ルノワールが晩年を過ごした町、カーニュ・シュル・メールを訪ねて <3日目>

7日(日曜日)
長距離バスターミナルの近くのパン屋で朝食。9時15分発のグラース行きのバスで約40分。
今回、南仏に関しては、「地球の歩き方」の「南仏 プロヴァンス」を参考に計画し、宿泊地やホテルを決めるのも大いに利用しました。バスの一日乗り放題のチケットや、バスの乗り場、利用するバス、乗車時間など情報が正確で助かりました。

今日の予定のルノワールのアトリエのあるレ・コレットの丘とグリマルディ城のある中世の町オ・ド・カーニュの丘は左右に離れている。まず、お昼までにルノワールの方をと右手に歩き始める。女性に道を尋ねると途中まで同じ方向だからと案内してもらって歩き続ける。普通の住宅街の坂道を上ると左手に木の門扉が開いているお屋敷が。小さく「ルノワール」の表示も。入って自然に明るい左手のなだらかな下り斜面の方へ進んでいくとオリーブの巨木の向こうに遠くお城の見える丘が見える。絵が描ける人なら描きたくなる景色ね〜なんて言っていると、なるほどルノワールが描いた絵が立っている。

しばらく景色を見ながらベンチで朝市調達の果物をいただく。さて、アトリエへ行きますか、と庭の方に戻ってアトリエの建物へ。ルノワールは1908年にアリネ夫人と3人の息子たちとここに移り住み、広い庭を見下ろせる明るいガラス張りのアトリエがある屋敷を建てさせました。ここへ、マチスやモジリアニ、日本の梅原龍三郎も訪ねてきました。1911年にはリウマチ性関節炎がひどくなり車イス生活に。1918年、78歳で亡くなるまでここで精力的に作品を制作しました。

このアトリエと敷地は1960年にカーニュ町が購入、今は美術館になっていて肖像、静物、裸婦、風景を描いた絵画と彫刻、それに生前愛用した家具や日用品などがそのまま展示されています。数段降りて入るアトリエはイーゼルが置かれ、車いすやパレット、筆など、そのままの状態。2階に上がるとどの部屋にもルノワールの絵がかけてあり、テラスからは果樹園が見降ろせます。
明るく優しく幸福感に満ちたルノワールの絵。痛みや不安や孤独と無縁だったわけではない晩年のはずですが、絵の中の世界は彼が求めた世界を雄弁に伝えてくれているようです。日本語のチラシがありました。読んでみると日本人が書いたものではないことがわかります。フランス人が日本人向けに日本語で書いているのでしょう。それだけ日本人の訪問も多いということ。二人の男性陣も「やっぱりルノワールはいいなぁ〜」とご満悦の様子です。

アトリエを出ると小屋が建っていて、土産物が置いてあります。店番の男性が電話で話し続けて売る気なし。私たち以外にもやっと観光客が来て、やっと対応してくれました。帰りに入口の右側の小さい階段を上ってみました。果樹園の中の小道で見上げるとアトリエの全景が見えました。

もう一度坂道を下って今度はバスで向い側のお城の見える丘を目指します。