ノー・モア・被爆者

今年の8月6日の原爆記念日広島市長のメッセージも、やはりオバマ大統領のプラハの演説を踏まえて少し明るい兆しを感じることができました。「オバマジョリティ」という造語は、あえて核廃絶を唱える者や国が世界のマジョリティ(多数派)になることの意志表示だったと思いますが、世界の人たちが使う言葉になるでしょうか?

被爆三世の高校生が被爆者の体験をじかに聞ける最後の世代として世界に発信しようと頑張っている様子を見て、私も47年も前のことを思い出しました。原水爆禁止の署名を三宮のセンター街で道行く人に呼び掛けていました。高校を卒業した年の7月のことでした。原爆を落とした国の大統領が「核兵器を使用した道義的責任がある」と世界に向けて演説する日が来るのにかかった年数は長かったともいえますが、想像すらできなかったことからすると大きな節目、転換点を迎えたともいえます。

あの頃は鉛筆を持って道行く人に「お願いします」と言って近寄っていけば快く応じて下さる方が多かったように思います。この頃はどうなんでしょうか。被爆体験者の高齢化が差し迫って、今年は漫画家の戦争体験者がこぞって戦争体験を作品にして若い人たちに訴える展示会を持たれたようです。

昭和19年生れの私はまだ戦争についての話は生で伝え聞くことのできた世代です。梅田の地下に浮浪児や浮浪者が居たこともこの目で見ています。片足、片腕の傷痍軍人さんが白い装束で箱を持って立っていたのもこの目で見ています。私自身は小学校の1年生か2年生の時(昭和26,7年)に蛍池進駐軍の施設に慰問に行って、学芸会の歌や踊りを見せたという記憶があります。こういう話を子供たちにしたかといえば・・・

戦争についてこのままではという気持ちが戦った人間としてではなくその時代を子どもとして経験した世代までもが危機感を持つほどの時代になりました。その一方で「ノーモアー広島・長崎」とともに「ノーモア被爆者」という新たなスローガンが掲げられています。

ロシアの核実験の犠牲者が大勢いるカザフスタン。フランスの核実験の犠牲者が大勢いるポリネシア。日本では第五福竜丸の久保山愛吉さんがアメリカの核実験の犠牲になりました。それ以後も核実験による犠牲者は増え続け、今では、それらの人々が核廃絶を世界に訴えています。

日本の被爆体験者の女性が「核保有国は自らの核を無くす勇気を持ってください」と訴えていましたが、一人一人が勇気ある決断を迫られていると思います。人類が戦争の世紀を通して学んだ真実は単純明快。あとは少しの勇気。