「てりむくり」、見〜つけた!

本題に入る前に、薬師寺の東塔について。
明治時代、アメリカ人のフェノロサがこの塔を「凍れる音楽」と評したと伝えられています。
東塔は薬師寺で創建当時から残る唯一の建築。
昭和56(1981)年4月に再建された新しい西塔が創建当時の華やかな様子を今に伝えるものだとすると、
色彩を全部落とした東塔はそのまま1300年の時間・歴史を伝えています。

私は西塔が完成した翌年に小学生の息子たちと家族で訪れた時見ていますが、その時の様子は、
ちょうど平山郁夫画伯の大壁画が納められている今の玄奘三蔵院伽藍と同じでした。
真っ白な漆喰に朱塗りと青(グリーン)が映えて、目にも鮮やか。
これに比べると西塔も25年以上の年月によって色合いも落ち着き風格さえ感じるほどでした。

三重の屋根の下側には短い庇のような裳層(もこし)がそれぞれついていて、大小六層の屋根が重なって見え、
それが全体として律動美を生じ、見る者にリズム感を感じさせます。
塔の天辺には丸い輪が幾重にも重なった相輪があり、その上に水煙があります。
この水煙には天女が透かし彫られていて、「古寺巡礼」で名高い和辻哲郎(1889〜1960)が「真っ逆様に身を翻した半裸の女体の、微妙なふくよかな肉づけ、美しい柔らかなうねり方・・・」と表現しています。
当時、和辻は双眼鏡で見たのだそうですが、今は地上でそのレプリカを見ることができます。
(写真は講堂側から、金堂を挟んで立ち並ぶ二つの塔。正面となる中門からは近すぎて両塔を一つの画面には捉えられない)



さて、本題。この屋根の曲線を「てりむくり」というそうです。
私が初めて実物で見たのは、薬師寺を家族で訪れたと同じ1982年の秋、京都の二条城でした。
入口がこの屋根で「まるで日光東照宮みたい。そうか、徳川幕府の京都出張所みたいなものだから」と思ったのでよく覚えています。

ところで、これが松岡正剛氏いうところの「日本という方法」なのです。
「てりむくり」は「照り・起くり」で、「照り」は反りのこと、「起くり」はゆるやかな起き上がりのこと。
これが、よその国には無い、全く日本独自の建築曲線であり、かつ「絶対矛盾の自己同一」の思想を現わしているというのです

写真は法隆寺でみつけたもので、僧房の入り口の門の屋根だったと思います。

奈良時代の寺院は仏を安置するための金堂中心の建築。ところが密教導入後は多様な機能を持つ建築が必要となり、重い瓦屋根に檜皮葺の屋根をつけ、正面性をもたらす為に破風という様式を工夫。和漢折衷の感覚が加わって瓦屋根が本来持っているテリに、檜皮のもっているムクリ(起こり)の曲面加工性が連続した。いわば神仏習合や顕密集合が「てりむくり」を生んだのです。対立や矛盾をあえてつなげあうことが、新たな構造曲線にいたったのです。相反する現実から構造的情報を取り出して編集していったといえるでしょう。
松岡正剛著NHKブックス「日本という方法 おもかげ・うつろいの文化」の第11章「矛盾と葛藤を編集する」から)


仏教を取り入れた時代、「仏教」は先進国のすべてだったと思います。
宗教であり文化であり、芸術であり学問であり、建築であり技術であり、すべての面でお手本であって総力をあげて吸収しようとした。
しかし、以前から持っていたものを捨てることはしなかったということですね。
八百万の神も残しつつ、新しく導入した仏教の教えも共に取り入れた神仏習合
同じように建築においても瓦屋根に檜皮葺を足して独特の曲線「てりむくり」を生んだ。
漢字は取り入れたけれど、日本語は捨てなかった。漢字を借りて大和言葉を書き記す術として平仮名を編み出した方法と同じです。

ヨーロッパの哲学や宗教哲学は基本的には「ニ項対立」が前提。善と悪、生と死、精神と物質、合理と非合理などの二元論。弁証法も「正」と「反」がまずあって、この二項が止揚して「合」に至ると考える。しかし上手く止揚できなければ対立が残るばかりか、かえって二極対立が強調されたまま残ったりする。

ところが、日本では「ニ項対立」ではなく「ニ項同体」であるべきだと考えた仏教者がいたという。
明治の仏教が維新とともに神仏分離令と廃仏棄釈で壊滅的な状態になっていたなか、
改革に立ち向かったのが清沢満之(1863〜1903)という人。そして、「善の研究」で有名な哲学者の西田幾多郎(1870〜1945)。「二項同体」から「絶対矛盾的自己同一」になるのですが、禅が入ってきたり、いよいよ哲学のお話にもなって引用が長くなりますので今日はこの辺で。