東大寺・法隆寺・薬師寺

27日(金曜日)、朝9時、予約したジャンボタクシーがホテル前に到着。
最初に行きたい場所の確認をして、小学1年生から上は92才までの7人様ご一行で出発。

東大寺は世界最大の木造建築。奈良時代(710〜794年)の中頃、聖武天皇により創建。
今の大仏殿は江戸時代に建て直された三度目のもので、創建当時の建物よりも横幅が3分の2ほど短い。
本尊の蘆舎那仏は両手が桃山時代、頭部は江戸時代のもので青銅に金をぶせたものとか。
中門に立って、見上げるとその巨大さに圧倒される。真正面のこの門から入るのはお盆とお正月のみ。
東大寺は天下泰平、万民豊楽を祈願するために建てられたもので個人的なお願い事はダメ」という解説にナルホドと納得。
政治家さんがお参りすべきお寺なんだとか。


奈良市の中心部から西南にあたる斑鳩に世界最古の木造建築の法隆寺がある。イカルという鳩に因んで斑鳩というそうだ。
推古天皇聖徳太子用明天皇のご遺願を継いで607年に本尊の「薬師如来」を造られたと伝えられるとか。

境内の広さ約18万7000㎡。南大門から中門、間に五重塔と金堂が左右に建っていて、奥の大講堂までは
一直線だが遠い、遠い! 運転手さんの懇切丁寧なガイドと解説でじっくり見て歩く。
余りの広さと宝物類、見学対象の建物の多さに、夢殿は省略。こちらも檀家があるわけではないので、
私たちの拝観料と仏さんや宝物(玉虫の厨子などの)の出稼ぎ(出張展示)で賄っているそうです。

薬師寺の再建で有名になった宮大工棟梁の西岡常一さんは「元は法隆寺お抱えの大工さんで薬師寺さんがこちらに頭を下げてお願いしはった」のだそうです。脇にある小さな門の横柱を指して「あれ、あの柱、穴のあいたのを再利用してます」と言われ、見ると横柱に組み合わせたときの凹字型のくびれがあり明らかにリサイクルされているのが分かります。


最後に薬師寺へ。法隆寺を出てこちらに向かうとき途中で可愛い三重塔が見える。
40数年前、就職した同期の二人と法隆寺を訪ね、ついでにと歩いて訪ねた法起寺の塔だ。
車でしばらく走ると池越しに薬師寺の金堂と新旧二つの塔と左に薄っすらと東大寺の大屋根も見える。
薬師寺は15年くらい前に訪ねた時は回廊と金堂の再建工事中だったが、
今は中門、回廊、二つの塔、金堂、講堂が整然と立ち並ぶ立派な伽藍となって見違えるほど。

天武天皇の発願(680年)、持統天皇による本尊開眼(697年)、文武天皇の代に飛鳥の地において完成。
その後、平城遷都(710年)に現在地に移されたそうです。
建造物の色を見ただけでも東塔以外は朱色に緑色が映える新しいものばかり。
創建当時はこうだったはずなのですが、色落ちした東塔の美しさは白鳳時代からの年月がもたらすもの。
この東塔も来年から10年間は覆いが被せられて修理に入るそうです。
運転手兼ガイドさんに聞くと、この近くで生まれ育って境内が遊び場だったとか。
「じゃ、東塔以外は何にもなかったでしょ?」と聞いたら、「な〜んもありませんでしたで」
「ぜ〜んぶ高田好胤さんが呼びかけはった写経と拝観料のお陰」とのこと。
境内を横切る一般道路を又渡って奥へ行くと薄墨の桜が咲いている広場の奥に真新しい玄奘三蔵院伽藍が出来ている。
あの三蔵法師のお骨が納められている玄奘塔と、平山郁夫画伯の壁画大唐西域壁画殿がある。

さて、池越しに見えた立派な金堂は竜宮造りと呼ばれる裳階(もこし)をつけた瓦ぶきの美しく荘厳な建物。
中には国宝の薬師如来と左右に日光菩薩月光菩薩を従えた薬師三尊が。
台座には葡萄唐草模様が施され、ペルシャの蓮華模様、高松塚古墳の石棺内部にもあった中国の四神
(玄武、白虎、青龍、朱雀)もあり、シルクロードの終着を示している。
去年、この日光、月光菩薩がガイドさんの言葉を借りると「出稼ぎ出張」で東京で展示され大盛況だった。
光背をはずした後姿や、同じ目の高さでお顔も見えるスロープをつけるなどユニークな展示の仕方だった。


私はこの金堂が真正面に見える場所に立った時、丁度建物のど真ん中に丸いしめ縄を見つけて思わず声をあげた。
神仏習合の紛れもない象徴を見た思い! ガイドさんはビックリして「これが普通ですねん」と言い訳めいた口調だったので、
「いえ、いえ、これで良いんです。明治以前はこれが当たり前だという証拠をみつけたような気がしたので」と私。
ガイドさんは、それならと「お寺には八幡さんが祀ってあるし、お稲荷さんもあります。
明治政府の廃仏の時、知恵のあるお寺さんは宗旨替えしはって神社を名乗りはったとこもあります」と解説。


上の写真、金堂中央部の赤い扉の上に丸いしめ縄が見える。

松岡正剛さんの日本の方法でよく説かれる「てりむくり」の屋根にも気がついた。         <つづく>