国民総幸福量(GNH) と終身雇用制度

montーbellという登山およびアウトドアに関する装備、道具を扱っている会社が出している「OUTWARD」という月刊の冊子があります。先日、夫がここを読むようにと渡してくれた1月号に「『馬鹿の壁ハウス』に養老孟司氏を訪ねる」という対談記事がありました。
「馬鹿の壁ハウス」というのは養老氏の箱根の別荘のゲストハウスで、山小屋風の建物が「馬鹿の壁」一枚の基礎の上に建っています。設計は藤森輝信氏。白い壁の左右両端に南伸坊氏による線描画で馬と鹿が描かれています。「お洒落」です!

さて、対談は虫とブータンの話から始まります。ブータンは日本人が行くとほっとする場所で遺伝子的には同じ分類に属するらしい、が、一番の問題は王様が強くて殺生禁止。虫を捕ることができないとか。GDP(Gross Domestic Product:国内総生産)ではなくてGNH(Gross National Happiness:国民総幸福量基準の物差しではラオスブータンは絶対うまくいく、等など。

日本で虫の数が減った原因はよくわからないが、間違いなく言えることは農薬と道路と夜の明るさ。高速道路のクルマにぶつかって死ぬ。「一台のクルマがポンコツになるまでに、何匹死ぬか計算した奴がいる。」「何匹になるんですか」「一千万の桁になります」
養老「僕が集める虫は甲虫が一番多い。甲中はカラダが硬くて、ゆっくり飛ぶから、クルマに当たってよく死ぬんです。そういうのを甲中事故といいます」。 あまりに面白くってご紹介しましたが、本題はこちら:

辰野:ここ数年ビジネスの世界でも、日本型企業経営の美徳が軽んじられて、アメリカ型の合理主義が主軸になってしまいました。日本型経営の基本は終身雇用制度にあります。いわば企業で働く人間を一つの家族ととらえて、みんなで支えてゆくという考え方です。一方、アメリカ方の経営ロジックでは、従業員は株主の為に収益を上げる手段に過ぎません。能力主義の名の下に、弱者が切り捨てられていく。それを助長したのが派遣社員に対する法改正だったんですね。社会の公器であるべき企業が最も大切にしなければならないのはお客さまですが、その次に大切にしなければならないのは従業員のはずです。ところが株主の利益にしか関心がない。
養老アメリカ型というのは、西部があったからだと思うんです。手付かずの土地があるような状況では、機能主義をとって、「こういう仕事ができないなら、ここにはいらない」と追い出しても、未開拓の土地が沢山あった。日本みたいなせまい社会では、これ以上いったら、台から落っこちる。みんなで仲良く一緒に暮らすしかない。

ここで、養老さんの対談相手が気になりました。辰野勇といって「モン・ベル」の代表、すなわち社長です。最後の「軌跡History of mont-bell」のコラムにも「日本型企業経営の美徳」と題して終身雇用制度が日本型経営の基本であると書いています。

この制度の企業側のメリットは、金と時間をかけて育てた人材が、資産として企業内にとどまること。逆にデメリットは、採用した社員が期待する能力をはっきしてくれなくても、やすやすと解雇できないこと。一方、社員にとってのメリットは、企業が存在する限り、職は保証される。ただし、能力の高い社員も、極端な高給を期待できない。なぜなら、能力の低い社員の分まで補ってやらなければならないから。

日本でアメリカのような大金持ちが出てこない理由、極端な格差が出なかった理由の一端がここにありました。

「社会を構成する集団の最小単位は家族であり企業である。さらに範囲を広げれば、地域であり国家ということになる。小さな島国「日本」にあって、たがいが補い合い、助け合い、支え合うことでしか命をつなぐことができない社会的弱者には逃げ場がない。」「理想とする日本型企業経営とは、ある意味で最も進んだ社会主義ではないかと思うことすらある。国際競争が進む中、そんなのんきなことを言っていたら世界の経済競争についてゆけないという声が聞こえる。
果たしてそうだろうか? 私はそうは思わない。日本の文化、風土に根ざし、培ってきた経営の手法こそ、長い目でみて、強い会社経営のあり方ではなかろうか? 今一度、日本人としての自信と誇りをとりもどさなければならないと切望する。」


今朝のNHK、「ルソンの壷」の後の「経済羅針盤」(どちらもひょっとすると関西のみの放送?)では信州の寒天製造の伊那食品工業がとりあげられていました。代表の塚越寛氏が登場、「年輪経営」について語りました。
昭和34年創業でリストラしたことなし。開発した寒天パウダーを大量生産すれば爆発的に売れて大ブームになるという東京のスーパーからの誘いを、設備投資はしてもブームが去った後はリストラということを警戒して、断ったそうです。企業経営の目的は社員の幸せとそれを達成するための利益と健全な成長。ほどほどの利益と急激でない適正な成長で、二宮尊徳の説く「遠くを計れ」を心がけ、20年先を見るようにしているとか。
司会者の「まるでユートピアですね」に「伊那食品ファミリーと皆言っています」「時代がついてきたというか見直されてきた」「ずっとやってきたことで、世の中が変わってきたのか、あるいは古いのか。良いことは変えないでやり続けるということで」と穏やかな落ち着いた話しぶりに信念を貫く自信が窺えました。

ついこの間まで「終身雇用制」こそが経済発展の枷になっていると言われていたのではなかったでしょうか。
能力主義の導入で新しい技術についてゆけない年長者をあからさまに無能扱いする若者がもてはやされて。
世界と競争するには日本型の終身雇用制では駄目だと言われ、そうかなと。
しかし、松岡正剛流にいえば、和魂洋才の方法を資本主義に適用したのが終身雇用制度だったともいえる。
会社=家族、家父長制が会社に移行したとも言われ、マイナスの面には早くから警戒されていましたが、失ってみて初めてプラスの面も見直されてきたのでしょうか。バランスを取りながら大切なものを見失わないというのはナカナカ難しいものですが、時代に流されずブームにも乗らず、大切なものを守りながら着実に進んできた会社があり、それに今光が当たり始めているということですね。
でも、世界を相手にする大企業、大会社は、今更、古いと捨てた「終身雇用制度」に立ち戻ることができるのでしょうか。