花の寺「比曽寺跡・世尊寺」

吉野川沿いの道を離れて右折、大阪への道に入ってすぐ右手に、ソメイヨシノの華やかな桜の群れが見え、お寺の門構えも。 寄ろう!ということになり、次の道を右折、すぐ、駐車場のある、桜に囲まれたお寺に着きました。




門の中に入るとすぐ右手に神社の鳥居があります。
ソメイヨシノの大木のほかに、枝垂桜、少し進むと、濃い赤紫や白とピンク交じりのシャクナゲは咲いているし、
花盛りを過ぎたマンサクの花もあるし、小梅の花も咲いて、まるで花の寺です。
伽藍の配置図を示す看板が立っていて、元々は東西二つの塔があったようです。
中をのぞくと、真正面に本堂が、左手に庫裏、真ん中は広場。
この中門をくぐるときに、拝観料100円を郵便受けのような箱の中に入れます。
私たちと入れ違いに中門から出て来られた母娘三人連れ以外、誰にも会わずでした。

シャクナゲ越しに鐘楼が見えます。
ネットで見つけた比曽寺(ひそじ)・世尊寺(せそんじ)について:

 聖徳太子が建立した49ヶ寺のうちの一つとされています

 曹洞宗 霊鷲山(りょうじゅさん)「世尊寺です



 日本書紀の記録や残されている瓦などからも、少なくとも飛鳥時代(7世紀後半)には存在していたと推測されます
 31代用明天皇2年(537)に聖徳太子は、仏教の昂揚を祈願され、堂塔・伽藍を造立された寺院の1ヶ寺が比曽寺です


 古くは吉野寺、比蘇寺、現光寺、栗天奉寺とも呼ばれていたようです
 役行者が金峯山入峯前にこの寺に篭り修行したことから「行者道分道場」ともいいます


 弘安2年(1279)に金峯山寺別当・春豪が荒廃著しい本寺を復興
 その後、叡尊が留錫し真言律宗となっています
 享保年間(1716〜36)に朴導秀拙が再興をはかり、曹洞宗に転宗し「世尊寺」と改称しました

 現在の本堂は、昭和43年の再建  かつての講堂跡に建てられています(27個の礎石が残っています)

・本尊;阿弥陀如来坐像(藤原時代初期の作?)

本堂左横の小さなくぐり戸を抜けると本堂の裏に出ますが、足元が桜の花びらで敷き詰められています。
ここに「世にさかる花にも念仏まうしけり」という芭蕉の句碑がありました。

石柱に囲まれた中で咲いている桜の木は、太子お手植えの壇上桜の子孫。
写真の桜の横に、苔むした倒木の中から甦るように桜が何本も生えていました。
中門を出たところで寺の由緒を説明する看板を見つけました。

東塔跡の礎石の周りは花が囲んでいます。礎石だけというからには焼失かと思っていたら、この看板によると、東塔は現存しているんですね。「東塔の三重の塔は、豊臣秀吉によって伏見城に移され、さらに徳川家康によって近江の園城寺三井寺)に移建された」ということですから、三井寺の三重塔は、リサイクル塔で元々は世尊寺と呼ばれる前の現光寺時代の東塔ということです。


丁度向い側の小高い処に西塔跡の礎石を見つけました。西塔は戦乱で焼失とか。


桜に誘われた寄り道でしたが、思わぬところで聖徳太子建立の古寺跡に巡り合い、その上、また役行者のゆかりもあって、去りがたく、駐車場からもう一度振り返ってみました。
見落としていますが、山門には左甚五郎作といわれる天の邪気の彫刻があるそうですし、他に聖徳太子像も。
秋のヒガンバナの名所だそうですので、その頃、また訪ねたいお寺です。
吹田で高速道路を降り、万博の太陽の塔と土手の桜を見ながら新御堂筋線へ出て、箕面へ。3時過ぎ我が家着。