした。

ところで、私はお正月に今年も近くのお寺にお参りに出かけました。子どもの頃から天狗祭りで親しんできた聖天さん。正式には西江寺といい、お寺ですが鳥居をくぐって境内に入ります。身近にある神仏習合の形です。


明治政府による1868年(慶応4年)の神仏分離令による廃仏毀釈で仏教を廃し、元々は多神教である神道一神教国家神道にしてしまったことが日本人の精神文化を荒廃させてしまった、とは興福寺の管首さんの嘆きです。

縄文以来の日本人の宗教意識は自然信仰であり、アニミズム神道八百万の神々で、しばしば山や木そのものが御神体になっていることはよく知っています。これは古くなってしまったのだろうか? そうではなくて外来の仏教も日本人はこの自然信仰と結びつけて受容し取り込んできました。

仏教は聖徳太子の時代に導入され、平安末期から室町の初めに日本化したといわれます。その結果、生きとし生ける者はすべて仏性を持っている。僧籍以外の人も救われる。動物も、木も草も、森羅万象、仏性を持っていて救われると考えます。
日本人の宗教観である多神教的な信仰、意識が、では、なぜ生まれたのか?というと、それは海に囲まれ山、木、水に恵まれたこの豊かで穏やかな風土、自然が生んだということになります。砂漠の中では生まれ得なかったということです。

これに対して、西洋の考え方は、自然はコントロールできるという考えです。その典型がキリスト教世界。神がこの世を創造したと説いています。日本人は自然をコントロールできないものとして怖れています。謙虚に自然を見つめ、美しさを愛で、絵に描き、詩に詠み、文学にしてきました。

環境問題が深刻になり目に見えて地球の危機が分かるようになり、アメリカ一極集中が失敗し、だれの目にも世界が多極化、多様化に向かっている今、日本的自然観や多神教的発想が役に立つときがきたのではないか・・・というのがすでに最近の流れになっています。

この自然信仰のアニミズムは勿論日本人固有のものではなく、アメリカ・インディアンやオーストラリアのアボリジニー、あるいはケルトなどの思想に共通するものであって、「西洋はあかん、これからは日本や」になってはいけないと思います。

無宗教と思っていた私も、人間を超えた存在を認める点で宗教心あり、八百万の自然信仰が神道衆生(万物)ひとしく輪廻転生が仏教だとすると、私も立派な「日本教」信者です。母の教えだったり、諺から学んだり、親戚のおじさんの言葉だったりで、確かに無意識に自然に身に付いた考えがそうだったのか!と一寸嬉しかったり。